「お前は、京都大法学部教授の先生に、法律でわずかでも勝てると思っているのか」という問いがあるかもしれません。「勝つ」というのは嫌な言い方で、「より優れた意見を述べる」ということでしょう。

(1)その先生は、子どものために、無限にただ働きをしてくれるわけではありません。弁護士としての御自分の利益があり、所属する集団の利益があります。実際、日本でこの問題がこじれているのは、当事者を戦わせると弁護士が漁夫の利を得られることが、原因の一つです。この点では勝てる可能性があります。

(2)その先生は、世界の中では超一流というわけではありません。その先生の法社会学的な考えが、世界の法学学会で採用され、世界の主流の考えになっているわけではありません。この法律案の中で、子どもの権利条約を軽視しているように見えます。例えば、子どもの意見表明についての記載がありません。アメリカ合衆国が子どもの権利条約を軽視するのは、その条約が目指すレベルをはるかに超えているからです。日本は、この面ではひどい後進国です。私は、国連やユニセフが推奨するプログラムを信頼しています。世界の超一流の研究者達が一致して推奨する考え方を、私が守ろうとしており、その先生が守ろうとしていなければ、その点で勝てるチャンスはあります。

(3)研究については、一生かけて研究したことが誤りであることがあり得ます。

この先生の指導教官は川島武宜教授です。やはり法社会学が御専門であり、日米の法的な習慣の差を、文化の差により説明しておられます(日本人の法意識)。しかし、ダニエル・フット教授は、文化の差ではなく、利益の差にすぎないと述べておられます(裁判と社会)。どちらの国民も、それぞれの与えられた環境下で、自分の利益を最大にするように、合理的に行動しているに過ぎないということです。

ミード氏の調査など、比較文化人類学の研究には、誤りも多くあります。人間の本質は各国を通じて同一であり、文化などというあやふやなもので動くのではなく、もっと現実的な自分の利益で動くのです。それをフット教授は強調しておられます。

我妻栄教授の御長男の我妻洋教授は、文化人類学的視点から、日米の離婚の差について説明しておられます。しかし、文化の差による説明は、フット教授の言うように誤りなのです。そのような誤った考えでは、離婚を減らしたり、予防したりすることはできません。

1970年代に始まった離婚研究から得られた知見や、親が離婚した子どもについての研究がもたらした知見や、子どもの権利条約などについての知識があれば、それを知らない人々よりも正しい判断を下すことができます。

我妻栄教授は、親権を奪い合う民法を作られましたが、それでは御自分の子どもの離婚を止められるはずもありません。そういう民法は、弁護士の利益にはなりますが、若い夫婦を仲直りさせるようなものではありません。当時は、それを可能とする知識が、まだ無かったのです。

文化による説明は、利益の観点からの分析がありません。この問題における日本の後進性がなぜ生じているのか、それは誰の利益なのかという分析が甘く、弁護士、裁判官をしっかり拘束するような法律になっていません。自分たちの経済的利益のために、子どもの権利条約を無視しているのです。

(4)棚瀬弁護士のホームページには、夫婦がうまくやって行くのに必要なことについてのアドバイスは見当たりません。また現状でも子どもの精神的な予後を改善するためにできることはありますが、その点についてのアドバイスも見当たりません。可能な限り子どもの近くに住むことや、手間ヒマかけて子どもに愛情を示すことなどがあります。予防は見当たりません。


そうは言うものの、子どものために働こうと言う法律家は、日本では、ごくわずかしかいません。数年前には全く見当たりませんでした。だから、棚瀬先生のような法律家は、非常に貴重です。上記の点を除けば、法律の専門家に、法律で勝てるわけもありません。お力を頂いて、お教え頂くしかありません。法律案を書いて下さったことで、この運動は一気に現実味を帯びて来ました。私は非常に喜んでおり、感謝しています。「そんな風に言われるのなら、もうやらないよ」などと言われないためにも、上記の文章のようなことは書かない方が良いかもしれません。

しかし、このブログのテーマは、「各団体が利益追求することで、国民全体の利益が損なわれている。これは改善可能である」ということです。だから、その一例として、あえて文章にしました。