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4月から中学3年生になった娘。
小学6年生の夏から、自傷行為、自殺企図、希死念慮があり児童精神科を受診。うつ病との診断で内服治療を続けていましたがなかなか回復せず。
中学1年生の時、約半年間の入院をしました。
娘が6歳の時、父親は病気で亡くなり
母親の私と現在大学生の息子、娘の3人で暮らしています。
主に中学3年生になった現在の娘の様子や日常を綴っています。
引き続きどうぞよろしくお願いします。
先日
学校から10月の予定表のプリントをもらって来てるかな❓と、娘のバッグの中を探していた時に見つけたプリント。
授業で使ったであろうそのプリントにはいくつか設問があり、その1つに
【 あなたは将来家族の介護はしますか? はい いいえ
その理由も書きましょう】
というものがあり、娘は はい に丸をつけていて、理由はこう書いてありました。
『 私の体調が悪かったとき、いつも優しく介護してくれてるからです。私が入院したときも、私の事を一番に考えてくれて、私が欲しい物、やりたいことを全部叶えてくれました。その時私は一生をかけてこの恩を返さなきゃなと思いました。』
これを読んで、何とも切ない気持ちになってしまいました。
最後の一文
一生をかけてこの恩を返さなきゃ・・・
って、
そんな一生なんてかけてくれなくていいんだよ
恩だなんて、親子なんだからそんな言葉使わないでよ・・・
まず、そう思いました。
私に迷惑をかけてしまったと、その責任を強く感じているように思えたんですよね
あと、介護じゃなくて看病ね・・・
そしてその後思ったのは
これってプリント提出したやつだな。(見ましたのスタンプがあった)
てことは、少しでも先生の印象良くして成績アップを目論んだあざとさ含んだ文なのか!?
本心か計算か!?(笑)
娘は、小さい頃からよく風邪を引く子で、生後3か月にして風邪を引きました💧
母乳だったんですけどね
喘息気味で、風邪を引くと咳が酷く息が苦しそうになり、そうなると休日や夜間を問わず、急いで病院に行ってはよく吸入をしてもらっていました。
咳をしてはよく母乳を吐いていました
上の子は一度幼稚園の時に、咳が酷く出て夜間救急に行った際に、喘息の発作と言われ そのまま入院になったことがあり
息子の喘息は後にも先にもこの一度限りでした。
夜だったので少し様子を見て、その後相談窓口に電話をしてみたり(いつまで経っても繋がらなかった) 相談窓口が繋がらなかったので、夜間救急の病院を教えてもらえる窓口に電話をして、教えてもらった病院に急いで連れて行ったのですが、この状態だったら救急車を呼んでいただいても良かったですよ と先生に言われ・・・
息子に申し訳なかったと
様子なんて見ずにすぐに病院に行くべきでした。
なので娘の時は早めに病院に連れて行くようにしました。喘息は様子を見ていても落ち着いてはきませんね。苦しいだけです。
大きくなるにつれ、風邪もあまり引かなくなってきましたが、それでも風邪を引くといまだに咳が酷く出て喘息発作のようになってしまいます💦
修学旅行にも念の為吸入器は持って行きました。
入院に関しては
6年生の時は精神的なストレスから歩けなくなり
(リストカットをし縫合してもらい抜糸をする頃)
赤ちゃんの頃から救急でお世話になっている総合病院に急いで行きそのまま入院。
私は朝早く娘が起きる前に病院に行き、娘のトイレ介助や、洗面、朝ごはんの手伝いをし
初めは立ち上がることすら出来ず、握力もなく箸が持てず、スプーンとフォークでやっと食べていました。
そのまま仕事に向かい、仕事が終わったらまた病院へ行き、娘が寝るまで付き添っていました。
入院中は幻視、幻聴、幻臭もあり、身体がビクッ、ビクッと痙攣し出したり、特に夜になると症状が出てきて怯えていたので、そんな娘を一人には出来ず
看護師さんも夜間は少なくなってしまうので
深夜、娘が眠りについてから、看護師さんに声をかけ帰っていました。
