今日(日付変わって昨日)の小林麻央さんの訃報をうけて…
全く会ったことも、かすったこともないような、本当の赤の他人の訃報なのに、なぜか身内が亡くなったかのような気持ち、思考回路に至っています。
(もちろん遺族の皆さんにおいては、さらなる深い悲しみの中にいらっしゃると思います)
平たい言い方をすれば非常にショックを受けているという状態にあると思います。
でもそんな言葉じゃ片付けられないような感じ。
そんな自分を客観視して見る自分もいて…
色んな事に考えを巡らせた結果…
どうしたって私たちは…
非日常=非現実
日常=現実
という風に考えがちだと思うんですが、
それって実は逆じゃない??
という考えに至りました。
リゾートなんかを「非日常の空間」なんて言い方もしますが、
私は、「現実」と考えがちな、普段の一見なんでもないように積み重ねられるこの時間こそが「非日常」だと思いました。
誰か大切な人を亡くしたり、
病気の宣告を受けたり、
自分の人生が終わってしまうようなことになったり、
また、
それに相当する絶望を目の当たりにしたとき…
そんな時こそが、「現実」なんじゃないかと。
「現実」を目の当たりにした時、「日常」と呼ばれるようなことが「非日常」である事に気付き、
「なんで今まで1秒1秒を大切に生きなかったんだろう」
って、「日常」であるはずだった「非日常」の尊さを痛感するんだろうな…と思いました。
なんだか、今の私の気分は限りなく「現実」を目の当たりにした時の気分にすごく似ています。
よく軽はずみに
「1日1日を大切に生きよう」
なんて言ってしまってるけど、
そんな考え方から考えると、非常に薄っぺらいこと言ってたなぁ、なんて反省してしまいます。
「非現実」を「現実」かの様に生きられている今こそが、とても尊い時間で、愛すべき「日常」なんだなぁと思いました。
小林麻央さんがお亡くなりになった事は本当に哀しい事ですが、この事によって、私はこういう事を考えさせてもらって、より、自分の人生を大切に生きようと思えました。
その死が、少しでも誰かの「気付き」になったり「考え直し」になったりする事が、小さな供養になったりしたらいいなぁ。なんて、勝手ながら思っています。
本当にご本人には安らかに眠って頂きたいと思うし、ご家族においてもポッカリ空いた心の穴が少しでも早く小さな穴になればいいなぁ、と思います。
(…きっとどれだけ時間が経っても、完璧に穴が埋まる事はないと思うから…。)
長々とすいません、
ワケワカメだったら更にすいません。
自分の覚書を晒す様な感じになってしまいましたが、ちょっとでも分かってくれる方がいらしたら嬉しいなぁ。と。