敬愛する 中村うさぎ さん。
この人は
『女という自意識/自我』という爆弾を抱え
右往左往し苦悩する 全ての悩める女達へ
声を大にして叫んでいる人。
自身も苦悩に苛みつつ、大小様々な なまめかしい傷を
絶えまなく作り続け それを 曝しながら
同胞に 大声で 呼びかけ続ける。

『女であることに肯定的で♂からの女扱いを享受する自分』と
『女であることにうんざりして♂からの女扱いに嫌悪感すら覚える自分』
どちらも本当の自分。
中村うさぎの同胞である女達は、
分裂した自己を抱え、矛盾に悶え苦しみながら生きている。
そんな『引き裂かれた女たち』を 苦しみから救う手立てはあるのか・・?
彼女の 一見ド派手でエキセントリックな言動、立ち振る舞い
からは想像もつかない程の
高い知性と鋭い洞察力、考察力、そして秀逸な文才を
中村うさぎ という人は 持ち合わせています。
綺麗な事ばっかじゃないよね 世の中。
綺麗な事ばっかじゃないよね 男も。女も。
少なくとも私は 中村うさぎの言う
『引き裂かれた女達』に属すると 自覚しています。
身も心も原形をとどめないって程 踏みにじられても
それでも 辛うじて 消えかかってる 自我を抱え
必死で這い上がろうと 伸ばした手を、
更に 泥靴で踏みにじる。
そんな♂達が 憎かった。
露骨に言うと、倫理観を完全に無視し、
当然の如く『性的弱者』という役割を強要する♂達が
憎くて 憎くて たまらなかった。
私がある大事な分野で この年になっても
『主体性』を持つことに 違和感を覚えるのは
上述した内の とあるトラウマチックな経験から来ているのでは、
と思うのです。
そして、その忌々しいトラウマの呪縛から
未だ 完全に逃れられずにいる
自分の弱さと 鈍臭さに 悉く嫌気がさし
嘆息させられるのです。
今の時代。
上述したタイプの♂達に 絶望と諦めを覚えた女達は
悟っているんじゃないでしょうか?
白馬に乗った王子様なんて居やしない。
自分を救ってくれて 幸せを与えてくれるのは
誰でもない『自分自身』。
そして。。
自分の良き理解者となってくれるのは 異性のパートナーでなく
同胞である『女達』だと。
だから ある意味、このタイミングで
『女子会』ブームにも 火が点き
オネエ文化も 開花してるんだと思いますよ。
私の周りには オネエ達を まるで迫害するが如く
憎悪感を露わにする♂達が数多くいますが(特に団塊世代)
そういうタイプは勿論 男尊女卑思考の強いタイプ。
こっちが げんなり。
こういうタイプの♂達に私は 自我と主体性を
踏みにじられてきたんだ、と思うと 激烈な怒りが
沸々と湧き起こってくる次第です。
この程 再び話題になった 『東電OL』のNEWSを
見聞きし 思いを馳せらせずにはいられません。。
私は 数年前、中村うさぎさんの著書中にて
東電OL事件について 知りました。
彼女は 単に性に放埓で ふしだらな娼婦だったわけではない。
彼女を取り巻く無機質な社会空間の中で
『女である事』という自意識/自我 に苦しみ
葛藤する中で 見出し、得たかったものがある。
それは『自尊心の回復』ではなかったのだろうか、と
中村うさぎさんは 自身を投影しつつ 考察しています。
『主体性をもっての自己実現』。
これですね。あの時代を生きていた彼女は、
これを 死ぬほど渇望してたんじゃないでしょうか。
このところ、『フェミニズム』の世界に
身を投じつつある私にとっても この『引き裂かれた同胞』
が辿った悲劇の意味は 深淵で 沈吟に値するものです。
※一部、男性批判めいた(というか完全に『男性批判』か。。)
記述があり、不快に思われた方々申し訳ありません。
でも。 私個人の率直な考え、気持ちなのでご理解の程
宜しくお願い致します。
また、私が『男性全てに対し』嫌悪感を抱いているというわけでは
ございませんので、どうか誤解のありませんように。。m(__)m
*るな*
この人は
『女という自意識/自我』という爆弾を抱え
右往左往し苦悩する 全ての悩める女達へ
声を大にして叫んでいる人。
自身も苦悩に苛みつつ、大小様々な なまめかしい傷を
絶えまなく作り続け それを 曝しながら
同胞に 大声で 呼びかけ続ける。

『女であることに肯定的で♂からの女扱いを享受する自分』と
『女であることにうんざりして♂からの女扱いに嫌悪感すら覚える自分』
どちらも本当の自分。
中村うさぎの同胞である女達は、
分裂した自己を抱え、矛盾に悶え苦しみながら生きている。
そんな『引き裂かれた女たち』を 苦しみから救う手立てはあるのか・・?
