今日は12月6日。
実は私の母親の誕生日
でも、今年は祝えません....。
なぜなら、丁度半年前、私の母は天に召されたからです。
このブログにも笑いを提供してくれた母。
1年前には、まさか1年後に母がこの世を去っているなんて想像もしませんでした。
ちょっと独りよがりかもしれませんが、書かせてもらいますね...(;^_^A
私は、小学校の頃から
「あなたは、ままとお別れするのが早いんだから、一人で何でも出来なきゃだめ。」
と怒られていました。
母は自分の病気が発覚し、この子との別れが普通よりも少し早い事を悟ったときから、私にとにかく強くいなさい、物怖じしないようにと常に言い聞かせていたようです。
だからどんなときでも強くいなければ、と思っていました。
だから母が亡くなったときも、強くいられました。
父が何を話しているかわからないほど泣くところも、祖母やおばがあんなに落胆していたのも、そして母親が冷たくなって病院のベッドで横たわっているのも、私には初めての光景でした。
めちゃめちゃ衝撃的な映像でした。
だけど、やはり私も家族も強く冷静でした。
それは母親のお陰だし、何よりも強い母の血が自分に流れているんだと思いました。
病気のせいで、お腹がふくらんでしまっていても、重たい体をキッチンに肘をついて支え、父の朝食作りをがんばる母。
その1週間後にはそれもできなくなり、朝食がだめだったら、靴磨きくらいは....と玄関で必死に靴をみがいていた母。
大好きだったアイロンがけも出来なくなって、徐々にみんなにしてあげられる事が少なくなった母。
そんな母が、病状が進むにつれ、徐々に私の知らない母になっていきました。
そして帰る度に、覚悟に覚悟を重ねていました。
でも、亡くなる直前まで、先生や周りの看護婦さんに気を遣い、私の方を見ては情けなく笑う姿は、私の母に間違いありませんでした。
そんな母をずっとそばで見守った父や祖母、なんて強いんだろう...と思っていました。
私には出来ないと。
だから、私が北海道に帰ったその日のうちに先生から「会わせたい人がいたら今のうちに....」と言われたときも、目を背けちゃいけないと思いました。
彼女が最後までその人生を全うしている姿を私に見せてくれているのに、その姿を見るのが辛いとかいって、病室を出るような自分ではありたくないと。
本当にプライドが高くて、社交性がないようであって、自分の意見ははっきり言って、家族のためには何だってする強い人でした。
そして私の事を本当に愛していた人でした。
母が亡くなってからばたばたと日は過ぎ、初めての事が多すぎて母が亡くなった事すら誰か他人の出来事のように感じていました。
葬儀屋さんが家に何人もいて、葬儀の打ち合わせをしている姿。
父が知人に訃報を伝える度に泣いている姿。
いつもより白くなった母の顔にお化粧をする私の手。
「こんな下手なお化粧だったら怒られちゃうかな~えへへ」とかいいながら。
「世主さん」とか呼ばれて父の隣で神妙な顔をしてお辞儀をする自分。
「久美ちゃん...」といいながら母の冷たくなった頬をなでる祖母。
四角い箱に入れられて、機械的に移動させられる母?の姿。
それから、1ヶ月2ヶ月と経ち、しばらく北海道に居たんだけど...
サマソニの投票で、皆さんが投票してくれている状況を見て本当にうれしくて、母の事なんて忘れていて。
ラジオのレギュラーも決まって、本当にうれしくて、母の事なんて忘れていて。
姫路の広いステージで歌わせてもらったりして、本当にうれしくて、母の事なんて忘れていて。
東京に帰ってきて、母親と長電話する事もなくなった事さえ忘れていて。
でも、3ヶ月後位からふと一人になると最期のシーンがよみがえってきて。
もっと一緒にお酒飲みたかったなぁ。とか。
今この話伝えたいな。とか。
最期の瞬間どんな気持ちだったのかな。とか。
私の事まだ愛してるかな?とか。
思って。。
思うんだけど、夢に出てくるとか一切なくて。
なんか答えてくれるとか一切なくて。
辛い事があったときも、ドラマみたいに、助けてくれるとかホントびっくりするほどなくて。
多分、死んだ人がみまもってくれるとかないんじゃないかな~っていう結論に今のところ至っていますwww
おーい、ママ、私の事見守ってくれてるんなら、タンスの角に小指ぶつけるぞ!とか教えてよ...。
まだ正直、完璧に立ち直る事は出来ていないかもしれないなって思うし、そんなの一生無理だと思う。
一生、思い出すだろうし、一生涙すると思う。
でも生きていかなきゃいけないし、歌っていきたいし、夢を叶えたいし。
最期まで「後私の仕事はこの子のウエディングドレスを作るだけだわ!」と意気込んでいたけど、
こうなったら、悪いけどそのときはあなたの着たウエディングドレス着させてもらうわ~。
本当に大好きな人でした。
本当にわけのわからない人でした。
本当に面白い人でした。
本当に私の事を愛していた人でした。
本当に私の幸せを願っている人でした。
彼女がこの世にいた時に、私に願った全ての事を私が実現させる事、それが私のやるべきことなのかなと思います。
誰にでも与えられる平等の悲しみだけれど、だからといって小さな事ではないこの出来事。
強く乗り越えて、私の一生が終わるまでの、これからの「母のいない人生」を幸せに歩むべく全うしようと思います。
本当に長くなって申し訳ない独りよがりww
ブログに書いたからといってなんなんだ!って話なんだけど、ずーっと報告できないでいたし....。
おつきあいいただいてありがとうございました。
そしてこれからもぐだぐだですがwwwよろしくお願いします
