働き方改革という言葉、もう何年前から使っているのだろうか。

 

教育界では、昨今、部活動を外部委託しよう、という議論が起き始めている。勤務時間を減らそうという試みからなのだろうと思う。働き方改革の試みの一つとして、それが実現されれば一定の効果はあると思う。

 

しかし・・・日本中にいくつの学校と、いくつの部活動があるのだろうか?

100%、外部委託なんて、無理。

 

「机上の空論」と思います。

 

 

山梨県で白骨遺体が発見された

付近で、20センチの靴が発見されたとのこと

 

3年前の小学生がいなくなった事件と関連視されているが

 

その保護者の気持ちを考えると、居た堪れない。

 

報道関係の皆さん、どうか関係する方々の心の傷に塩をすりこむようなニュースを出さないでください。お願いいたします。

教師のバトン、というハッシュタグがある。

教員希望者の減少に歯止めをかけるために文科省が作った。

教員採用試験の倍率も下がり、今や誰でもなれる(誰もなりたくない?)職業になりさがっている。

 

現役教師にとっては、哀しい現状である。

そんなに嫌な仕事なのかな?

たしかに残業時間は毎月80時間は超えている。人間関係の難しさもある。生徒、保護者、上司、同僚・・・。

まあ、人とのつながりだけで成り立っている職業だし、それも有りかと思っている。

 

でも若い人たちが離れていく魅力のない仕事であるならば、そこは改善していくべきではないのだろうか。

明るい話題、希望の持てる話、未来を語れる #教師のバトン を発信できる働き方改革を本気で行うよう、文科省はじめ各行政機関の頑張りに期待している。

 

 

 「県は旅館〇〇

の〇〇代の〇性従業員〇人の感染を発表」「〇〇立〇〇小学校で児童〇人とその家族〇人の感染が判明」「〇〇病院では○○代の入院患者と職員の感染が分かり、クラスターは患者〇〇人、職員〇〇人」「県によると、クラスターが発生している〇〇病院に勤務する〇〇代〇性看護師。同病院の感染者は計〇〇人」「〇〇市は、さきほどから記者会見を行い、〇〇高校でクラスターが発生したと発表」「〇〇大学の学生〇〇人がコロナウイルスに感染していることを発表」「コロナ感染は〇〇市に住む〇〇代男性と〇〇中学校の〇子生徒〇人」「〇〇市に住む〇〇学校〇〇部顧問が感染したことが判明」・・・・

 

 今日、思うことがあって、「コロナ 感染 ニュース」と検索してみたら、上記のような記事が、次々と出てきた。これでも、ほんの一部である。これらの記事を読んで、気分が悪くなってきた。吐き気がした。(もちろん、〇〇には病院名、学校名、旅館名、部活動名、市名の実名が入り、何歳代などの年齢や男性女性の性別も記載されていた。)

 

 旅館や病院名、学校名の実名報道。

 

 なぜこんな検索をしたかというと、昨日、本校の職員打ち合わせで「生徒たちに、ぜひコロナ感染に関する差別や偏見を取り除く教育をお願いします」というような趣旨のお達しがあった。もちろん、そのとおりである。が・・・・。さて、どうしたら差別や偏見を持たない生徒たちに育てることができるのだろうか。毎日のように、新聞やニュースで、感染者探しが正当化された報道が横行している、このコロナ禍で。

 

毎日のようにコロナ感染に関して施設実名報道がなされ、どうみても近所の人なら、個人名も特定されそうな内容である。

 

考え方は人それぞれであると思うので、ここからはあくまで私個人の考えである。

コロナ感染したい人はいないと思う。恐怖を感じながらもコロナ患者を受け入れる病院の職員も患者も、政府が推奨するGO TO キャンペーンを強いられる旅館の従業員も、何の前触れもなく急な休校措置を強いられ、卒業式も入学式も修学旅行も遠足も運動会もコンクールや各種大会もすべて中止されて、大きな声で音楽の時間に歌うことすら禁止されて、友達との会話も制限され、顔にはマスクとフェイスシールドを付けさせられ、給食は無言で全員前向きで座ってお通夜のように食べさせられ、授業内容をぎゅうぎゅう詰めされている小学生も、中学生も、高校生も、大学生も、教員も、だれも感染したくないと思っている。みんな我慢に我慢を重ね合わせ対策を取っている。それでも、感染してしまう。それが、感染症である。その人たちを責めては絶対いけない。その人たちの個人名が特定されそうな報道を、地方自治体、マスコミなどが堂々と、全国に、さらしている。これこそが、いじめ、偏見、差別の温床ではないのか?私の考えすぎ?もちろん、感染拡大の防止には、施設実名報道は必要だ、という人の考えもわからないわけではない。

