こんにちは。
ランナー専門Personal Place~一番星~
代表の城戸隆司(きどたかし)です。
先日に、僕が今まで、ほとんどの人に話して来なかった事がある・・・
ってお話をしたのを覚えてもらえてますかね?
それについて、今日公開しようと思います。
先に言っておくとテンションの上がる内容じゃない上に、超がつくほど長文なので、面倒な人はスルーしてくださいね。
どこから話して良いか、自分でもまだ良く分かってないんですが、感情表現がしにくいので、絵文字なく「、」「。」「?」「!」などを使って文章にしたいと思います。
家族と、本当の仲良い親友の何人(5人くらい)しか話した事ない話。
この話は、以前に投稿した苦手なフルマラソンに出場する理由・・・と、もう一つの理由でもあるんです。
この話は、本当に長くなってしまうので、高校生の時期に絞ってお伝えしたいと思います。
僕が、早々に現役を引退した話。
一番先に結論を言ってしまうと、僕は持病があるんです。
「突発性てんかん」
ってご存知ですか?
簡単に言うと、何らかの原因から突然意識が飛んでしまう疾患。
よくニュースで、車の運転中に突発性てんかんが起きて、人混みの中に突っ込んだと言うような出来事を目にします。
僕が、その病気を中1から患っているんです。
まだ中学生の僕は、意識が飛んだ事に対して、重大な事になっている事とは知らずに、いつか治るもんだと付き合ってきました。
頻繁に起こす訳ではなく、何かを原因に脳波が乱れて発症するので、自分が病気である事自体、気にしていませんでした。
別に普段は、学校も行けるし部活も出来る・・・
ただ、定期的に病院に行って、血液検査・尿検査・脳波測定・・・
それで、薬を処方されて、また薬がなくなった頃の時期に予約。
そこら辺が普通経験しない事。
この病気は、3年発症しないで過ごせると薬を減らす事が可能です。
5年発症しなければ形式上治ったと判断されます。
もう、何回発症したか覚えてない(たぶん6回くらい)ですが、本当に苦しまされてきました。
僕が、現役引退を高校で締めくくったのも、実はこのせい。
記録もあったのに、何で辞めたんだろうって思ってる人もいると思います。
現役の頃も、高校でやめる事に関して、散々多くの人から
「勿体無い」
と言われてきましたから。
振り返ると今でも涙止まらないですが、過去は変えられないし、しょうがないですね。
中学では、郡大会の予選落ち。
そのままインターハイや全国高校駅伝を目指すような高校へ進学。
この時、僕は校内で持ちタイムが一番遅く、2ヶ月も先輩や先生から話しかけてもらえずに過ごす日々でした。
陸上で全国行きたいという意気込みもなく、こんな志の高い学校に入ったので、練習メニューにドン引き。
繋ぎや疲労抜きjogが、僕の限界の練習。
(ちなみに10km4’00”ペースが疲労抜きjog)
毎日レースのような感覚でした。
それで、貧血や怪我に悩まされ、一年間を棒に振り、1年生の頃は1レースも出場する事ができませんでした。
2年生になり、少しずつ走れるようになりますが、総体のメンバーは先輩方がいたので出られず・・・
2年生の夏、必死に頑張って学年で一番速く走れるようになりました。
(ここでも色んな事がありましたが、今回は割愛)
2年生の新人戦、初めての大きなレース。
ここで、県大会決勝に行ったのが、後にも先にも僕の最高成績となります。
3年生の総体の時期も怪我をしてしまったので、後輩に出場権を譲り、その後輩は後にインターハイに出場する事になります。
だから、僕は大して有名でもなく、ビックレースには顔を出さず、記録だけは一丁前な知る人ぞ知るランナーだったんですよ。
