島津斉彬 薩摩藩
[1809~1858享年50歳]薩摩藩志士らに慕われる「維新の父」
幕末の四賢侯のひとり。この時代を代表する名君として評価される。斉彬は第10代藩主・島津斉興の子に生まれた正統な後継者だったが側室のお由羅の方にメロメロの父は、彼女との間に生まれた異母弟の久光を溺愛して家督を彼に譲ろうと画策。また、洋学かぶれで蘭癖のあだ名をもつ斉彬を警戒する家臣は多かった。藩を二分する跡目争いの抗争が勃発し、それが沈静化するまで藩主の地位につけなかった。そのため斉彬は藩主在任期間が短くなった。だがわずか七年半で幕末最強の雄藩をつくりあげるアップ
この短い藩主在任期間にも、彼は名君と言われるに値する様々なものを残している。殖産興業の活性化による藩経済の立て直し、反射炉の建設や洋式帆船の建造など産業や軍事の近代化など、数えあげたらキリがない。
斉彬が残した偉業のなかでも最も輝いているのは、やはり、西郷隆盛をはじめとする優れた人材を下級武士の中から発掘して、それを登用したことにある。斉彬自身は盟友である老中・阿部正弘の死後、井伊直弼の政権とは将軍継問題で対立し、幕政から退けられた後、失意のうちに鹿児島で病死してしまう。
[西洋人も、薩摩人も、同じ人間。屈することなく励むべし]とは彼が残した金言である。