こんにちは🌞
相変わらずの暑さですね。
夏に近づいてきている印象です。
暑さを無理に耐えようとするのではなく程々にしてた方が体のためです。
今更ながら私は練習前に日焼け止め塗っています😂
すでに黒いですが。。。笑
よし!昨日の続きを書いていきます✍️
西脇合宿は1月4日から7日まで当時あったように思います。年末年始は毎年ガッツリ休んでいたので正月の三が日終わってすぐに合宿なんて初体験でした😂
合宿に行くと財布と携帯はロッカーで管理され、ランダムの部屋割りで知り合いが殆どいない中での生活が始まりました。
朝、午前、午後としっかり三部練。
さらには腕立て伏せ30回2セットを練習後に全員で行うと言ったトレーニングで食らいつくので必死でした。
強豪校の強さを肌で体感できました😨
練習は離れることなくこなすことができていて、今思うと自分やればできるやんって思いました🤭
しかし、2日目の午前練のダウンジョグでガス欠になってしまいフラフラになりながら走ってました。
するとその時、後ろから
「離れるな!しっかり前について走れ!」
と言われビックリしました🤣
ほんと鬼でしたよ👹
何とか到着して昼食のカレーをガッツリ食べて回復して難を逃れましたが😭
怒鳴られた瞬間は一生忘れることはないでしょう🙅♂️
なんだかんだフラフラになりながら合宿をクリアして自校での冬季練開始です。
この合宿で強豪校と生活、練習したことでそれまでの自分よりも人として選手として成長した実感はすぐにありました。
そこから練習をこなしていき高校2年はいろんな経験ができた年でした。
(※昨日のブログで書き忘れていたことがあります。高校2年の秋の県内長距離記録会において15分17秒で走りこれが当時の自己ベストでした。
この頃から5000mにシフトしていった感じがあります。)
いよいよ最終学年の高校3年!
部員は結構入り、長距離だけでも6人くらいは入ってくれたので今年からは長距離だけで駅伝が組めると確信しました🤔
周りからすればこれが当たり前なんでしょうが、公立高校だと勧誘ができない分なかなか選手は集まらないので運ですね。笑
(ちなみにこの時の1人が今も奈良県出身の実業団選手として走ってる後輩です。
これは予想だにしてませんでしたが🤭)
この時から、とある公立高校がかなり力を入れ出していました。
県内No. 1の学力を誇る公立高校です。
そこのコーチと加入した新入生はここから大きな存在になってきます。笑
高校3年になり持ちタイムが5000m15分17秒と県外からすれば平凡ですが、県内であれば上位に入るタイムだったので少し自信はついていました!
このシーズンはなんとしても近畿インターハイには駒を進めたかったので、県インターハイに向けて記録会や大会に出てました。
高校3年の2008年4月の1発目の記録会で5000mに出ました。
その時に15分07秒の自己ベストを出しました。
春先に記録が出せたのは嬉しかったです。
そして月末に大阪・奈良・和歌山の3県で競技会が毎年行われていて今年は初めてそれに出ることができました!
和歌山での大会だったのですが、県外のトラックレースはこれが人生初!
結果はパッとしませんでしたが😅笑
5月頭にも記録会に出て3000mを8分51秒の自己ベストで走り、県インターハイに向けて準備は進んでいました。
この3000mの記録は今の中学生ならポンポン出せるタイムです。当時の自分は初めて9分を切れたことをすごく喜んでいた気がします🤫
県インターハイまでのトレーニングの時に、先に話をした学力No. 1の高校と練習場所が同じで練習の様子を見ていました。
コーチと話する機会があり、その学校の新入生の話になり凄く力があって期待しているという話をしていました。
実際に走りを見て、ワイルドな走りだったので怖い存在になるかもと密かに思っていました。笑
6月に入り、いよいよ高校最後の県インターハイを迎えました🏃♂️
今回も昨年に続き、1500mと5000mにエントリーをしました。
1500mについては本命ではなかったのであっさり話します。
近畿大会出場は決めれませんでした。
(※これ以降は1500mの試合に出ていないので、結局1500mの高校のベストは4分10秒くらいでした。)
気持ちを切り替えて5000mは絶対に決めると意気込んでいました。
本命の5000mは予選をとりあえず流して走ることができました。
前年のようにはしたくなかったのでだいぶ力を温存した気がします。笑
そして迎えた決勝当日。
レース展開の詳しいところは覚えていませんが、とりあえず6位以内は確実に死守する位置で走りました。
キツかったですが、ラストに入った時は6位以内は確心できなんとか4位でゴールすることができました。
無事に個人種目の近畿大会出場を決めることができました👏
特に大会時に勧誘とかの話もなくて、このときは進路は決めてませんでした。
まず推薦なんかないと思っていましたし、この段階で関東の大学には行くつもりはありませんでした。
とある高校の顧問の人に
「小島は関東には行かない方がいい!」
と言ってくださる方がいました。
真意は当時の自分だと体が持たずに潰れてしまうということだったそうです。
実際に私自身それは自負してました☺️
どこの大学に行っても陸上は続けるという意思は自分の中にありました!!
学校の担任にも勉強で大学に行くと伝えていたので近畿インターハイが終われば、学業に専念だと思っていたのですが、、、、、、、🤭
ここからまたいろいろありました。
ってことでここからはまた続きということで✍️
今日も長々と書かせてもらいました。
ありがとうございました😌

