私は、渋谷の空を見上げてる。

この瞬間。



どこかでは、命を終えている人がいる。

泣いている人がいる。

人生の岐路に立っている人がいる。

人生最高の喜びを手にしている人がいる。

笑っている人がいる。

企んでいる人がいる。

考え悩んでいる人がいる。

寝ている人がいる。

嫌っている人がいる。

愛している人がいる。



......自分も、そのどこかに存在している。

その中のどれかであること。


全体を計り知る事はできないけど、

少なくとも、

自分が存在すること、

自分の道を歩いているのは自分自身で、

1/1であることは間違いない。



そのなかのどれかであることではなくて、

その中の、「これ」でしかありえない世界。



自分の考えに責任持って、

自分の考えをを愛してあげて、

一番に支持してあげる。

最近、その意味が分かった気がする。



失敗もあるけど、

そこから沢山学ばせてもらう。

二度と失敗しないように、は勿論。

最高の結果を生むための失敗にするのも、自分自身。



自分を愛してあげることの意味。

それは決して、おごりや、甘やかし、過剰な自信ではなく、

自分に最終決定をさせるという事だと思う。

「この答えが最高の結論ですか?」

「この答えにアナタは責任を持てるんですか?」

「この答えが例え間違っていたとして、最悪、アナタの人生がぼろぼろになったとしても、アナタはそれに耐える事が出来るのですか?」

そう、問うてあげる事だと思う。

そして、決定して、そのあと、

そう決定した自分を最大限守ってあげる事だと思う。



だから人は、

「自分を愛せない人は、人も愛せない」

っていうけど。

先述の持論からすると...人を愛すことも、結果的に責任なんだと思う。

私が愛した人には、「私が愛した」という責任が存在する。

だから、自分の最大限出来る事をしようとするし、したいと思う。

恋は盲目だなんていうくらいだから、

恋の最中では「責任」だなんて感じることはないけれど。

漠然と、私はそう思う。



....なんて偉そうに言ってみるけど、

行動が伴わなかったりする。

無責任に愛してしまう事だって、

無責任に優しくしてしまう事だってある。

自分に対してもそう。

無責任に甘やかしたりする。

その方が楽だから。



私は楽したい生き物。

好きな人と、好きな事して、好きにしていたい。って思う。

でも、こんなことを叶える為にもやっぱり、沢山の責任が伴う。

何かをする責任、何かをしない責任。



生きるってなんて、沢山のギフトを与えてくれるんだろう。

生きる喜びを感じながら。

今、この世から飛び立とうとしている人を想う。

さようなら。

ありがとう。