ひょんなことから、最近目の見えない方と接するようになった。

その方と一緒に渋谷の街をあるくこと、そして、屋内を歩く事、によって本当に色々なことに気付かされる。

人ごみの中を歩く事がどれだけ大変なことか、階段を上り下りする事、エレベーターに乗る事、改札を通る事...がどれだけ大変なことか...

少し接しただけですが、私が普段気にも止めていなかった多くの事が大変な事なんだな...と感じました。

そんな中でも、その方はこの間はおせわになりました...といってお菓子を買って来てくれる。
でも、そのお菓子ひとつ買うにしたって、本当に大変なことなのに、そうやって気を遣ってくれる。

同時に、自分は目が見えて、耳も聞こえて、話も出来て、なんだかんだで病気もせずに生きていられている。
色々悩んだり、悔やんだり、もやもやしたりもするけど、

でも、幸せな事に沢山の情報や心を体中で受け取って、こうやって生活できている。
本当にありがたいことだなって。

その上に、話したり、メールしたり、悩みや喜びを分かち合ったりできる人もいて。
曲作ったり、それを世の中に出したり、聞いてもらったりしていて。

本当に、幸せなことなんだなぁ。

いま、私がこうしていられる事は。

普通以上の幸せなんだな。きっと。


そんな事を感じた誕生日前日。

私を産んだ母は当時でいう高齢出産だったので、コオロギみたいに、私を生んだと同時に亡くなる可能性が高かったらしい。

そしてRHマイナスだったので、色々と大変だったらしい。

さらには、私が奇形児になる可能性もあったとか...。

それでも、私がこうやって普通に産まれてくる事ができたのは、それこそ奇跡に近いのかもしれない。

奇跡といえば、簡単そうに聞こえるかもしれないけれど、

沢山の強い願いが私を、こう生かしてくれているんだと思う。

私は生かされている存在です。


なので、この命はもちろん大事にするし、

自分らしさも大事にして、私らしい一生を送りたいと思いました。

人から見たら、それどうなの?って思うような事も有るかもしれませんが、本当にそれが間違っていたら謝るし、そうでないと私が判断したら、わたしは貫くし。

そんな生き方をしたいなと思います。

ママ、パパ、ご先祖様皆さんにありがとうって思います。