これは何の兆しだろうか。

いよいよ明日の午後9時、ミサは削除される。
この世界から、この星の記憶から、わたしの目の前から。

「照…元気出してね…」
涙を幾度拭えども、悲愴が終わらない限り前を見る事はできない。
わたしが殺してしまうミサを、己が目で直視する事などできない。
彼女が励ましの気持ちを込めて出してくれたパスタにも手をつけられない。
彼女の澄んだ膝で見つめられても、わたしには笑顔で返す事も出来ない。
絶望の淵で、わたしは自己嫌悪に陥っていた。
「照……くん…」
寝室のドアノブを、あの優しく真っ白な手の平でミサは回す。
「待ってるからね?……ミサ」
ミサは、ドアが閉まる最後まで健気に笑っていた。
涙を三度拭えば収まっていた。
白いシャツ一枚に転んでズタボロのジーンズを穿いてわたしは一人座っていた。
リュークは気を効かしてか、散歩に出掛けた。
夕方も早いもので6時を切っていた。
胸の奥の、大き過ぎる穴。
ミサの言葉一つ一つがそれを修復してくれる気がした。
わたしの名を何度も呼んだり、励ましたり、笑ってくれたり。
元はスケープゴートのつもりで、ミサを独房から解き放った。
だが、この数日間暮らすうちに彼女の微笑み、仕草、感情。
全て、全てが高鳴る鼓動となってわたしの胸に溢れた。
幸せを得られる数は人それぞれ決まっている。
わたしの場合、幸せを多く勝ち取る事は出来ない。
だが、ミサに出会えた事は初めてノートを手にしたあの瞬間よりも勝る。
例えこの身が滅ぼうとも、それは永遠に揺るがない。

胸の奥のまだふさまりきらない穴を修復する為
「ミサ……」
わたしは寝室のドアを開けた。
クイーンベットの中央にはいつものゴスロリのワンピースに着替えてわたしを見上げるミサの笑顔があった。
「おかえり!」
瞬間、赤くなる頬。
おもむろにシャツを脱いでベットにミサを背に座る。
確かに感じるのはわたしの上半身に注がれる熱視線。
振り向いてそれを確かめれば、光り輝くターコイズが覗かせる。
かつてまだわたしと出会った初めの頃、ミサにはまだ曇った表情が伺えた。
行き場を無くしたマリオネットのように、ただ虚にその姿を見せていた。
今、この瞬間。
彼女のおてんばな笑顔にはそのイメージは毛頭ない。
突発的で、天真爛漫で、吸い込まれてしまいそうだ。
【弥海砂】がこれほどまでに瞬いて見えるのは初めてだった。
「最も綺麗」、と言ったところか。

わたしは弥海砂を愛しているのか。
海砂がわたしを愛していたのか。

その答はまだわからない。
最後にわたしが死にゆく彼女にしてあげられる事は、こうして力強く抱擁する事だ。
「照…いた…でも、ミサ嬉しい…よ」
ミサは身を委ねる。
わたしの腕枕に彼女のブロンドが眩しく輝いていた。
髪の匂い、首の匂い、一心不乱なその瞳。
「ミサ……月がね?
行方不明になった時、すごく淋しかったんだよ?…
正直最初は照の顔なんて見たくもなかったんだ。
でもね、ミサわかったよ。
照は孤独に囚われたわたしを救い出してくれる人だって」
わたしが初めて恋した女性は、初々しく小指を絡ませてくる。
激励の言葉に思わず歓喜し、わたしが涙を流しても、何度でもその小指で涙を拭ってくれる。
ゴスロリのワンピースは少し通気性がよくって、暖まっていく彼女の熱を部屋の空気中へ逃がしていく。
「あぁ…照、照ぅうっ…」
何かが付着したような音が淡く響いてわたしに届く。
「照…わたし…わたし……
もう…」
ふと左腕が無意識にスカートの中にのびていった。
目をつむり我慢しているのか、キラメク雫が彼女の目から零れ始める。
指先を戻すと「ハァ…」と白い溜息を吐く彼女。
指先へズームすれば二滴、三滴、紛れもなくそれは彼女の愛液であった。
イエスの最後の晩餐。
それは今のミサに言える事だと感じる。
わたしの罪で彼女は明日死ぬ。
わたしも同じく死にたい。
リビングには銃がある。
明日彼女の死を見取って、拳銃自殺を計る事も出来る。
だが、それは許されない。
彼女の為にならない。
「照くんはいつか世界を変えてみせてね」

そう言われた時から
「わたしは死なない」
そう志しを高く持ったからだ。

彼女を失いたくは無い。
優柔不断。
想い焦がれるだけで胸に悲愴の雨が降り、しがらみが宿る。
それでもわたしには聞こえる。
彼女のマントラが。
「誰も悪くなんて無いんだよ?」
「ミサが馬鹿なのがいけないんだよね」
「ミサ、がんばったよ」
「ミサ………」
心と心をリンクさせるのは赤い糸でもテレパシィでも無い。
出会いからこれまでは、運命の神が導いてくれていた。

わたしに許されたミサとの愛という幸福に、彼女の命という理不尽なコストがかかってしまう事は仕方なかったのだ。
「誰も悪くなんてない。」
その声は、深々と心へ染み入る。

デスノートが無ければ全てはなかった。
わたしが神に出会う事も、ミサを愛してしまう事も。
--このノートに名前を書かれたものは死ぬ--
デスノートには感謝している。
出会いも別れも、全て均一になるように設定できるのだから。
だが、あと数十時間で彼女はもう旅立とうとしている。
正直このルールには後悔の連続だ。
「ねえ…照くん…?
ミサて結構してくれないかな?」
「何故」
「なんだか月の姿を思い出す……
だから-」

刹那、口元を蹂躙する圧迫。
だが触れた面はほどよく柔らかで、しっとりと香が沸き上がる。
薄幸の姫君ミサは自ら接吻を交わした。
ほんの数秒間の接触だったけれど、何年も年月を重ねたような純愛がその唇に凝縮されていた。
「あたし、変だよね!
なんかもう離ればなれになっちゃうみたいに…照とSEXしてる……
あたし全然ダメでしょ?初めてなんだ」
いつの間にかこの求愛行為は、彼女にとってSEXとされていた。
だがこれくらいでもよかったのかも知れない。
根強い愛は、記憶すると手放すのに困難を極めるものになる。
そうなるとミサが、ぶざまだ。
そうなるとわたしは、わたし自身を絶対に許さない。
部屋が入室前より、縮んだ感じがした。

机には二人の男女が肩を並べている。
一方は幸福に満ちた喉を鳴らす猫のように寄り添い。
一方はそれを受け入れて、涙を飲んで朝焼けにその顔を照らされている。

【残り15時間あまり】
それが弥海砂という少女を、俗世が受け入れるタイムリミット。
静かな街で二人は静かに寄り添い合う。
影を抜かれたかのように、動く事は無く。
ただ静かに、静かに---



「照君何食べたい?」
「ミサが好きに選べばいい」
「えと~、気分がのってきたので!
照君の大好物!ミサ特製パスタをまったまた作っちゃいま~~す」
パスタには小さなハンバーグがいくつもトッピングされていた。
粉チーズも普段より多めにふりかけてあり、ミントも特大サイズがいくつか。
至極のパスタは「美味しい」以外に言い表す言葉が無い。

彼女が死ぬまであと14時間