実は私の母親の誕生日

でも、今年は祝えません....。
なぜなら、丁度半年前、私の母は天に召されたからです。
このブログにも笑いを提供してくれた母。
1年前には、まさか1年後に母がこの世を去っているなんて想像もしませんでした。
ちょっと独りよがりかもしれませんが、書かせてもらいますね...(;^_^A
私は、小学校の頃から
「あなたは、ままとお別れするのが早いんだから、一人で何でも出来なきゃだめ。」
と怒られていました。
母は自分の病気が発覚し、この子との別れが普通よりも少し早い事を悟ったときから、私にとにかく強くいなさい、物怖じしないようにと常に言い聞かせていたようです。
だからどんなときでも強くいなければ、と思っていました。
だから母が亡くなったときも、強くいられました。
父が何を話しているかわからないほど泣くところも、祖母やおばがあんなに落胆していたのも、そして母親が冷たくなって病院のベッドで横たわっているのも、私には初めての光景でした。
めちゃめちゃ衝撃的な映像でした。
だけど、やはり私も家族も強く冷静でした。
それは母親のお陰だし、何よりも強い母の血が自分に流れているんだと思いました。
病気のせいで、お腹がふくらんでしまっていても、重たい体をキッチンに肘をついて支え、父の朝食作りをがんばる母。
その1週間後にはそれもできなくなり、朝食がだめだったら、靴磨きくらいは....と玄関で必死に靴をみがいていた母。
大好きだったアイロンがけも出来なくなって、徐々にみんなにしてあげられる事が少なくなった母。
そんな母が、病状が進むにつれ、徐々に私の知らない母になっていきました。
そして帰る度に、覚悟に覚悟を重ねていました。
でも、亡くなる直前まで、先生や周りの看護婦さんに気を遣い、私の方を見ては情けなく笑う姿は、私の母に間違いありませんでした。
そんな母をずっとそばで見守った父や祖母、なんて強いんだろう...と思っていました。
私には出来ないと。
だから、私が北海道に帰ったその日のうちに先生から「会わせたい人がいたら今のうちに....」と言われたときも、目を背けちゃいけないと思いました。
彼女が最後までその人生を全うしている姿を私に見せてくれているのに、その姿を見るのが辛いとかいって、病室を出るような自分ではありたくないと。
本当にプライドが高くて、社交性がないようであって、自分の意見ははっきり言って、家族のためには何だってする強い人でした。
そして私の事を本当に愛していた人でした。
母が亡くなってからばたばたと日は過ぎ、初めての事が多すぎて母が亡くなった事すら誰か他人の出来事のように感じていました。
葬儀屋さんが家に何人もいて、葬儀の打ち合わせをしている姿。
父が知人に訃報を伝える度に泣いている姿。
いつもより白くなった母の顔にお化粧をする私の手。
「こんな下手なお化粧だったら怒られちゃうかな~えへへ」とかいいながら。
「世主さん」とか呼ばれて父の隣で神妙な顔をしてお辞儀をする自分。
「久美ちゃん...」といいながら母の冷たくなった頬をなでる祖母。
四角い箱に入れられて、機械的に移動させられる母?の姿。
それから、1ヶ月2ヶ月と経ち、しばらく北海道に居たんだけど...
サマソニの投票で、皆さんが投票してくれている状況を見て本当にうれしくて、母の事なんて忘れていて。
ラジオのレギュラーも決まって、本当にうれしくて、母の事なんて忘れていて。
姫路の広いステージで歌わせてもらったりして、本当にうれしくて、母の事なんて忘れていて。
東京に帰ってきて、母親と長電話する事もなくなった事さえ忘れていて。
でも、3ヶ月後位からふと一人になると最期のシーンがよみがえってきて。
もっと一緒にお酒飲みたかったなぁ。とか。
今この話伝えたいな。とか。
最期の瞬間どんな気持ちだったのかな。とか。
私の事まだ愛してるかな?とか。
思って。。
思うんだけど、夢に出てくるとか一切なくて。
なんか答えてくれるとか一切なくて。
辛い事があったときも、ドラマみたいに、助けてくれるとかホントびっくりするほどなくて。
多分、死んだ人がみまもってくれるとかないんじゃないかな~っていう結論に今のところ至っていますwww
おーい、ママ、私の事見守ってくれてるんなら、タンスの角に小指ぶつけるぞ!とか教えてよ...。
まだ正直、完璧に立ち直る事は出来ていないかもしれないなって思うし、そんなの一生無理だと思う。
一生、思い出すだろうし、一生涙すると思う。
でも生きていかなきゃいけないし、歌っていきたいし、夢を叶えたいし。
最期まで「後私の仕事はこの子のウエディングドレスを作るだけだわ!」と意気込んでいたけど、
こうなったら、悪いけどそのときはあなたの着たウエディングドレス着させてもらうわ~。
本当に大好きな人でした。
本当にわけのわからない人でした。
本当に面白い人でした。
本当に私の事を愛していた人でした。
本当に私の幸せを願っている人でした。
彼女がこの世にいた時に、私に願った全ての事を私が実現させる事、それが私のやるべきことなのかなと思います。
誰にでも与えられる平等の悲しみだけれど、だからといって小さな事ではないこの出来事。
強く乗り越えて、私の一生が終わるまでの、これからの「母のいない人生」を幸せに歩むべく全うしようと思います。
本当に長くなって申し訳ない独りよがりww
ブログに書いたからといってなんなんだ!って話なんだけど、ずーっと報告できないでいたし....。
おつきあいいただいてありがとうございました。
そしてこれからもぐだぐだですがwwwよろしくお願いします