幻臭はこの入院した時の数回だけでしたが、
"血の匂いがする。イヤだ、血の匂いがするの"
そう言って怯えていました。
"血の匂い⁉️
嫌だね、血の匂いなんて・・・。
じゃあ明日ママの香水持ってきてあげるからそれつけてあげるね"
そう言って次の日、夜寝る時に枕の上にタオルをおいて、ほんの少し香水をかけて
"いい匂いでしょ❓
これでもう血の匂いはしないと思うから大丈夫だよ"
"うん、いい匂い"
そうやって何日か香水をつけてあげましたが、その後は血の匂いがするとは言わなくなったので、香水もつけなくなりました。
幻視で見えたものが、血だらけの女の人だったりしたので、そこから匂いも感じたのかも知れません。
その時は病室の真っ白な壁に色んなものが見えていました
中1になり、今度は児童精神科に入院しました。
ここでは当然付き添いはなく、面会も週に一度の15分間。
コロナの影響でその後は週に一度の面会すらタブレットやスマホでの面会になってしまいました。
スマホもWiFi使用も禁止だったので、娘との連絡手段は週一回の面会時と、娘が病院の公衆電話からかけてくる時のみ。
その時に欲しい物をリクエストされ、週末毎にSwitchのゲームソフトを買って持っていったり、漫画本や映画のDVD、音楽のCD、歌詞を見たいと言うのでプリントアウトしたものを持っていったり、レターセットや折り紙や洋服、
食べたいお菓子や食べ物(主食にならないもの)を持っていき、
入院中、私に出来ることはそんなこと位しかなくて・・・。
外泊の許可が出た時には
縮毛矯正をやりたいと言えば、先生に許可をもらって美容院の予約をして連れて行き、本を買いに行きたいと言えば本屋さんへ行き、食べたいと言っていたお寿司をテイクアウトしたり
コロナ禍だった為、外泊時も基本外出は控えるように言われていました。
死なないで
生きて欲しい
ただそれだけを思って、娘の要望には可能な限り答えてきたつもりです。
お菓子の差し入れひとつにしても、これを食べてほんの少しでも
美味しいと思って笑顔になってくれたら・・・
【どうか死にたい気持ちが消えますように】
【生きたいと思えますように】
【笑顔で過ごせますように】
もう、たかだかお菓子ひとつにも私のこの思いを込めていましたね💦
そばにいてあげることが出来ない代わりに
差し入れひとつひとつに、親は精一杯の愛を込めて、良くなりますようにと願いを込めて、我が子の喜ぶ姿を思い浮かべ選び、買い、持って行くんですよね。
あの頃は本当に苦しかった
『私が欲しい物、やりたいことを全て叶えてくれた』
とは、この事を言っているんだろうな と思います。
一人暮らしをしたいとか、引越ししたいとかも言っていて・・・ さすがにそれは無理でしたが
後日、外食した時に
娘にこのプリントのことを聞いてみました。
"ねぇ、この前プリント見たんだけどさ、親の介護はしますか❓ってやつ。
A、ママの介護してくれるんだよね❓ ママあれ読んで感動しちゃったよー "
介護をするとかして欲しいとかしなくていいとか
そんな先の話はその時になってみないとわからない事なので、今は何も考えていません。
これは入院中の内容が含まれていたので思い出して苦しくならないようふざけた感じでわざと言ってます😁
"あれ、私なんて書いてたっけ⁉️"
あ ・・・ 覚えてない!?(笑)
"えっと、体調が悪い時には優しく看病してくれて・・・
・・・・・・・・・
一生をかけて恩を返したいって書いてあったよー "
"ま、まぁ、そうそう(笑)
評価に入るみたいだったからさ
あ、いや何でもないよー(笑)"
あざとかったかーーー(笑)
まぁでも、感謝はしてくれていると思います(笑)
私もそれは感じます。
親だから当たり前なことをしただけと言えばそうなんですけどね💦
でも、一生かけて恩を返さなきゃと思ったというのは、大袈裟に書いただけであって欲しいな
テスト以外でも、提出するプリントやワークも成績に入るものは全て頑張っている現在の娘です