私の起業STORY~その23からの続き
2011年、FIKAになってからのママイベントは、さらに大盛り上がり☆
FIKAママコンテスト
を開催しました。
これらすべては、噂を聞きつけてご連絡いただいた、各社広告代理店さまからのお仕事。
企業への広告、プロモーションの企画立案と運営を行い、集客まで自社ですべて行う、そこそこ立派なプロモーション会社と成長していきました。
この年の主要メンバーは翌年の年賀状になってますが、今、誰もいないです。
ただ、この時あたりの人の構成は、固定給制の本部スタッフと、エリアリーダーと言われる各地のプロモーションの現場を回す外注登録スタッフで構成されていました。
セラピストのレファちゃんと、じゅんちゃんには、本当に頑張ってもらいました。
お仕事できる人ランキングの上位は、ダントツこの2人です。
結構、夜中子どもを寝かしてからの、寝ずの仕事が多かったし、エリアの人たちとの細かいやり取りが多く、いろんなトラブルの相談がいつでも電話できたりしてたし、
スマホセミナーするくらいの頃で、まだガラケーの人が多かったから、今みたいにLINEとかメッセンジャーとかなかったもんだから、電話代もバカにならなかった気がします。
結構みんなが行き詰まるのは、子どもや家族のこと…
ハードなベンチャー起業の仕事は、家庭との両立が本当に難しかったと思います。
私の1~2年目をみんな経験しているようなもんだったからね。
華やかな仕事の陰には、血を吐くぐらいの作業が行われているもんなんですよね。
まだこの頃も単価は安く、
みんなで分けるとそれほどにもならない…
これでお給料がたくさんだったら、もうちょっと頑張れたんじゃないかと思うのだけど。
今考えると社長として、情けない限りです。
すでに、この時には私はすっかり
「鉄の心臓」
みんなも同じように成長してほしくて、全員が経営者だと思ってやってきました。
だって、同じ夢を目指してたんだもん!!
これは、今でも変わらないかな。
自分の人生は、自分で作る。
夢を叶えるためには、必ず、
その対価を得るための仕事、作業、経験、知識
すべてが必要で、
そして、やり込んでみてはじめて、
そこまでして手に入れたいものなのか?
を、問われるのです。
ある程度お金があれば、苦手なことは得意な人にお金を払って頼むことができるけど、お金がないうちは、自分でなんでもやらないといけないのよね。
「〇〇が苦手なんだよねー」
「わかるー!!私も苦手でさぁー」
なんて会話をして楽しい時間を過ごしてるあなた。
起業家と名乗ったらアウトですから。
「で??」
って聞いていいですか?
お互いに、出来るものを持ち寄って補い合うということもいいとは思うのよ。
だけど、得た利益の分配のバランスって難しいよね。
相手に対して、ずっとベネフィットを提供し続けられるかどうか?
どちらかが、割に合わないと思わないようにするためには、相当な努力がいるよね。
だから、正しく評価に値する仕事量をお金という対価の基準で支払い合うことの方がスッキリする。
で、その対価に合わないようになれば、交渉だし、さらにそこでお互いが見合わないのであれば、契約は終了。
これは、外部に委託でも、会社に勤めてても一緒だと思うんだよね。
まあ、どっちにしても、
起業や、ベンチャー企業に勤めることって、
自分の人生を深く深く考えさせられる事が多い
でも、
自分の人生を深く考えることもなく、延々と
「このままでいいのだろうか?」なんて、日々の繰り返しで一生を終えるより、
深く考えて考えて、考え抜いて
「人生を自分で選択する」機会が、一度でもあったほうがいいと私は思う。
何のために生まれて、
何のために生きるのか?
わからないまま終わる
そんなのは嫌だ!
アンパンマンの歌にもある
そして、タイミングということもある。
人生長いようで短いというけれど、
タイミングが来るまでは、それこそ、そんなに長くはない。
一度引いて、またチャレンジする勇気を持てるのであれば、責めずに引いてもいいと思う。
でもね、
一度引いてからの再チャレンジは、
なかなかエネルギーが出るものではないから、
私的には、苦しい時も、逃げずに、
前に進む道を探して欲しいと思うのです。
ほんと、
先ではどんどん楽になるから
どうか、諦めないでほしいです。
そして、うちを自ら離れたみんなが、
心から今が一番幸せと言えるのなら、
離れたことを良かったと思おう。
でも、どこかでまた、
何かにチャレンジしてみたいと思った時には
うちでやれた事は、今後なにをしても絶対に役立つスキルだと思うから、頑張って欲しいと思うし、もっと上をやっぱり目指したいというならば、またジョインして欲しいと思うのです。
ほんと、何事もやってみて振り返らないと分からないよね。
続く