経済については、野口先生の文章を読んでいます。日本経済がこれからどうなるのかとか、我々個人は今何をしなければならないかについて、正しい展望を得ることができます。野口先生の文章を読めば、それで充分で、他の経済学者の文章を読まなくてよい気がします。
しかし、法律については、疑問に答えてくれる本は、なかなか見当たりません。法解釈学の本ばかりです。「法律〇〇条の解釈について、通説は‥‥であり、反対説は‥‥である。そして判例は‥‥である。しかし、私は‥‥のように思う」というような内容です。司法試験の論文試験の続きのようです。
日本と欧米で、裁判の様子がどうして大きく異なっているのかとか、欧米では大切にされている子どもの権利を、どうして日本の裁判所は無視するのだろうかというような疑問に答えてくれる本が見当たりません。
この本の結論は、「日米で訴訟行動に本質的な違いは無く、各人が利益を最大化しようとしている点で、なんら変わりはない」ということです(p18)。
「日本人は和を尊ぶが、アメリカ人はすぐに裁判に訴える」というのは、誤りであるそうです。日本において訴訟の件数が少ないのは、訴訟をするコストが高いが、訴訟から得られる利益が少ないからであるそうです(p16)。
日本の和解率はアメリカよりもかなり低いそうです(p36)。「和解に至るに当たって障害となるのは事実認定であるが、日本では事実関係が審理の最後まで不明のまま争われる」(p59)と述べておられます。
「アメリカでは、子どもは、ケガをすると自分の親を訴える」などと言われているが、それは、保険金の支払いを求めるために必要なことであるそうです。
また、アメリカでは各州で法律が異なるので、トラブルになった時にどの州の法律が適用されるのか弁護士でもよく分からないことがあり、契約により細部まで明白にしておく方法がとられるそうです(p143)。
日本の産業界は、欧米における企業活動の経験から、欧米型の司法制度の長所を理解するようになり、昨今の日本の司法改革を支持した、と著者は述べています(p120)。
上訴審で判決を覆された裁判官は、その後の昇進で不利益な扱いをされるので、既存の先例に反するような判決をめったに出さないそうです(p186)。この点について、別の本「名もない顔もない司法」を書いておられます。
「一つの党が長期にわたって政権を維持する場合は、その党は、司法が政権から独立した権力の核にならないようにする」(p200)と述べておられます。
「日本の裁判所は、幅広い政策形成をしている」(p253)と述べています。立法府と同じ役割を果たすことがあるということです。具体例を多数挙げておられます。
ダニエル・フット氏は東大教授です。東大における授業のノートを公開しておられます。この本に書かれている内容の一部も、箇条書きの形で読むことができます。
社会科学としての世界の法学は、世界の歴史を踏まえており、科学的研究の成果を取り込んで日々進歩しています。ダニエル・フット氏は、そうした世界の法学を学んでおられます。日本は、言葉の壁が厚いので、情報の孤島にあります。日本にも、この本のような視点がぜひ必要です。