こんにちは🌞
懐かしの画像貼り付けときます。
今日は昨日より日差しが弱くてマシですね。
いま疲労が溜まってきてるので、走りながらその疲労とうまく向き合っていきたいです🤔
さて、昨日の続きです!!笑
長くなってますがよろしくお願いします🤲
県インターハイから約3週間後に近畿インターハイが和歌山でありました。
その間はちゃんと練習もしてましたし、ちゃっかり大学受験に向けて勉強もしていました。
と言っても1日10時間勉強していたとかそういう大層なレベルではありません🤣笑
この頃には志望校をピックアップして、学部も選び始めてました。
受験生ぽくしてましたね!
6月の第3週目の近畿インターハイ5000mは最終日でした。
1発決勝だったため36人くらいでのスタートでした。
その日に惜しくも近畿大会に行けなかった同級生やチームメイトが応援に来てくれて、僕を含め他種目に出る選手を応援してくれました。
レースはシンプルに速かったです😅
自分が今まで出た試合の中で1番速くて、早々に置いて行かれました。
圧倒的な力の差を感じました。
その時、西脇工業の選手がランキングトップで下馬評通り優勝しました。私はその選手にギリギリ1周抜かしされたように思います😭
1周抜かしを喰らったのは人生初でした。
なんとか走り切り、順位は定かではありませんがタイムは15分37秒くらいだったように思います。
個人で人生初の地方大会は惨敗に終わりました。
この体のできてなさが半端じゃないですよね。
よく走ってたなーと思います😱笑
それでもこのステージに上がってこれたことはこの3年間での成長の証でした。
いろんなことを考え物思いにふけながらクールダウンを行っていました🏃♂️
そのときは秋の駅伝のことは考えてなかったので、これが終わったら受験勉強かなーとふわっと考えていました。
クールダウンをタラタラと走っていたら、大人2人が自分のところに歩み寄ってきました!!
学力No. 1の学校のコーチともう1人は当時の私は知らない方でした。
この出会いが運命を大きく左右したと思います!
そのもう1人というのが、僕の母校である龍谷大学の陸上部の監督でした。
「なぜこの2人が自分のところに???」
というのが率直な感想でした。
監督から名刺をもらい、私の走りを見て勧誘しにきてくれたことが話を聞いててわかりました。
この自分を勧誘???
近畿インターハイの結果は決していいとは言えるものではなく、評価するポイントはないと私は考えていました。
話していると自分に興味を持っていただいてることが分かったのと、一緒にいたコーチの方が自分を大学監督に勧めてくれているのを察しました🤭
なぜその2人が繋がっているかは全くわかりませんでしたが😳
あまり長くは話してはいなかったような、話していたようなうろ覚えですがこの日の出来事は自分の中で衝撃でした!
人生初の勧誘だったので😁笑
すぐには返事を出せなかったので、そういう話があるということを家に持ち帰りました。
私自身、推薦で大学にいこうなんか考えてなかったですし大会が終わったら学業に専念かなと思っていたので色々と頭の中がいっぱいでした🤯
7月に入り、練習はしつつも学期末テストに向けて勉強をしていて進路については話がまとまっていませんでした。
私自身の中で徐々に推薦の話を受けたい、競技を大学で続けたいという思いが強くなってきました💪
自分が推薦をしてもらえるなんてこれっぽっちも思っていなかったですし、そんな自分を評価していただけたことがすごく嬉しかったので!
あと大学を調べたらスポーツ系のコースもあって自分にとって興味があるコースがあるなら尚更この話を受けようかなと思いました🤲
でも進路については1人で勝手に決めるというわけにはいきません。
なのでまず親に話をしました。
「自分はこの推薦の話を受けて、この大学に行きたい!」
と伝えました。
母親は色々考えた上で受け入れてくれましたが、父親は渋っていました。
父親は学業で大学に進学してもらいたいという思いがあったみたいで、受験勉強という人生の中でも苦しい期間というのを乗り越えて次のステップに進んで欲しかったのだと私は思います😌
たしかに本来の志望校ではなかったので本当にそこで良いのか迷った部分はありました。
●推薦を受けるということは受験勉強を投げ出して、逃げというふうになってしまうのか?
●その大学に行くとしても親が言うように学業で行った方がいいのか??
自分が決めるまでに約1カ月かかったのですが、その間に奈良まで監督が足を運んでくださいました。
自分の顧問と大学の監督と親と話し合いの場を設けてもらい、監督の考えや将来図を提示してもらいました。
監督の気持ちがすごく伝わってきて、推薦を受けたいという思いが強まってきました。
当時の顧問は最後は自分で決めれば良いという感じでいてくれたため、それもまた推薦を受けたいと思う気持ちを強めた要因かもしれません😌
推薦の話をいつまでも先延ばしにするわけには行かず、大学側にも期限があったのでどうしようか焦っていましたが色々総合的に考えて考えて迷いに迷った結果、自分の中で決めました!
推薦話を受ける!!
受けると決めたからには親を説得する必要があります!
推薦を受けて競技を続けたい、競技を続けるからには大学で結果を出す、推薦を受けるからこそ卒業までの期間を大事に使うなど自分なりに提示して、あくまで将来的なことを考えた上で推薦話を受けると伝えた上で了承してもらいました。
親を説得をするほどのことをしたのは人生初です!
人生初ばっかりですね🤣笑
親を説得した次は担任の先生です👨🏫
当時の担任はとても厳しくもあり生徒思いな先生でした。
英語教科を持ってたんですがその授業ではどの生徒もしっかり予習復習をしていき、準備を万端にしていくという全員が真面目になる緊張感を漂わす最強の先生でした。
その担任に今回の推薦話を受けるということを夏の三者面談の時に伝えました。
どういう返事が来るんだろうとドキドキしていました。
「本当にそれで良いのか??志望校ではなかったのでは?」
と言われ、グサッときました。。。
トーンがなかなかのものだったで、その瞬間から体が硬直しそうになったことを今でも思い出せます😨笑
しかし、その時には自分の思いは決まってたのでちゃんとそのことは担任に伝えました!
「はい! この大学に行きたいです! スポーツ系のコースもあり、スポーツサイエンスの知識も得ることができるのでここに行きたいです!」
初めて担任に自分の思いを伝えることができた瞬間でした!
その時はそのまま面談が終わりましたが、後日もう一度担任と話をし推薦話を受けることが決まりました😎
ここで自分の思いを押し殺していたらどんな将来になっていたかわかりませんが、自分の思いをしっかり発信出来て良かったです😌
この時進路の決断はできたのは良かったのですが、肝心な走りの方は近畿大会以降パッとしておらずうまく走れていませんでした。
近畿大会という節目の大会が終わり、進路のことで悩んでいたので練習に集中できてませんでした。
進路の悩みから解放されそうになった途端に、走りの方で悩みました。
一難去ってまた一難😓
高校3年は学年別の大会はもうないので次の試合は9月の中旬にある県総体でそれまで調子を戻すためにはどうしたら良いんだろうと苦しんでいました。
しかし、あることがきっかけで走りの悩みから解放されたのです🧐
ほんとそれはふとしたことでした☺️
今日は以上です。
そのふとしたことをまた書いていきたいと思います✍️
進路の話はその後の人生を大きく左右した決定でした😊
決断をしたその時の自分に感謝したいです!笑
ちなみにあと同い年だった同じ高校の生徒ならあの先生の厳しさに共感してくれると思います。笑
懐かしの画像貼り付けときます。

