お父さんが泣いた日。
抗がん剤治療に入る前に、肺の水を抜き切らなきゃいけない。
が、なかなか抜き切らない。
赤い水。
大きなチューブ。
手術を避けて、病院を避けて来ても・・・
大きな穴を開けられた。
真実と向き合うことは、怖いことだ。
勇気がいることだ。
肺がんは、早期発見が難しいそうだ。
だからこそ、きちんと検査を受けて欲しいと思う。
「自分は、大丈夫。」と、言う人が多い。
でも、結果、苦しい思いをするのは、自分だ。
悲しい思いをするのは、家族だ。
「うちは、子供が小さいわけじゃyないから、大丈夫だな。」と、父。
そーいう問題じゃないよ。
お父さんが泣いた日
9月22日。
告知。
肺癌。
ステージ3b。
家族だけで、詳細を聞いた。
「告知でいいですね?」
「告知しなければ、いけないのは分かっているんですけど・・・
本人には、手術が出来ない状態なことは・・・言わないで欲しいです。」
声が震えた。
こらえていた涙が溢れる。
自分が情けない。
母は、気丈だ。本当に、気丈だ。この一週間、1粒の涙も見せない。
それに比べて、私は、まだまだ、子供なんだなって思った。
本人には、まだ、詳しい説明をせずに、病名とこれからの治療法を説明してもらうとこにする。
多分、覚悟をしていたことだと思う。けれども、それを現実として受け止めるには、時間が必要だと思ったからだ。
本人に伝える前に、1時間の時間をもらった。
病院の外の空気の元、母と弟と話がしたかった。
「あなた達の意見でいいのよ。」と、母は言った。
私は、父への差し入れのシュークリームを家に取りに帰った。
怖い。父は、病名をどのように受け止めるのだろうか。
病院へ戻る帰り道、何度も弟からの着信があった。
「お姉ちゃんの携帯は、携帯の意味がない。」
ごめん。
「お母さんが、お姉ちゃんが落ち込んでいるんじゃないかと心配してた。」
大丈夫だよ。
女優だもん。
病室へ行くエレベーターで、父に会った。
CTとMIRの検査をしてきた後だった。
検査が急に決まったので、昼食抜きだった父。
シュークリームを頬張る。4個入りなのに3個しか入っていないシュークリーム。
「誰だ?1つ食べたの?」と、父。
「わたし。」
ちゃんと、おどけられている。・・・はず。私。
車椅子の父と供に、別室へ。
父は、「想像はしていましたが、ハッキリそうだと分かるとショックですね。」と、言いながらも、
前向きに治療をすることを受け入れてくれた。
弟の目が真っ赤だった。
この日から、癒着を起こす為の科学治療を医師は、予定していたが、
それは、後日から始めることになった。
今日は、自分の病名を受け入れることで、精一杯なのに違いない。
「明るく行こう。」と、父が言った。
「しぶといからな。俺。」
知ってるよ。
「でも、繊細なんだよ。結構。」
知ってるよ。
「打たれ弱いけど、かなりしぶといじゃん。お父さんは。」と、私。
病院の食事の抹茶ケーキの粉末抹茶を取り除いて食べる。
喉に痞えるのが、怖いからだ。
「結構、上手いんだよ。」と、一口を差し出す父。
母と私と弟と、一口づづもらった。
アーン。だ。
病室ならではのことだよね。普段だったら、ありえない。
帰宅。
一足先に帰宅していた弟は、缶ビールを3本空けていた。
4本目。
「ジワジワくるね。」
「そうだよ。」
今頃、お父さんは、1人で泣いているよ。
家族の前では、元気にしているけどね。
日本人は、3、4人に1人は、癌になる。と、先生が言っていた。
珍しいことじゃない。と、言われて、
頑張れそうな気がした。
お父さんが泣いた日。
2008年9月12日。金曜日。
掛かりつけのお医者様の往診をやっと承諾した父。
救急車で病院に運ぶことになった。
もう、1人で歩くことが困難。トイレにも行けない。
母と2人で救急車に乗り込む。
途中、父が声もなく、涙を流した。
父の涙を、タオルで拭う母。
「早く、お家に帰ってこようね。」と、私は、心の中で呟いた。
午後2時。病院に到着。
処置室へ運ばれる。
処置室の外の椅子に座りながら、中の様子に耳を傾ける。
どのくらい時間が経ったのだろう。
「お父さんが泣いてるっ!」と、母が立ち上がった。
仮に父が泣いたとしても、声が全然出ない父の泣き声が、ちょっと耳の遠い母に聞こえるわけがないのに。
まるで、子供を守る母親のような力強さだった。
夫婦愛。
強い愛情の様を見せ付けられたような気がした。
胸水。4リットルの水を抜く為、チューブを通した。
多量の胸水が肺を心臓をも圧迫していたのだ。
赤い水。
処置室から、病室へ移った頃は、もう5時を過ぎていただろうか。
短いかもしれない。短くて長い・・・闘病生活が始まった。
「お父さんが泣いてる」
あの母の姿を忘れることはないだろう。きっと。
