facebookに投稿した記事なのだが、しばらくブログの更新をしていなかったので、こちらにも投稿することにした。


生活扶助8万円(住宅扶助、医療扶助は別に支給)では、1日に1000円しか使えないという生活保護受給者の発言が物議を醸しているという記事があった。


「使えるお金1日1000円しかない」 生活保護受給者の発言に異論(J-CASTニュース)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121014-00000001-jct-soci&1350189218


いずれニュース記事は消去されるだろうから、この際、一部をここに引用しておく。

(引用開始)


生活保護支給額引き下げに反対する会見で、受給者が「1日使えるお金は1000円」と不満をこぼしたところ、ネット上で異論が相次いでいる。
 生活保護問題対策全国会議(代表幹事・尾藤廣喜弁護士)は2012年10月10日、東京都内で受給者らとともに会見を開いて、引き下げ反対を訴えた。支給額が引き下げられれば、生活に大きな影響を与えるというのがその理由だ。
 会見では、受給者らも窮状を訴え、NHKニュースによると、受給者の60歳男性は、次のように明かした。
  「1日使えるお金は1000円なんですよ。食べるだけですよね。電化製品が壊れたとか、服が破れた場合は、替えるお金がない。人として見てもらえているのかどうか、これは疑問に感じます」
 これに対し、ネット上では、服代などもかかることに理解を示す声もあったが、男性の主張に疑問の声も相次いでいる。「俺より贅沢じゃねえか…」「食べれるのに何が問題なんだ」「1000円あれば3食食べて、中古の文庫本ぐらい買えるだろ」といった書き込みがあった。
 厚労省の保護課によると、東京都区部で60歳なら、住宅扶助として家賃が限度額まで実費で出るほか、生活扶助として最低で月に8万円余が支給される。
 生活保護問題対策全国会議の事務局をしている小久保哲郎弁護士は、食費などが1000円になることについて、十分な額ではないと説明する。
  「最低生活費ですので、そんなに余裕があるわけではありません。耐久消費財を買い替えられませんし、下着なども破れるまで着る話はよく聞きます」
  「確かに、1日1000円以下で苦しい生活をしている人からみれば十分だと言いたくなるのだと思います。でも、生活保護基準が下がれば、最低賃金法の定めによって最低賃金が上がらず、地域によっては下がることもあり得ます。地方税の非課税基準や国保料等の減免基準等も軒並み下がります。生活保護を叩いてその基準が下がれば、自らの首を絞めることになるのです。むしろ最低賃金や年金の低さを叩くべきで、叩くべき相手を間違えていると思います」


(引用終わり)


 私が、一人暮らしを始めた昭和62年、月給は手取り約12万円、風呂なしアパートの家賃は3万9000円だった。ボーナスはあったが、夜学に通っていたので、ボーナスで学費を払っていたし、独身だったので、いろいろと享楽的に(ここはご想像におまかせ)パーっと使って、ボーナスは生活費にはならなかった。物価水準を昭和62年と平成22年(そこまでしか統計がないので)と比較すると、「主要品目の東京都区部小売価格」は、品目によってばらつきはあるが、全体としてはむしろ今の方が安い。また、当時私は、手取り12万円から通勤交通費も支出していたから、実際に使える金は、今8万円の生活扶助費を受給している人よりも少なかったはずだ。それでも、たまには飲みに行っていた。そのおかげで、給料前にはスッカラカンになり、1000円札や500円玉が隠れてないかと、持っている服のポケットや引出の中を捜索したことも一度
や二度ではなかったが。


 記事によると生活保護問題対策全国会議の弁護士は、「食費などが1000円では十分な額ではない」と言っているそうだ。しかし、なぜ、8万円受給していて1日に使える金が1000円なのかは何も言っていない。外食するのに1日1000円では食費として足りないかも知れないが、自炊であれば月に3万円あれば食費として十分だ。食費月3万円、光熱水道費月2万円、日用品費月1万円、小遣い月2万円で、十分に生活できる。「耐久消費財を買い替えられない」というが、そんなに耐久消費財を買い替えることがあるのか(因みにウチのテレビは私が独身の頃から使っている27年前のものだ。洗濯機は14年前のもの。炊飯器は昨年、扇風機は今年、それぞれ買い替えたが、それまでは家内が独身の頃から使っていた30年前のものだった。)。月2万円の小遣いを月1万円にすれば、相当の貯蓄だって出来る。生活保護問題対策全国会議の弁護士は「健康で文化的な最低限度の生活」の水準が、貧乏人出身の私よりも高いのだろう。きっと貧乏の経験がないから、どの程度の金があればやっていけるか分からないのだ。


 米国のケネディ元大統領は、就任演説で「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのか問うてほしい」と述べた。その道徳心がなければ、民主主義は機能しない。わが国の公債残高は、今年度末で約709兆円に達すると見込まれている。税収の約17倍だそうだ。単純に勘定すると年収400万円の人が6800万円の借金を抱えていることになる。その借金は、我々の世代が作ったものだが、もう我々の世代では返しきれない。我々は勤勉、忍耐、質素、倹約、廉恥、愛国心などの父祖の遺産を食い潰し、借金を重ね後世にツケを回しているのだ。「生活扶助費が8万円では足りない」という人に、それを支援する人に、「あなたがあなたの国のために何が出来るか」を問うのは、無駄なことなのだろうか。

(この記事は、4月10日に他のブログに投稿したものに一部改変を加えたものです。)


 愛知県豊橋市への出張を終え、新幹線の中でこのブログを書いている。豊橋は、あまりなじみのない土地だが、全国的に名の知られた名物や観光地があるわけではなく、道がやたらと広い他は、なんということもないごく普通の田舎町のようである(別に悪口を書いているつもりはないので、念のため。)。


