火葬…、兄の自死~のかずママさんの仰るとおり残酷な葬儀、日本人になじみにくい… | あきらめない!日本で唯一最新のがん情報に特化した「月刊がんでも生きる」を発行するヒデさん日誌

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 現在、アメブロ上で最も活発なブロガーさんのお一人、「兄の自死、夫の病死を乗り越えて」というタイトルのブログ主、かずママさんの先月の記事、とっても共感できました。

 

 お兄様が自殺、ご主人を脳腫瘍で亡くされた方ですが、健康体そのものだったご主人が30代の若さで「がん患者」となって亡くなり、火葬された直後の感想記事です。

 

 数時間前まで若々しい姿で眠るように安置されていた遺体が、まさに「無残」といいたくなるような「骨だけの姿」で戻ってくる…。ご家族での拾骨(しゅうこつ、骨上げともいいます)に、小さいお子さんたちまで立ち会わせていいものか…、かずママさんの逡巡の思い、とっても理解できます。

 

 私も祖父祖母、そして今年に入っての父も含め、何度も火葬に立ち会いましたが、かずママさんとほぼ同じ思いを繰り返しました。とくに高校時代に自死した友人の火葬は衝撃的でした。若い人の骨はほとんど灰になることはなく、そのまま、まさに「骨」のまま、戻ってきます。理科室に展示されている「骸骨」そのもので、その「生き生きとした骨」を触ることがはばかれるような感じでした。「拾骨」の際は、かずママさんのご主人同様、ハンマーまで使用されていました。拾骨に立ち会う火葬場の担当者さんの、あの手慣れた手つき…、お仕事だから仕方ないかもしれませんが、まさに「作業」でした。

 

 日本の葬儀は有史以来、土葬が続きました。飛鳥・奈良時代に仏教が国家宗教となったことを契機に、火葬が導入されましたが、天皇や貴族など上流階級にほぼとどまり、一般庶民の間では土葬が主のままでした。

 火葬は仏教との結びつきが強く(仏教の発祥の地のインドが火葬文化だったため…)、鎌倉時代に庶民仏教といえる浄土宗や日蓮宗が登場したことで、一般に広がりはじめ、定着したのは、檀家制度が敷かれた江戸時代になってからでした。

 明治時代になると、公衆衛生上の理由(インドでは当初からその理由だったと思われます)が加わり、火葬は法律的に「ほぼ強制」となってしまいました。

 

 ただ視覚的にも、「残酷」「無残」といえる火葬へのこの国の一般庶民の反発は根強かったようで、北日本や日本海側など、「中央集権政治の目が届きにくい」地域では、戦前まで土葬がひそかに続いていました。

 本ブログの読者さんが「感動した」とコメントされていた、「にっぽん縦断こころ旅」がとりあげた鳥取県の両墓制は、土葬が「根強く、ひそかに続いた」代表例といっていいでしょう。なんとか、土葬が少しでも復活、広がる道はないものか…。機会があればまた触れてみたいと思っています。かずママさん、改めて名ブロガーさんですね。