昨年8月 陸前高田に行った。

関東に住む子供たちに、3.11 この震災の現実を見せるためだった。

私自身も、映像や新聞では伝わらない真実を見て、はかりしれない衝撃を受けた。

あれから、石巻・東松島・南三陸・・・と、友人の紹介や様々なツテで、ボランティアに行かせていただいた。

福祉(介護や支援)が、「させていただく」

「介護させていただく」

「支援させていただく」

ものである、と、かつてヘルパーを取得する時に、先生がおっしゃった言葉。

この言葉に集約されると、常々考えていた。

ボランティアは、福祉的に言えば

「ボランティアさせていただく」もの。

「してあげる」ものでも、「している」ものでもない。

自分が まず いる。きちんと 自分がいる。

ボランティアすることで、心を埋めるものではない。

まして、ボランティアすることで、「ありがとう」と言われたい、から。

言われるために するものでもない。

(某ボランティア組織から聞いたことがある。

『「ありがとう」という感謝の言葉を求める者が多すぎる。』

また、別の ボランティア組織では「ありがとう」という言葉を言われないと、機嫌が悪くなる者がいて、困る。」と。

残念ながら、女性に多いと、ずいぶん昔に聞いた)
仙台市は、緑ヶ丘団地を災害指定地区に認定した。ここは、かつて宮城沖地震でも、大きな被害のあった地盤が、とてもよくない団地だ。

津波を受けていない土地で、初めてのことだと 報道があった。

離れた土地に住んでいらっしゃる方々には、すでに3.11は、過去のことかもしれない。

しかし、まだまだ 現実。いや、おそらく これから メンタル面でも、経済的にも、大変なことが たくさん起こるだろう。

「仮設に住んでなければ、被災者でない。そんなこともわからないのか。」というようなことも、言われたことがある。(もちろん、東北の人間ではない)

石巻で 三日間、家が流されて、ヘリコプターで助けられた友は、昨年4月に、この街を離れ、今は 別な土地で生きている。

友の想像を絶する体験を思う時、私は 離れても生きていてくれるだけでありがたいと思っている。

津波は受けていないが、住んでいる団地の地盤沈下で、家が傾いたが『一部損』認定しか受けられず、今にも倒れそうな家に住んでいる友もいる。

仙台空港で、命からがら逃げて助かり、何時間もかけて歩いて家に帰り(車なら3時間くらい)、たまたま家は無事で、元の生活に戻れた者もいる。

福島の友は神奈川に疎開していたが、今は自宅に戻って、南相馬で子育てをしている。

南三陸では、ある商売(店)をしていた友は、すべてを失った。

子供と二人、「店が無くなるのを、親に見せなくて良かった」と、言われた。

ご両親を、次々と失った後に津波で店を失ったのだ。

「親が、生きてなくて良かった」と言われ、言葉は無かった。

もっと もっと いろいろ ある。

津波を受けただけが被災ではなく、崩れゆく家々に囲まれて生活するのが精いっぱいで、家を治せない者は、一人や二人ではない。

それでも、現実を知らない人々に説明するのは難しい。

そして、被災の現実を知らないからといって、実際に体験していない人々を責めるわけにはいかない。

わからないことは、わからないのだから。

荒浜 様々な思い入れ 様々な人との繋がりがあって、この一年半、近いのに、怖くて どうしても行けなかった。

今日、やっと 墓参りのために、幼い時にかわいがってもらった、育ててくれた おじさん と おばさん の墓参りに行ってきた。

墓自体は、海より離れていたため、泥(津波)が1メートルくらい入って、やっと、お寺と墓を治し、掃除し終わったという。

長く来れなかったことを詫び、手をあわせてきた。
・・・境内の木々や花々は、枯れ果てていた、塩にやられて。

帰りに 荒浜一帯を 少しだけ見てきた。

まだ、立ち入り禁止区域があり、荒浜小学校までは行けなかった。

車から見た荒浜は、私が知っている、何度も何度も、数えきれないほど行った荒浜ではなかった。

一年半 しかし 仙台平野の復興は あと何年かかるのだろう。

人々の心は、いつか癒えるのだろうか。

私の ワガママだが あえて言ってしまう。

心のないボランティアは いらない。

仮設以外でも苦しんでいる人はいる。

家が無事でも、違う土地に住んでいても、あの震災は、まだ過去のものではない。

福祉の勉強をしている。

臨床心理士やソーシャルワーカーの先生たちから、何度も被災地のことを聞いている。

「この震災は、いままでのことが何も通用しない。長く臨床心理士をしていて、自分が何もできない。と感じたのは初めてだ。」

と言った先生がいた。

そう、避難所にいる時期を、心理学的には「ハネムーン期」というそうだ。

まだ実感が無い。みんな同じ。力を合わせ、協力し、リーダーとして活躍する人もいる。

しかし、避難所を出た時から、現実が始まる。

ハネムーン期に訪問した後、離れてしまった人々に、今の現実をわかってもらうのは、難しいだろう。

2年目。私たちは、何ができるのだろうか。

私は「がんばろう」も「絆」も好きではない。

心から一生懸命な方には申し訳ないが、

「がんばろう」

もう、ず~~~~~っと  頑張ってます。

もう「がんばろう」 というの 許してもらえませんか?

これ以上 頑張れない人たちだって 山ほど いるんです。

「絆」 見せかけの 言葉はいりません。

知ってますか?

「同情するなら、金をくれ」という 有名なせりふのドラマ。

もう そろそろ 現実に苦しんでる人たちのことも、考えましょうよ。

ハネムーン期は、とっくに終わりました。
先日 福祉の先生から、長渕のアルバムからの歌を紹介された。

ビデオを見ながら、泣き通しだった歌は

「愛おしき死者たち」

でした。

ありがとう。
まだ、人間を信じられそうです。