(長文です)

1997年神戸で発生した連続児童殺傷事件。
数ヶ月にわたるその事件で、2名の死者、3名の負傷者の児童が出ました。

亡くなった一人の男の子は、無残にも頭部を切断され中学校の校門にその首を置かれました。犯人は被害者の口に犯行声明文をくわえさせ、犯人の名前「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」が書いてありました。
名前の読み方を間違えたメディアに対し怒りの手紙を出したり、特徴的な文字や攻撃的な犯人像を巡って連日テレビで持ちきりでした。

犯人は当時14歳の中学生。


みなさんの記憶にもこの事件は残っているのではないでしょうか?

2015年。その元少年Aは1冊の本を出版しました。
それが『絶歌』です。

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事前に被害者家族に何も知らされないまま発行されたこの本は、その発売方法、内容と大きな批判が元少年Aと出版元の太田出版に対して起こり、書店では店頭に置かないと決めた所もある一方、売り切れが続出する状況が続きました。

少し前から、犯罪被害者の話や加害者の本などを読んでいたので、その流れで私もこの本にたどり着きました。
しかし、そのような背景もあり、大学の図書館でも「研究室で所蔵してあるが貸出を先生から許可されるか分からない」と言われ、印税が発生しない中古本を取り寄せる事にしました。

殺害時については、どれ位正確か分かりませんがWikipediaやそれ以外のWebの方が詳しく掲載されています。

この本には逮捕された時や取り調べ時の元少年Aの動揺や、犯行に至るまでに行った同級生などへの暴力、猫を殺害した時の事が綴られます。
猫の殺害シーンは胸が苦しくなる描写が続き、この感じで被害者殺害も書いてあったら読み進められないかもしれないと思いました。

少年には心の安全基地とも言える祖母の存在がありました。祖母の死を境に大きく変わっていきます。
ネットやメディアでは、母親との関係に問題があったのが原因ではないかと書かれていたものが多かったようですが、少年には犯人像や犯行動機などを計算された発言でコントロールしようとしたところがありました。
当時、精神分析医がやって来て、最初の質問から確信に触れたものだったので、かなり驚き警戒していたようです。
「ヒメアノ~ル」の森田正一が抱えていた性サディズム障害にも共感を持っていたようです。
このことを分析医に見抜かれていました。

社会に偽名で秘密を抱えながらの生活。命日に手紙を書く時に起きるフラッシュバック。決して許されない犯した罪を考えると 当然のことでしょう。
でも、公園にいる若い家族を見て自分の犯した罪を噛み締められるようにもなり、確かに更生もしているようにも思えます。

随分本を読んできたようで、文章表現も一般の人が書けるレベルをはるかに超えた語彙が並んでいます。"自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」"であるとし、自分の話を書きたかったと元少年Aは書いています。

本としては、これだけの事をした人が、実際に自分の心の中を自分の言葉で書き出しているという点において、理解できない部分を理解したいと思う私たちの手助けにはなるかも知れない。
でも、やっぱり理解できない部分が多く、自己陶酔しているような文章表現が気になりました。

今回 私は事件自体について、なぜ防げなかったのか、
どうしたら防げたのかを、読みながら考えていました。
元少年Aは小学校の頃から友人相手に何度も暴力を伴う問題を起こしています。弟にも暴力を奮っていますし、一日1箱のタバコも吸っています。
周りが気づかなかったとはいえ動物虐待(猫の殺害)も何度も起こしてます。
一日一箱のタバコを買えるだけのお金はどうしていたのか?タバコの臭いなどからも喫煙は分かっていたのではないか?
家族やそれ以外の大人がもっと本気で関わりあえるチャンスはあったのではないか?

本人の手記からは母親に対する憎悪や愛情不足は感じませんでしたし、家族の中で極端に愛情が足りなかったということも内容に感じませんでした。
病的なものが原因であるなら、然るべきお医者さんやカウンセリングにきちんとかかるべきだったとも思います。

加害者少年の両親の手記もかなりの批判を浴びているようですが、被害者家族の手記と併せて 引き続き読んでみようと思っています。