やっぱり偽善的なことを、言う人は苦手。
そんな発言を聞くと、あら探しをしてしまう自分がいる。
まぁ攻撃性は無いので、、、単に反面教師にするくらいだけど。


偽善的発言自体は別良い。
ただその発言者の、行動が伴っていないと感じた時点で、もうある程度の見切りを付ける。その発言者に対してね。


その人の全部に対しての見切りじゃないよ。
その人のその部分に対して、「そうなんだ」くらいの見切り。
それ以降は、行動が伴っていると感じるまでは、見切り状態のまま。


人は、成長する。


だから、その人を見守るというか、その人のその部分を排除するというか、、、
人のひとつの部分を苦手と感じたからといって、全部を苦手とするのも間違っているとも思うしね^^
その人が、それに気づき、修正するだろうという希望は捨てない。


ああ、それに、僕の勝手な思惑だから、僕側がおかしいのかも知れない。


僕だって成長する。


ってことで、時間が解決する部分でもあるかな。
苦手な部分があるってことは、逆に好意な部分があるから、お付き合いをしているわけだしね。
全部が苦手なら、近寄らないし(笑


そんな人は、過去にひとりしかいないけどね^^




偽善的発言。
こう書いているが、多分、意味が違うかもしれない。
僕が良くある、僕的解釈だろう。


「言ってることとやってることが違うだろう」


こっちに近いかな。
まぁいい。




まだ、関係性が薄く、お互いをイメージでしか知らない関係であれば、別に問題ない。
「言ってること」は、言葉で知ることが出来るけど、「やってること」は、まだよく見えてないからね。
だから、便宜上「言ってること」は信用するというか、「ほほう」的に捉える。


そのうち、キャッチボールを続けることで、イメージ的知り合いから、タイムライン的知り合いになり、段々と輪郭を表す。


「ああ、この人は、言ってることとやってることは違うんだ」


って思うようになるかも知れない。


ただね、それでいいんよね。
僕もそうだしね。


言ってることは、理想側で、
やってることは、現実側で、


理想と現実は地続きなわけで、、、


「やってること」が、「言ってることに」に沿っていればいい。
「努力」していれば、「好感」が持てるしね。


苦手とするのは、自分は出来ていると思っている人。
「言ってることとやってること」をしていると思っている人。


これが苦手。


僕の思惑に攻撃性は無いので、その部分は責めない。
たまに、ちくちくと遠くから、小石を投げることはあるかもしれない。
まぁ、僕なりの確認の意味も込めている。


そんな確認に相手は気がつかない。
ちょっと怒ったりしたり、、、まぁ反応がある分、希望はあるかな。
苦手とするのは、「そうだよね。やってることが違うってのは嫌だねぇ~」的に、同調したりする人かな。
まったく、、、


自分を棚に上げる人は、苦手というより、好きじゃないのだ。




まぁ、こういう毒を吐くと、自分にも降りかかる。
僕自身も棚に上げているのだろうと思うこともある。


思う、、、これが大事な部分。


人は成長するのだ。


変化するのだ。


そこが希望。


マトリックスの2作目。
マトリックス爺さんがつぶやいた「HOPE」
とても印象的だった。


人間たる所以かも知れない。





まぁ、なんていうか、自分を自分なりに知っていて、解釈していて、それでいて、旅の途中で、彷徨うのが好きで、開き直りが上手で、方向修正が上手で、、、、、、そんなイメージの人が好きです^^



空白から育ってきた固定観念。
外部から変化し続けてきた流動的観念。
彷徨う旅人。
足取りは丁寧。



そんなイメージ。



イメージばかりだなぁ~^^



まぁいいや。