短いお盆休み中に実家へ帰ったときに立ち寄った、
米沢の観光地の紹介です。(今回はテンションアップ
です♪)
多くの観光客が訪れる上杉公園周辺はではなく、
ここは知る人ぞ知る名所、穴場かな。
今年は歴史ブームで訪れる人もだいぶ増えてるようですが。
『上杉家御廟所(ごびょうしょ)』は、米沢市街地より西にあり、
正式には「米沢藩主上杉家墓所」で、市民は昔から
「御廟」とか「おたまや」などと読んで、親しんできました。
道路から入り口はこんな感じ。
中を進むと、杉林が歴史を物語ります。
杉林を抜けると、石灯籠の門が。
右に上杉謙信が信仰していた「毘沙門天」の「毘」の旗、
左にこれも謙信が合戦で使用した「龍」の旗。
このまままっすぐ進み、正面の一番奥に
謙信の廟が。
謙信は越後で没してますが、遺骸は上杉藩が米沢へ国替えの際
そのまま一緒に運ばれ、米沢城本丸に手厚く祀られていましたが
明治9年にここへ移されました。
ここは元和9年(1623)に二代目景勝が亡くなったときに
廟を建て位牌を納め、(遺骨は高野山に、ここには灰や冠服を)
以後歴代藩主の廟も順番に建立されていきました。
位置的には、上の画像の謙信の廟から向かって左中央に
景勝、三代目定勝は向かって右中央、
以後左右交互に外側に向かって藩主の廟が建てられていきます。
上の画像は、右側から撮ったものです。
ずらっと並んでます。
中央の謙信の廟から右側、
三代、五代、七代九代十一代と立ち並びます。
これは位置を変えて左側から。
手前が十代目鷹山の廟。奥へ八代、六代四代二代と
さかのぼってます。
十代目藩主、鷹山の廟の正面。
わたしが子どものときから聞かされたエピソードとして、
右隣八代よりも屋根の造りが違います。
これは、それまでは入母屋造りだったのに
鷹山の時代は財政難の危機でした。
質素倹約を重んじてここからは宝形(方形)造りに
全体的に質素になってます。
☆こぼれ話☆
なんてったってここ、『上杉家御廟所』いえ、
わたしにとって「おたまや」は「庭」みたいなもので、
小さい頃はこの付近を駆けずり回ってたものです。
入り口道路の左隣に「法音時」というお寺がありますが、
その一角に昔幼稚園がありまして、
(今は移転して乳児院のみになってます)
赤ちゃんの頃からずっと通ってました。
当時は国の史跡にも指定されておらず、
今ほど観光地化もされてなかったのですが
子ども心にもやはり崇高な雰囲気には
なんだか大切な、畏敬の気持ちを持って、
でも「おたまや」という呼び名から
身近に上杉藩という存在を、あたり前のように
とても親しみもこめて過ごしていました。
うまく言い表せませんが。
近くに神社があり、そこも杉の大木で囲まれていて、
滑り台や雲ていなどの遊具もあり
(この日一緒に立ち寄ったら、まだ当時のまま残ってました!)
子どもみこしや盆踊りで賑わったことを思い出し、
懐かしく思いながら一緒にまわってきました。
参考サイト:
横手市公式ホームページ「城下町ぶらり歴史探訪」内「御廟所」 より
米沢の観光地の紹介です。(今回はテンションアップ
です♪)多くの観光客が訪れる上杉公園周辺はではなく、
ここは知る人ぞ知る名所、穴場かな。
今年は歴史ブームで訪れる人もだいぶ増えてるようですが。
『上杉家御廟所(ごびょうしょ)』は、米沢市街地より西にあり、
正式には「米沢藩主上杉家墓所」で、市民は昔から
「御廟」とか「おたまや」などと読んで、親しんできました。
道路から入り口はこんな感じ。
中を進むと、杉林が歴史を物語ります。
杉林を抜けると、石灯籠の門が。
右に上杉謙信が信仰していた「毘沙門天」の「毘」の旗、
左にこれも謙信が合戦で使用した「龍」の旗。
このまままっすぐ進み、正面の一番奥に
謙信の廟が。
謙信は越後で没してますが、遺骸は上杉藩が米沢へ国替えの際
そのまま一緒に運ばれ、米沢城本丸に手厚く祀られていましたが
明治9年にここへ移されました。
ここは元和9年(1623)に二代目景勝が亡くなったときに
廟を建て位牌を納め、(遺骨は高野山に、ここには灰や冠服を)
以後歴代藩主の廟も順番に建立されていきました。
位置的には、上の画像の謙信の廟から向かって左中央に
景勝、三代目定勝は向かって右中央、
以後左右交互に外側に向かって藩主の廟が建てられていきます。
上の画像は、右側から撮ったものです。
ずらっと並んでます。
中央の謙信の廟から右側、
三代、五代、七代九代十一代と立ち並びます。
これは位置を変えて左側から。
手前が十代目鷹山の廟。奥へ八代、六代四代二代と
さかのぼってます。
十代目藩主、鷹山の廟の正面。
わたしが子どものときから聞かされたエピソードとして、
右隣八代よりも屋根の造りが違います。
これは、それまでは入母屋造りだったのに
鷹山の時代は財政難の危機でした。
質素倹約を重んじてここからは宝形(方形)造りに
全体的に質素になってます。
☆こぼれ話☆
なんてったってここ、『上杉家御廟所』いえ、
わたしにとって「おたまや」は「庭」みたいなもので、
小さい頃はこの付近を駆けずり回ってたものです。
入り口道路の左隣に「法音時」というお寺がありますが、
その一角に昔幼稚園がありまして、
(今は移転して乳児院のみになってます)
赤ちゃんの頃からずっと通ってました。
当時は国の史跡にも指定されておらず、
今ほど観光地化もされてなかったのですが
子ども心にもやはり崇高な雰囲気には
なんだか大切な、畏敬の気持ちを持って、
でも「おたまや」という呼び名から
身近に上杉藩という存在を、あたり前のように
とても親しみもこめて過ごしていました。
うまく言い表せませんが。
近くに神社があり、そこも杉の大木で囲まれていて、
滑り台や雲ていなどの遊具もあり
(この日一緒に立ち寄ったら、まだ当時のまま残ってました!)
子どもみこしや盆踊りで賑わったことを思い出し、
懐かしく思いながら一緒にまわってきました。
参考サイト:
横手市公式ホームページ「城下町ぶらり歴史探訪」内「御廟所」 より