午後、ふと時計を見たら、14:46だった。
2年前のその時、私は東京の曙橋の上で渋滞中の車の中だった。

揺れた。
東京は地震が多いので最初はそれほど驚かなかった。
でも、ものの数秒後には今まで経験したことの無い揺れに文字通り動揺した。

地震が起きたら車を路肩に止めてキーをつけたまま…と、ラジオの防災何某で普段からよく言ってたが、みんながそれをちゃんと実行するなんて、東京人がちゃんとしてるのか、日本人がちゃんとしてるのか、変に感心したのを覚えている。

車から降りたは良いが、橋が大きく揺れてて、立ってるのも大変だった。
見上げると周囲のビルがゆらゆらと揺れていて、さすがに尋常ではないことに気付いた。
今に曙橋がくずれ、自分は車と共に落ちて死ぬのではないかと思ったが、覚悟を決める前に揺れは少しずつおさまって行った。

そんな時に、携帯に会社の後輩から電話が来た。
道が混んでてお客さんの約束の時間に間に合わないからどうしましょう…とかいった内容で、それどころじゃないだろ!と怒鳴って切った。
それっきり携帯の電波はつながらなくなった。

揺れが収まり、橋も周囲のビルも崩れず、車も動き出し、自分もその流れに乗った。
靖国通りの沿道は、ヘルメットや防空頭巾、座布団なんかをかぶった人々でごった返していた。
ところどころ、ガラスが割れたりはしていたみたいだが、それほどの惨事にはなっていなかった。

ひどい揺れだった(震度5強だったなんて知ったのはずっとあと)が、東京は何とか無事だったな…
と、秋葉原でJRのガード下にさしかかった時、強烈な余震が来た。
頭の上の線路の軋む音が車の外装を通して聞こえてくる。
さっきは橋から落ちて…だったが、今度は上から線路が落ちてきて死ぬ!と思った。
逃げ場も無くひたすらハンドル握りしめていたら、やがて余震は終わった。

東京の街は想像以上に強かった。
人も車もパニックにもならず、大したもんだと思いながら、ようやく勤務先の会社に戻った…


古い社屋の外壁に大きなひびが入り、ビル全体に黄色の「Keep Out」のテープが巻かれていた。
数十人の同僚がビルの周囲を遠巻きに眺めている。
上司を見つけて車の窓から状況を尋ねたら、何やら凄い剣幕で怒鳴られ、ちょっとふてくされた記憶がある。

大きな揺れを乗り切り、無事に会社にたどり着いたものの、その途中で見たあらゆる光景よりも悲惨だったのがウチの社屋だった。

その後、想像を絶する東北の津波、千葉の火災と液状化、そして福島の原発事故…
最悪だと思った自分の周囲の状況なんて実はまるで大したことがなかったことがわかるには少し時間が必要だった。



あれから2年経った。
ウチの自社ビルは取り壊され、今年新社屋を建設する。
私は震災とは全く関係なく激動の会社員生活を継続中、東京から大阪へ、そして今は北陸の地に異動となり、良くも悪くも惰性の日々を過ごしている。

こんなダメダメな私だが、3月11日は何だか色んな人の声が聞こえる気がしてならなかった。

それは比喩的なものでもなく、勿論オカルトやスピリチュアルなことでもない。

私は生きている。

だから声が聞こえたら応えないといけないと思う。





いつか逢おう!

じゃまた!



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