放送日:2011/3/2(2011/2/23収録)

番組名:『膝打ち導師(黄金漁場=Golden Fishery)』

出演者:カン・ホドン、東方神起(ユノ・ユンホ、チェガン・チャンミン)、他。

内容:日本活動への思い、2009年紅白歌合戦での思い、元メンバーJYJの裁判へ対する思い。

韓国語から日本語への翻訳者:がっちゃん(震度264)さん。ブログ 
 


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以下は、動画の翻訳者のがっちゃんさんの翻訳をそのまま文字に起こし掲載したものです。

当ブログへの掲載目的:仮に動画が削除されても、東方神起(ユノ・ユンホ、チェガン・チャンミン)
の貴重なインタビューをテキストとして残すこと。
2009年紅白歌合戦で「チャンミンやる気なし」とマスコミから受けた一連のバッシング。
沈黙を守り続けた当事者が、1年以上の歳月を経て初めて公の場で自らの当時の心情を語った貴重なインタビュー。これを広く世の中に知ってもらうこと。




Q(質問者)=カン・ホドン(韓国の有名司会者)
YH=ユノ・ユンホ(東方神起)
CM=チェガン・チャンミン(東方神起)

(以下動画内、1:53から)

Q:2006年にソウル歌謡大賞とゴールデンディスク大賞とSBS歌謡大賞で大賞。
頂点に上り詰めた時期に日本へ進出されたんですね。日本活動はどうでしたか?


CM:2006年には仰った通りに色んな授賞式に呼ばれたり、あまりにも多くの声援をもらいましたし、12月の授賞式でたくさんの賞をもらって、感謝したり泣いたりと大変だったのですが、次の日には僕らの事を誰も知らないところに行き、東京のとある家電製品店の階段でショッピング中の顧客に向けて歌を歌い広報したこともありました。

Q:韓国ではスーパースターなのに、日本では一からスタートしたわけですね。二重生活みたいですね。

YH:一から始めましたからね。

CM:最初僕らが放送されたのが夜中の3~4時の深夜番組なのですが、3~4時にテレビを見る人なんてそういないでしょ?それでも誰でもいいから、一人でも多くの人に見てもらおうという気持ちで頑張ってきたと思いますね。

Q:いつから日本で反応が出てきたんですか?

YH:パープルラインの時からですね。その曲がオリコンのウィークリーチャートで1位になったんですよ。

Q:記事によると、アジアのグループ及び男性歌手としては東方神起が初だったそうなのですが事実ですか?

YH&CM:はい。

Q:それは本当に凄い事じゃないですか。日本の事務所での待遇は変わりましたか?

CM:ものすごく変わるもんですよ。

YH:まずは寮が変わりましたね。ホテルの大きさも最初の頃は2~3人用の広さだったのがちょっとずつ広くなっていって、高級ホテルのスイートルームを各自一つずつ用意してもらえるくらいの待遇になりました。

Q:日本でのコンサートにも順序があるそうですね?アリーナツアー…

YH:違います。段階別に言うと、最初はライブハウス、次にホールツアー、その次が武道館、で、ドーム。
ドームが5万名。武道館という舞台は日本のアーティストも本当に憧れる舞台で本当に誇らしかったですよ。

CM:外国人のアーティストが日本のアーティストも憧れる舞台で5人でびっしり埋めたということが(誇らしかった)

Q:観客数はどれくらいですか?

YH:1万2千くらい?

Q:東京ドームはどうですか?

YH:東京ドームというのは野球場じゃないですか。そこにいる観客全員がジャンプしたら会場が揺れるらしいんですよ。

Q:人がジャンプするからってドームが揺れるの?

YH:それくらい人が多いんですよ。実際に揺れてましたし。その感覚は直接立ってみた人にしかわからないと思いますね。

Q:韓国語の歌も一緒に歌ったりもした?

