ぼくは苦渋の選択をした。

というのもこの人に正体を晒してしまったこと。
ぼくの正体を知ってたのは、近所の友達と殺されたお母さん、そして狂ってしまったおじさんだけだった。
お父さんとはぼくが生まれるより前に離婚したって母さんは言ってた。
それでもぼくは家に時々遊びに来てくれるおじさんが大好きだったから我慢した。
おじさんはぼくが物心つくまでいろんな遊びを教えてくれた。
その中でも“ギャルゲー”ていうゲームをやたらに推し進めてきた。
「ほら!やってみなや」
「う…うん」
これが結構愉しめた。
それからぼくは“アキバ”だとか“ヲタ”だとか未知の名詞を耳にするようになっていった。
「こなた?」
「おうよ!
このこなたがなかなか萌えるんだよね~」
「髪の毛青くってものすごく長いね」
「そこがまた萌えるんさ」
そんな会話が最近まで続いていた。
そうしていく内におじさんの魂はぼくに浸透して、いつしかクラス内ではぼくの事を“腐女子”と呼ぶ人達がいた。
そんなつもりじゃないのに会話に話題を出すと「ヲタク」だの「腐女子」だのと。
でも結果的にぼくはクラス内の女子で1番の人気を得た。
男の子達は「俺もヲタなんだよ!」とカミングアウトする正統派もいれば、
「ヲタクってなんかいいよな」と健全なスポーツ男子が近寄ってくる。

ある日--
「ねぇみこと?」
「何?よみちゃん」
親友のよみちゃんは一番の理解者で、ぼくの一年先輩だった。
ちょうど先輩は来月受験を控えていた。
ぴりぴりしていたからか、おどろおどろしくぼくの肩を掴んで言った。
「キラに気をつけてね…」
「えっ?…キラ」
キラといえばその頃、世界を震撼させて貪欲な殺戮をする殺人鬼として流行ていた。
一つの街が消えた。
「キラの仕業だ」なんて言われたけどメディアはそれをタネに儲けているだけにしか思えなかった。

そして、気がつくとよみちゃんはいなくなった。「よ…よみちゃん!?」
よみちゃんはぼくが予想しえなかった凄まじい速さで屋上までの長い階段を駆け抜けていった。

「ハァ…ハァ…待って!
よみちゃぁん!!」
よみちゃんは何かにとりつかれたかのように屋上を目指した。
誰もその暴走を止めようとしないことが、無性にもどかしかった。
結局、ぼくが屋上についた頃にはよみちゃんの姿はなかった。
貯水タンクの裏だとか屋上プールの底だとかくまなく捜してみたけど、影さえ見つけることはできなかった。
屋上の安全フェンスは、クレッシェンドな風で不気味に軋んだ音を出していた。
そしてその一角に、泥の痕跡が目立つ一枚があった。
今日はちょうど雨が降って、グランドの砂利は泥どろになっていた。
ぼくの靴にもそんな泥が付着していて、奇妙なことにフェンスにもその泥が縦にびっしりついている。
まるで誰かが昇ったみたいに--

「キャアアアァ!!」

つんざく悲鳴がぼくをびくつかせた。
どうやらグランドで何かがあったらしい。
そして、ぼくは急ぎその身を階段に返して現場へ走った。
「っ…!」
そこにはぼくと同じく悲鳴を聞き付け、人海の如く溜まる野次馬が居た。
だれもかれもが
「おい押すな押すな!」とか
「え?なになに!?」とかがやついて騒々しさを引き立てている。
汗を拭って人の波に身を投じる。
だけど邪険でずさんな扱いでぼくは弾き返されてしまう。
それでもぼくは意地を張ってその海に潜って惨状を見てしまった。

--誰かが俯せに倒れている。

誰かが言った。「あれ佐藤だろ?」
ぼくに悪寒が走った。
【佐藤】という名は消失したよみちゃんの苗字だったから。
最初は信じなかった。
【佐藤】なんてこの学校にはわりかし要るし、それが【よみちゃん】だなんていきなり断定できたものじゃ無い。
気分が悪くなったので一先ず、ぼくはその小さな背中を丸めて5時限目までには席に戻った。
その日の下校時間、よみちゃんは現れなかった。

