吉田松陰 長州藩
[1830~1859享年30歳]志士たちを覚醒させた偉大なる教育者。
長州藩士・杉百合之助の次男に生まれる。
好奇心と探究心にあふれる性格は生来のもの。
気質は学者向き、それもあって叔父で山鹿流学師範である吉田大助の養子となる。
彼が24歳の時[もっと、広い世界のことを知りたい]と、脱藩して東北を遊学。
脱藩に続き外国への密航未遂ガーン
出獄後に生家である萩城下郊外に幽閉の身分に処された後、叔父の玉木文之進が開いた私塾を引き継ぎ、家の敷地内に松下村塾を開いた。下級武士の子弟を中心に多くの若者たちが松陰の教えを請うた。その中には久坂玄瑞、伊藤博文、井上馨、高杉晋作といった人物がいる。
安政の大獄が始まると、これまでの行状や言動から[危険人物]の烙印を押された松陰は江戸に送致され、幕府の取調べをうけることになる余計なことを言わなければ釈放される可能性もあったのだが、老中・間辺詮勝の暗殺を企てたことを聞かれてないのに自白ショック!反抗分子の粛清を目論む井伊政権がこれを許すはずもなく、彼は斬首刑に処されてしまったガーン
[身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂]
吉田松陰の辞世の句である。

吉田松陰・尊皇攘夷から倒幕へと明治維新を推進した人傑