そんな度重なる怪我も苦しかったですが、3年の夏合宿のもう最後の駅伝しか残されていないって時に、持病発症。
もう終わったと思った。
高地トレーニング中でしたが、救急車で搬送。
目が覚めた時には病院の中。
顧問から言われたのは
「大丈夫か?・・・でも、申し訳ないけど面倒見切れない」
何も言葉が出ずに、その場を過ごしていました。
その後に顧問と話し合って
顧「陸上部をやめるか、マネージャーになるか選択してくれ」
僕「辞めたくもないし、マネージャーしに陸上部に来た訳じゃない」
顧「また発症でもしたら、俺の首が切られるかもしれない」
僕「だったら、練習メニュー出されなくても良い!一人で練習する」
顧「勝手にしてくれ」
と言って、2週間ほど陸上部に参加しませんでした。
今思えば、部長だったのに勝手な行動でしたよね。
顧問と僕の家は1kmも離れていないところにありました。
後から知った出来事なんですが、その時期に顧問は陸上部にメニューを出してから、そそくさ車でどっかに行っていたらしい。
それが、僕が引きこもりになる事なく、家の近くで練習しているだろうと、僕に気付かれないように練習内容を見ていたんです。
2週間後に陸上部に戻り・・・
僕「頭を冷やして来ましたので、練習させてください」
顧「だから言っただろ、練習させられないって」
僕「じゃ、みんなの練習に勝手に入らせてもらいます」
顧「勝手にしてくれ」
そんな日のメニューが3000m@3本のレペティション。
1本目と2本目が9’15”の設定。
ラスト1本がタイムトライアル。
ここで、8’48”の当時の自己ベスト更新。
練習最後の全体集合で、顧問が
「俺は、この2週間、城戸の練習をずっと見てきた。・・・(内容を詳細に言っている)こんな練習を一人でしてきてるんだ。みんなで練習してきたお前らが負けてどうすんだ!」
と一喝。
部活練習ノートと言うのを定期的に提出するんですが、その返却の際に顧問から赤ペンで一言コメントが個々に書かれます。
これまでの流れで分かるかもしれませんが、本当不器用な顧問なので、いつもさらっと且つズバッとしか、コメントは書きません。
でも、その時の赤ペンはノート1ページ分真っ赤になるくらいに書かれていて家で大泣きしたのを覚えています。
その文章の中に特に印象に残っている言葉
「今まで、本当に辛く苦しい陸上生活だったな。駅伝メンバーからも外して申し訳なかった。最後の最後に俺からの花向けとして、駅伝でアンカー走ってくれ!」
そのノートのページだけ、涙で濡れて乾いたので、紙がパキパキになっています。
引退レースが終わり、最後の顧問とのノートのやり取りもビッチリ書かれていました。
「みんなが城戸と同じくらい強い気持ちで練習してくれれば、全国に連れて行けるんだよな。城戸を見てきた後輩を絶対に全国に行くから見てろ。城戸は陸上辞めるけど、走ることが嫌いになった訳じゃないはず。走る事の楽しさを人に伝えられる人になってほしい・・・」
と。
本当に、この2年後全国高校駅伝に出場。
僕も、一回は陸上から身を引いたけど、結果的に顧問の言われた通りの仕事をしてるんだなぁと。
長くなったけど、これが現役引退にまつわる話。
大学3年時にも病気発症。
ここで、車の免許剥奪。
車を運転するのが好きだった僕には、ぽっかり穴が開いたような感覚。
理学療法士になっても、解決策なんて分からなかったし、どうしたら良いのかなんて分からず、ただ単に時期が来たら病院に行って診察や検査&薬3ヶ月分。
意味あるのかな・・・って何度思った事か。
決まって医者に言われる事は、同じリズムの生活習慣、身体に負担かけずに薬を忘れず飲むように。
・・・じゃあ逆に、これを全部やらなかったら、
みんな突発性てんかんになるの?
