リディア―ドの著で、無酸素トレーニングはどのような方法でやってもよい、と記されている。
距離やスピードを厳密に決める必要もない。
要は、選手自身が酸素負債を抱えるような走りをして身体を追い込んでいき、自分の疲労状態からもうこれで十分だと感じた時に止めればよいのである、と。
いずれにせよ、選手自身がもう十分だ、と感じるところまで身体を追い込めば、得られる効果は同じである。
以上~リデァードのランニング・バイブルから抜粋~
また、リディア―ドはこうも言う。
自分が持っている能力はなにか?
自分に欠けているものは?
何の能力が必要か?(そのレースに対して)
これらをつきつめていけば、自分との対話、冷静に自分を見る目が必要になってくる。
最初に書いた無酸素トレーニングにしても、もう十分だ、という見極めをするのはなかなか難しい。
何故難しいのか?
それは、自分と他を比較したり、数字(タイム)を気にしたり、何本やらねばならない、という固定観念があったり、やりきらないと気が済まないという負けず嫌いな性格であったり、などなど。
もうこれで十分、は一歩違えると、「きついからやめておこう。」と、つまりこれ「自分に妥協した、と考えてしまうことになりはしないか。」と考えるのが日本的。
そこにはどうしても精神論、根性論が顔をのぞかせる、それが日本流の悪い面か。
もうこれでいい、と本数にこだわらない、もうこれだけ追い込んだから大丈夫、とタイムは見ない。
そういう感覚重視のスピードトレーニングが出来るだろうか。
自分に問いかけてもなかなか難しいと感じる。
到達したい位置、つまり目標タイムに向けてどう取り組むのか。
そのためには、自分は今どの位置にいるか?を知ることはとても大事だと思う。
位置を知るために「あなたは今この位置ですよ」と助言してあげたい。
距離やスピードをあくまで一つの目印、目安として示すことで迷わないようにしてあげたい。
それが私が今までの連載物や出版に至った2冊の本に込めている想いです。
ただ、そのことがこれだけで走らねば、の固定観念へと繋がったらそこは本末転倒。
最終的にはトレーニングの意味を考えて、冷静に自分を見る目を持てるようになってほしいなと思います。