翌日朝から臨時の全校集会。
まだぼくは事態を理解出来ていなかった。
校長先生は申し訳なさそうな顔をして舞台の教壇に両手を突いた。
口の先よりさほど遠くない距離で校長先生は演説を始めた。
「並ぶのが遅すぎる」とか
「ダラダラし過ぎてる」だとか文句を愚痴って数分したら、本題に入った。
直前、全校生徒はナーバスにまっすぐ姿勢を正した。
「では…落ち着いて聞いて下さい。
みなさんがお察しのとおり昨日の昼食休憩の時間に、真に残念な出来事が起きてしまいました」
淡々とその老いた口を滑らせていく校長先生。そして。

「グランドで3-Bの佐藤葉美さんが、お亡くなりになってしまいました」

よみちゃんが今日も居ないことに不審を感じていた矢先の事だった。
『キラに気をつけてね…』。
この言葉の意味が、ようやく理解できた。

あの時-フェンスに付着していたのはよみちゃんの靴だった-
そしてあの時-グランドで倒れていたのは紛れも無くわたしのただ一人の親友-

よみちゃんその人だった--

その日ぼくは泳ぐことをやめ、怠慢した魚のような姿をしていた。
よみちゃんは既にキラに操られ、キラの毒牙に噛み付かれて汚い致死毒を注入されていたなんて、信じたくなかった。
キラによみちゃんが殺された事など。
だけど災難はこれで終わったわけではなかった。これから更なる絶望がぼくを蝕んでいった。
「あ……」
「城戸川?その消しゴムあんたの?」
「う…うん」
今までぼくに一度としてしゃべりかけた事も無いような見知らぬ女子生徒が、ぼくの机の消しゴムを指差して仰々しい口調で言った。
「あれ?城戸川?落書きされてんぞ」
「えっ…?」「ここだよ!!」
この消しゴムが、初めてぼくの顔面を擦った記念品となった。
必死で顔をガードしようにも、他の取り巻きの女子がぼくの腕を掴んで放さない。
緊張で出た脇汗が、カッターに滲む頃にはぼくの顔は真っ赤に爛れていた。
それが理不尽かつ強引な“イジメ”の始まりだった。
それから数日間も、ぼくはそんな社会問題の脅威に晒され続けた。
助けを求めたなら
「次チクったらマジに殺すぞ?」と重たい楔を打ち付けられ。
逆に抵抗したなら
「ぶっは!!このガキおもしれ!」
などと更に調子に乗ってイジメはエスカレートする。
出口の無い迷宮を数日間もさ迷った。
そしてその日は来た。

「なぁ?」
「………」
「なんで無視すんの城戸川?
あたしん事キライ?」
「………」
「ねえったら…………!?」

ぼくは取り出したカッターナイフを、自らのか細い腕に突き立て、切り裂いた。
周囲1メートルには血しぶきが散乱し、ぼくをおちょくっていた女子生徒も血まみれの姿をクラスに晒すハメになった。
それが-あの学校で最後の昼食休憩。
ぼくはもう学校へは行かなくなった。
ただ苦しいだけの白い空間にはぼくの存在はミスマッチ過ぎる。
だからこそ、自ら退学してみせた。

それでも地獄の雨が止むことはなかった。

おじさんが暫く帰ってこない日が続いてもう三日が経った。
それはちょうどキラの裁きが鎮静化した頃で、おじさんがこれまで家に居なかった三日間世界は平和だった。
次に待ち受けている地獄など、予想させない程に--
「お母さん?…」
ある日買い物から帰ると母さんの返事は聞こえなくなった。
ぼくに代金を渡す先程まで、あれほど生き生きとしていた母さんの声が聞こえ無くなっていた。
居間にも寝室にも台所にも庭にさえも母さんの気配は無い。
ならばと二階へ進むとどこからだろう。
何かが滴るような音。