でも、考えてほしい。個人名が判明した人のこれからの人生はどうなるのか。どれだけ、周りからバッシングされ、差別され、SNSで写真を拡散され、偏見を持たれながら生活しなければならないのか。差別や偏見がなくても「いつ差別されるのか、だれかが偏見の目でみているのではないか」と考えてしまうこともあるだろう。そのつらさを想像し理解していながら、自治体、マスコミ等は報道しているのだろうか。それとも、「日本全体の安全を守るためには、個人なんて、どうでもいい。公共の福祉だ」なんて、思っているのだろうか。違うだろ。特に学校や病院、旅館なんて、閉鎖された空間だもの、実名報道しなくても限定された人をPCR検査することは、可能である。医者も職員も旅館の宿泊者も生徒も保護者も教師も、みんな連絡とれるんだし。

 

不特定多数が出入りする施設でクラスターが発生し、施設実名を公表して「そこに行った人は、こちらではまったく把握できないので、ぜひ自ら検査を受けてください」なら、百歩譲って理解できるが・・。

 

「コロナウイルスのクラスターが発生した場合、鳥取県知事が独自に施設名を公表、使用停止を勧告できるとした条例が25日の県議会本会議で、全会一致で可決、成立。全国初の取り組み。」と、今日、ほこらしげにニュースで称賛されていた。間違った方向で、この条例を利用しないことを強く望む。

 

 

 

ブログ更新しばらくしていませんでした。とっても忙しくて(なんて言い訳ですが・・・)。自分のブログが無くなっているかも、と思いながらも、自分の管理ページを2年ぶりに開いてみると、今もなお、読んでいただいている方がいらっしゃることを知り、なんか申し訳なく思いまして、書くことにしました。

 

とーっても忙しい2年間でした。某国の首相は「働き方改革」とかなんとかいっているようでしたが、それに反論のブログも書く時間も気力もないくらい、多忙でした。

 

このブログでのペンネーム「runesuta」ですが、ちょっとお薬に詳しい方なら、ご存じかと思いますが、「睡眠薬ルネスタ」をローマ字で書いたものです。このブログを書き始めたきっかけを徒然に書かせてください。当時、多忙に苛まれ、心身ともに壊れ、睡眠障害になり、心療内科に通いました。毎日、朝6時半から、夜9時10時まで働き、疲れているのに夜眠れない。私の担当医の所見は「強迫性障害、不安神経症」。薬は「ジェイゾロフト」「ルネスタ」。薬がうまく効き始めるまで、なかなか寝付けない夜が続きました。だからこのブログの題名も「眠れぬ夜の・・・」にしました。どうせ眠れないのなら、ブログでも書こう。おかげで少し、心の憂さ晴らしができました。その時「俺はルネスタによって生かされている」と思いペンネームにしました。ひどいときは、1週間続けて、1~2時間の睡眠の時間の時もありましたが、しばらくして薬のおかげで5時間くらい寝れるようになりました。でも、今でも飲み続けなければなりません。

 

こんな感じでブログを始めたわけですが、今またその繰り返しになるくらいの多忙さに「これはマズい。やっと薬のおかげではあるが、睡眠できているのに、また逆もどりしてしまう」との危機感が生まれてきました。(この危機感が生じたということは、まだ自制心があるのでしょう。この危機感が生じない人は自殺までいってしまうのでしょうね。)

 

人って、だれかに愚痴を言ったり、文句を言ったり、することで、心の破裂を防ぐことってあるのだと感じています。どうでもいい愚痴や怒りを、このブログに書き込んで、そして、日本のどこかで誰かが読んでくれる。それが、自分の発散になっていた。そして、その方々のおかげもあって自分が自殺することなく、ここまで生きることができた。こんなブログの使い方をする人間がいたっていいじゃないか。と勝手に思っている。

 

時々、ブログを書くくらいの余裕をもった生き方に戻ろうかな。