彼女の 一見ド派手でエキセントリックな言動、立ち振る舞い
からは想像もつかない程の
高い知性と鋭い洞察力、考察力、そして秀逸な文才を
中村うさぎ という人は 持ち合わせています。
綺麗な事ばっかじゃないよね 世の中。
綺麗な事ばっかじゃないよね 男も。女も。
少なくとも私は 中村うさぎの言う
『引き裂かれた女達』に属すると 自覚しています。
身も心も原形をとどめないって程 踏みにじられても
それでも 辛うじて 消えかかってる 自我を抱え
必死で這い上がろうと 伸ばした手を、
更に 泥靴で踏みにじる。
そんな♂達が 憎かった。
露骨に言うと、倫理観を完全に無視し、
当然の如く『性的弱者』という役割を強要する♂達が
憎くて 憎くて たまらなかった。
私がある大事な分野で この年になっても
『主体性』を持つことに 違和感を覚えるのは
上述した内の とあるトラウマチックな経験から来ているのでは、
と思うのです。
そして、その忌々しいトラウマの呪縛から
未だ 完全に逃れられずにいる
自分の弱さと 鈍臭さに 悉く嫌気がさし
嘆息させられるのです。
今の時代。
上述したタイプの♂達に 絶望と諦めを覚えた女達は
悟っているんじゃないでしょうか?
白馬に乗った王子様なんて居やしない。
自分を救ってくれて 幸せを与えてくれるのは
誰でもない『自分自身』。
そして。。
自分の良き理解者となってくれるのは 異性のパートナーでなく
同胞である『女達』だと。
だから ある意味、このタイミングで
『女子会』ブームにも 火が点き
オネエ文化も 開花してるんだと思いますよ。
私の周りには オネエ達を まるで迫害するが如く
憎悪感を露わにする♂達が数多くいますが(特に団塊世代)
そういうタイプは勿論 男尊女卑思考の強いタイプ。
こっちが げんなり。
こういうタイプの♂達に私は 自我と主体性を
踏みにじられてきたんだ、と思うと 激烈な怒りが
沸々と湧き起こってくる次第です。
この程 再び話題になった 『東電OL』のNEWSを
見聞きし 思いを馳せらせずにはいられません。。
私は 数年前、中村うさぎさんの著書中にて
東電OL事件について 知りました。
彼女は 単に性に放埓で ふしだらな娼婦だったわけではない。
彼女を取り巻く無機質な社会空間の中で
『女である事』という自意識/自我 に苦しみ
葛藤する中で 見出し、得たかったものがある。
それは『自尊心の回復』ではなかったのだろうか、と
中村うさぎさんは 自身を投影しつつ 考察しています。
『主体性をもっての自己実現』。
これですね。あの時代を生きていた彼女は、
これを 死ぬほど渇望してたんじゃないでしょうか。
このところ、『フェミニズム』の世界に
身を投じつつある私にとっても この『引き裂かれた同胞』
が辿った悲劇の意味は 深淵で 沈吟に値するものです。
※一部、男性批判めいた(というか完全に『男性批判』か。。)
記述があり、不快に思われた方々申し訳ありません。
でも。 私個人の率直な考え、気持ちなのでご理解の程
宜しくお願い致します。
また、私が『男性全てに対し』嫌悪感を抱いているというわけでは
ございませんので、どうか誤解のありませんように。。m(__)m
*るな*