二階の部屋はくまなく捜した。
それでも母さんの姿は無い。
何かの気配も感じない。
二階の母さんの部屋を出ようとした時--
「ヒタリ」
先程の滴る音。
少し怖くなって、一旦は部屋から抜け出すけれど好奇心がそれを拒む。
僅かな音をたどると、この部屋の閉め切られたカーテンが異様に気にかかる。
普段から閉め切っていることなどまず無いというのに、やけにこのカーテンだけは隙間無くきっちりと閉め切られている。
買い物した袋を置いて、カーテンに手をかける。
少し開けば、いつも眺めている街の風景。
だけど全開にしてそれはようやく姿を現した。

「え………」
--それは腹を引き裂かれ、鮮血の水溜まりに沈む母さんだった。
死後、数分しか経っていないだろうから滝の如くあふれる血がやけに鮮やかだった。
「っ!!……ぉ…えほ…」
両手を押さえて暫くすると、吐瀉物がぼくの口からごく自然にこぼれた。
無音に、その遺体を更にグロテスクに彩り装飾するかように。
震えた体は暖房の効いた部屋でもとてつもなく寒かった。
人生で初めて、戦慄の恐怖を知った。
それから数時間。立ち上がる気力も沸かず、目の前で真紅の池に浸かる母さんの体を虚な眼でぼくは眺め続けていた。
「なんで…どぅし…て…」
すると慌ただしく階段を上がる音がはっきり聞こえてきた。
「か…かく…隠れ…なきゃ」
例えるなら“赤ん坊”。
誰かに支えてもらわなければまともに直立することさえ出来ない。
その時ぼくは、両手をがさつバラバラに動かして何かを探るという行動しか取れなかった。
逃げることなど、出来るわけなかった。
強い風と音が背を撫でたかと思ったら、同時に気配もする。
振り返るとそこにおじさんが居た。
「みこ…と…」
「おじ……さ…」

「ミヤガッタナコノヤロウ」


おじさんの虐待はすぐに始まった。
しっきり無しにぼくを壁にたたき付けたり、首を絞めたり、蹴飛ばしてきたり。
あれほど温厚なおじさんが、ぼくにそんな暴力を振るうようになった。
ゾウやキリンが怒り狂ったかのように、獰猛で残虐な虐待は続いた。

「あぁ……や…ぁ」
「おとなしくしろ」
時には手錠で拘束されて、スカートとかパンツの中をその手や舌でまさぐってきたりもしてきた。
心底、おじさんが憎くなった。
おじさんの豹変の原因は結局掴めず、家に変える度ぼくは理不尽な虐待に蹂躙されていった。

あの人が来るまで--

「城戸川少年…」
「そう…でも普段は帽子で隠してる」
その人の名は【魅上照】といった。
この人とぼくは小さな公園のベンチで質問合戦。
絶えることなく互いに知りえなかった部分を浮き彫りにしていく。
「聞きたいのだが…
君は何故男になる必要があった?」
「KKPは女性は入団禁止だったから。
じゃあぼくから質問。
どうやってあの家に侵入したの?」
「やむを得ずガラスをね…
失礼だったかな?」
「いいや…全然」
「そうか」

やけにこの人とはウマが合う。
よみちゃんが亡くなってからのぼくの人生は永久の暗黒に包まれていて誰とも会話なんてできるわけがなかった。
だけどそんな失楽した戦慄の日々に、この人はその手を差し延べてくれた。
おかげで今ぼくは、初めて“最高の悦楽”を味わえる。
でも質問できない深い疑問がたった一つだけある。

どうしてあの時、「おじさんがキラだ」とこの人は断言できたのか。
また、どうしておじさんなのか。
見ず知らずの中年男性を見るだけで“キラ”かどうかを判断するなんて山勘だとしか思えない。
それにこの人は、ぼくと同じで
「普通」じゃない気もする。
何か得体の知れないどす黒い感情を、心の奥深い場所に閉じ込めている。
そんな雰囲気だ。

「握り飯」
「…なに?」
「食べるか?」
一つだけ握られたおむすびは少ししょっぱい気がしたけれど、涙のしょっぱさより全然マシだった。

「魅上くんて呼んでいいかな」
その要求に彼が飲む事はなかったけど
僕はもう、そう呼んでいた。