「イノベーションの普及」という本は、イノベーション(技術革新)がどのように普及するかについての知見をまとめた本です。初版は1962年に出版されていますが、これは、2003年に出版された第5版の邦訳です。

勝間氏もこの本を引用しておられます。(携帯3社の株価を「普及曲線」で読み解く)。

この本は情報量が多く、教えられることが多くあります。またこの本は多くの事例を紹介しています。予防医学関係の事例は、27ありました。その他、コンピューター、インターネット、携帯電話、農業の技術革新などの事例が紹介されています。

特定のイノベーションが有用なものでありさえすれば、自動的に普及して行くわけではなく、普及するには、いろいろな条件を満たす必要があるということです。

医者の仕事は、診断して薬を処方することだけではありません。患者さんに正しい健康法をお伝えして、生活習慣を改善していただくこともあります。しかし、単に結論を押し付けるだけでは、うまく行かない場合もあります。この本は、新しい概念がどのように人々に普及して行くかを説明しています。患者さんへの説明を改善する上で、非常に役に立つ本です。

以下、予防医学の重要な事例を列挙します。太字部分が引用の部分です。

(1)禁煙の行動は、「事前の熟慮→熟慮→準備→行動→維持」のような段階を経て行われる。禁煙教育の対象者が、どの段階にいるかを考えて教育しないと失敗する(p125)。
ある患者さんがヘビースモーカーであることが判明したときに、タバコについて説明し禁煙をお勧めしましたが、反応が今ひとつ弱かったことがあります。しかし、約1年後に突然「禁煙後3週間たちました」と報告して下さいました。

(2)予防的なイノベーションは、一般に普及が遅い(p210)。
病気を予防するようなイノベーションでは、目に見える効用がすぐには得られません。「死亡率が減る」というような抽象的な概念で理解されるだけです。そのような場合には、普及はより遅くなるとのことです。

(3)イノベーションを普及させようとする専門家集団は、伝統的な実践者である産婆を偽り医者と見なし、無視したり非難したりしている。しかし、産婆は、土地固有の知識を具現しているのである(p197)。
非難ではなく、同じ目線に立つ、友人としての協力が必要なのだろうと思います。指示するのではなく、心から納得してしてもらうことでしょう。

(4)ノースカロライナ州のマンモグラフィー推進プログラムでは、オピニオンリーダーは、乳癌早期発見により回復した人たちであった。また、フィンランドにおける心臓病予防計画では、オピニオンリーダーは、心臓発作の経験があるか、父、兄弟、夫を心臓病で失った人たちであった(p286)。
そういう人たちは、イノベーションの必要性を、単に頭で理解しているだけではなく、痛切な体験を通じて、心から確信しています。そして、他の人々に対する愛情から、働きかけに参加しています。

(5)フィンランドのノースカレリアの心臓疾病予防プログラムにおいて、禁煙に対する医師や看護師の助言は有効であったとコーネンは指摘している。しかし、医師などは、喫煙行動を変えるのにあまり時間をとらず、努力もしなかったので、影響力は限定的であった。禁煙を勧める予防活動からは収入がほとんど期待できなかったのである(p349)。
医師の責務は重大です。患者さんの一人一人に対応する時間が無いのならば、チラシにするとかビデオを作るとかホームページを作るとか、伝達法を工夫をする必要があります。

(6)エジプトでは、幼児が毎年13万人死亡していた。ORT(経口補液)のキャンペーンにより、幼児の死亡率は2年のうちに70%も減少した。国営テレビ放送により1分間のテレビスポットが繰り返し放映された。薬局で1包6セントで販売された。3000の補給所で無料で配布された。キャンペーン前は、ORT(経口補液)の採用率はわずか1%であったが、キャンペーン後は96%に達した
この事例は教訓的です。ORT(経口補液)のように効果の大きい治療法であっても、テレビで放映されるまでは、地域には浸透していなかったのです。毎年多くの子どもが、下痢による脱水で死亡していたということです。伝達法が適切でないと普及しないことが分かります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E5%8F%A3%E8%A3%9C%E6%B0%B4%E5%A1%A9
http://rehydrate.org/index.html


日本と世界の間には、言葉の厚い壁があります。科学知識の多くは外国で発見されたものです。英語の堪能な人は、世界の情勢を英語で知ることができますが、多くの日本人にとっては困難です。外国では常識であっても、日本に紹介されていないこともあります。また、紹介されても、普及するとは限りません。この本が言うような困難に直面します。しかし原因が分かれば、対策も立ちます。その点で、この本は非常に価値があります。