って正直思ったし、もう医者に頼っても最終的には自分自身の身体だし、自分で自分を守るしかないんだなって思った。
結局、医者からの発言は健康体にしろって聞こえだったから、だったら運動だってしなきゃなんじゃない?って。
だから・・・
勿論、医学の勉強している時間の合間を見つけて、栄養の勉強もしたし、睡眠に関する勉強もした。
理学療法士の範疇を超えて、カイロプラクティクやオステオパシー、また民間療法など色んな勉強をしてきた。
しかも、部活で走ってた頃なんて、合宿中は5日で300km近く走ってた訳で、それで何ともなかった合宿もある。
それなら、陸上のせいじゃないんじゃないかって。
周りは、何でもかんでも、走る事を悪いもの扱いしてくる。
そうやって、一つ一つ消去していって、解決していく糸口を見つけながらの生活。
走っている事が悪い分けじゃ無いって事を証明して、そう言っていた人達を見返したい。
勿論、今だっていつ起きるか分からないから怖い。
脳波の波形をとると、実際に今でもてんかんの波形でますしね。
でも今は、社会人になって服薬もせず1度も発症していない。
今まで、隠して過ごしてきてるから解決する方に誘導してくれるような人なんていないから、そういう人がいたらどれだけ気持ちが楽だろうと思ってる。
それは、同じ病気じゃなくても、人間何かしらの病気や不都合を背負って生きてると思います。
勿論、僕なんかよりも大きなものを背負っている方もいますが、人と比べる必要はなく、コンプレックスとかも含めて、完璧だと思ってる人はいないと思います。
先日のセッション受講生の方達の色紙もそうですが、僕に関わってくれた人達が元気になってくれてるのが手に取るようにわかって僕も幸せだし、今までやってきた事に間違いはなかったって思ってます。
だから、
「城戸さんだから出来る。普通は出来ない」
とか、その手の言葉を言われる事も少なからずあるんです。
この言葉、僕にとっては結構ずっし~んと重い言葉なんです。
僕の何を知ってる訳じゃ無いのに、これを言われたらアドバイスしようにも、想いが届かないです。
僕のやってる仕事は、大袈裟って思われるかもしれないけど、その人の人生を変えると思って接しています。
だからこそ中途半端にしたくない。
「良くなったら、その人が頑張ったおかげ。良くならなかったら僕の技術不足」
って、本当にいつも思ってる。
だから、色々提案はします・・・やってもらうのは本人だから。
そこには、信頼関係があるんだと思ってます。
僕が出来ない事は出来ないって言ってあげないと、その人を不幸にするから、そう簡単に出来るとか治すとかって言葉を使いたくないんですが、やってみようと明るい兆しは与えたい。
「何でも治せる」
「一発で解決」
とか、こう言った手のやつ。
一番星の説明にも、そう言うのは一切言わないです。
それでも良くなるように一生懸命考えるし、経過を追っていく中で、痛みが出たり調子が悪くなったりするかもしれない。
でも、それは出くわしてしまった現実。
それを打破しながら、一つ一つ超えていくつもり。
今まで関わってきた人達が少しでもランニング人生が有意義なものになってくれていれば、僕も本望なので。
ひとまず、別府大分毎日マラソンが終わり、大きな一つの壁を乗り超えた気持ち。
ちょっと突っ走ってきて、色々と思う事があったので、まとめてみました。
だから、別大に向けての練習で、1ヶ月に320km走ったのも、結構勇気のいる練習だったんです。
こんな人間もいて、何かがむしゃらに悪足搔きして、目標に進んでいる人もいるんだなと思って勇気を与えられたら、公開した意味があるのかなと思います。
とりあえずガチなフルは未設定なので、また福岡国際の為に気持ちが切り替わったら、また再スタートしたいと思ってます。
フルマラソンの挑戦は、自分自身の病気に負けない意味でも、挑戦し続けると思います。
打ち上げ等で、みんなと美味しいお酒を飲みたかったりするのですが、お酒を飲んで酔う感じが、発症する前兆に似てるので飲みたくても飲まないんです。
でも、そんな打ち上げの場は大好きです。
こんな人間なので、これからお誘いがあったら断りたくないのですが、お酒を飲まなくて良ければ誘ってください。
話の締め方が分からないですが、この辺で。
これが、なかなか人に言えずに、中1から20年間近くずっと黙ってきた事。
これで全てでは無いけど、とりあえずおわり。
長々と最後まで読んで頂き有難う御座いました。