YH:凄く面白かったのが、日本人のファンが片言の韓国語で「韓国語でも歌ってください!」って言ってたことも。そういうのをみてると、僕らが国家代表になったような嬉しさがありますね。韓国という国をこうして知らせることが出来るんだ、と。

CM:とても嬉しいし誇らしいですよ。


テロップ:2009年。韓国グループ至上初、東京ドーム単独LIVE開催。
スーパースターから新人に戻って挑戦した日本の舞台。
3年間の努力の末、日本でもやっとトップの軌道に乗れた。
しかし…一番の試練はその瞬間、やってきた。



Q:2009年7月31日。3人の友達が会社を相手に専属契約効力停止仮処分を起こします。
こちらとしてあまりに敏感な問題なので…僕らは中立の立場ですので。
ユノさんとチャンミン君の心境はどうでしたか?


YH:その当時は……衝撃でしたね。会社を相手に訴訟を起こしたってことは僕らも知らなかったんですよ。
それを聞かされたときには、もどかしかったし悲しかったですね。

Q:何故こんなことが起こったのでしょうか?ユノさん個人の考えは?

YH:やっぱり……僕らが、幼い歳であまりにも成功をおさめて。日本でもそれ以上の成果を達成したこともあって、
その雰囲気にさらわれて……皆さんの知る今の状況になったんだと思います。
僕としては……とても、とても心が痛いです。
告訴という極端な手段にまで行った事自体は、何故そこまで……とは思いましたね。

Q:どんな点が一番大変だったのでしょうか?

YH:やっぱり…たくさんの誤解をされて………「裏切り者だ」と、たくさんのファンに言われたのですが、それ自体は十分耐えきれるものの、僕の一番愛して尊敬する両親や家族にまで火の粉がかかった時には………

CM:一般に発行される記事なんかにも、僕らの両親を中傷する記事があったりもして…。
僕の場合、父は今教師をしていて、歳が幼い学生とかが、父に向って心ない事を言った時に父が受けるショックや、何の関係もない僕の妹達が、周りの心ない友達によって、心のトラウマを抱えたまま大人になったらどうしよう、とか。
そういった、胸の痛い、苦しさもありましたね。

Q:色々な葛藤の末、5人の東方神起を最後に見ることが出来たのが、2009年NHK紅白歌合戦だったそうですが、最後の舞台だという実感はありましたか?心境はどうでしたか?

CM:スケジュール表に書いてあった最後のスケジュールが、紅白歌合戦で。
その後のスケジュールが、……無かったんです。
紅白歌合戦という感激の舞台に出ているにもかかわらず、『これが、5人での最後の舞台になる事もあり得るんだな』…という悲しい気持ちが。
韓国で楽に活動できたのにもかかわらず、日本へ来て、一からやり直して、やっとの思いで頂点まで登りつめて、『やっとこれから、収穫だけが残っているという時だったのに……』
気分良く立ちたい舞台なのに、何故、これが僕らの最後の舞台だという覚悟で歌わなければならないんだ、という悲しみがありました。

YH:僕もその舞台で歌うのがとても辛かったです。
東方神起としての思い出も多くて、ひとつの夢に向かって僕ら5人が努力してきて、それを叶える素晴らしい舞台で、最後だと思うこと自体が、怖かったんです。
そこで歌を歌う時に、悲しい表情を作ったら、それを認めることになる気がして。
だから僕はその時、いつも以上に頑張って歌いました。

Q:空白期間も長かったですね。

YH:はい。正確には2年3カ月くらい。

Q:では、カムバックする時に一番大変だったことは?

YH:やっぱり2人でも東方神起の感じを活かさなくてはならなかったから。
ジュンス、ジェジュン、ユチョン、皆実力のある友達でしたから。僕らもそれを知ってますし。
その全てを2人でやり遂げねばならないという負担。それはもう…今だからこうやって話せますけど。
その隙間を埋めることが何よりもの宿題だった気がするんです。
練習生が家に帰った後も、夜中遅くまで練習しましたし。

Q:そうして2年3カ月ぶりに「Why」でカムバックしたわけですね。資料を見たのですが、物凄いですね。
オリコン週間チャート1位、月間チャート1位。音源チャートも1位。
オリコンチャートも外国人史上最多1位になっただとか。


YH:はい…。照れ臭いですが、そうです(笑)

Q:過程が大変だっただけに、気持ちも別格でしょう?

YH:何よりも、その長い時間を待ってくださったファンの皆さんが、本当に何よりも有難かったです。

(以上動画内、11:03まで)