 用務を終えて、豊橋駅近くのラーメン屋で遅い昼食を済ませ、駅構内を新幹線乗場の方へ歩いていると、「ちょっといいですか。」と声をかけられた。こんなところで、客引きもあるまいに、何事かと思って声の主を見ると、20代前半であろうか、バインダーを抱いた若いスーツ姿の女性である。往来で、私のようなおじさんに声をかけてくる若い女は、大方、ろくなものではない。水商売でなければ、新興宗教の勧誘か押し売りと相場が決まっている。しかし、新幹線の発車時刻まではまだ間があるので、少しからかってやろうと思い、つきあうことにした。


 その女性は「新入社員研修の一環としてお話をうかがっています。いくつかお尋ねしたいので、2、3分よろしいですか。」と言う。そら来た、何か売りつけるつもりか、名刺をもらって、後からセールスの電話をかけてくるつもりに違いない。


 私がそのようなことを思っていると、彼女は、3つの質問をしてきた。「新入社員に何を求めますか。」「今の学生に言いたいことは何ですか。」「プロとして必要なものは何ですか。」と。

 おやおや、これはまじめな質問だ。気を取り直して、しばらく考えた後、こう答えた。


1 新入社員に求めるもの

  「貪欲にかつ謙虚に学ぶ姿勢」

 新入社員は、見ること聞くこと触れるもの全てが初めての経験ばかりだろう。最初のうちは、何が何だか分からずに右往左往するのは当たり前だ。しかし、受け身の立場で教えを待つのではなく、自ら上司先輩に進んで質問し、その姿を見て、1日も早く職業人としての自分を確立してもらいたい。


2 今の学生に言いたいこと

  「勉強せよ。」
 
 最初は、「今の学生をどう思ういますか。」という質問だったが、「『今の学生』と言われても、今の学生に接していないから、答えようがない。」と言うと、このように質問が変わった。

 学生は、自身が専攻する分野の勉強はもちろんだが、人間を深め、幅を広げる勉強をしなければならない。本を読み、芸術に接し、思索に耽り、師友と議論をするためにふんだんに時間を使うことができる時期は、人生の中でおそらく学生時代だけである。

3 プロとして必要なものは

 「信念と誇りと使命感」

 一所懸命に信念をもって一道を究める。そのような自らの生き方に誇りを持つ。そして、使命感をもって自らの知識、技能を世のため人のために役立てる。こうなれば立派なプロである。

 私が話し終えると、その若い女性は、嬉しそうに「ありがとうございます」と言い、その場を別れた。名刺も要求されなかったし、何も売りつけられなかった。

 新幹線に乗ってから、しばらく考え込んでしまった。
 私は、果たして新社会人の人たちに恥ずかしくない先輩だろうか。何を若い人たちに伝えていくことができるか。本当にプロといえるか。

 彼女の新入社員研修は、私にも重い研修課題を与えてくれたのだった。

この3月23日に父が他界した。

 父は、昭和8年1月23日に生まれ、79年と2月の生涯を閉じた。

 父は、生前、自身の生い立ちについて話すことはほとんどなかったが、ほのかに聞くところによると、必ずしも幸福な少年時代を送ったわけではないようであった。
そのような環境も人格形成に影響したのであろうか、私の知る父は、気まぐれで、時に激昂する扱いにくい人であった。私は、そのような父を嫌い、高校卒業後、郷里を出て東京で就職した。

 一方、父の元ご同僚の方の弔辞や、親戚連中の思い出話の中には、優しく、仕事熱心で、部下思いの、また、自身の激しい性格を制御しようと苦しむ父の姿もそこにあったのだった。

 父は決して真面目な人間ではなかった。おそらく人並み以上に、他人に迷惑をかけ、困らせてきた人間であった。酒も煙草もたしなまなかったが、血圧が高く、晩年は、心筋梗塞、脳梗塞を発症し、長く闘病生活を送った。

 危篤の連絡があったのは、22日午前中だった。すでに脳死状態との知らせだった。手の施しようがないほどの脳内出血だったそうだ。脳死状態ならば、生命維持装置をつけていれば、しばらくは持つのかと思っていたが、23日の午前中に逝った。

 父に対する恨み辛みも言いたいことも山ほどあったが、父は私の恨み言を聞かぬまま逝ってしまった。父が死んでも涙は出ないだろうと思っていたが、やはり出なかった。

 私は、これまで父を反面教師として、生きてきたつもりだ。その反面教師が亡くなったいま、複雑な感慨を抱き、郷里がまた少し遠くなったような寂しさを感じている自分に、いささか戸惑っているところである。

 前回ブログを書いたのが、8月24日なので、何と3か月近くも放っておいたことになる。数少ない読者の方々、申し訳ありません。

 本日のお題は、「オリンパス」です。長文ですが、ご容赦を。


 精密機器メーカーであるオリンパス株式会社が世間を騒がせている。
 ことの経緯を振り返ると、こうである。

10.14 オリンパス、マイケル・ウッドフォード社長を解任。後任は菊川剛会長が社長を兼務
 マイケル前社長は、報道機関に対し、菊川氏が社長在任中の企業買収に伴う不明朗な会計処理を追及したことが原因で解任されたと表明。オリンパスが、企業買収に際して、常識を逸脱した額の投資助言会社への報酬、買収資金を支払っていたことが明らかになった。英国の捜査機関に、オリンパスの不明朗な会計処理について報告。
 オリンパスは、これに対し、不正はなく、マイケル前社長に対する法的措置も辞さないなどと発表。市場関係者から批判を受け、株価急落。
10.26 菊川氏は会長兼社長を辞任し(取締役は辞任していない)、高山修一取締役が代表取締役社長に就任
11.1 オリンパス、第三者調査委員会を設置
11.8 オリンパスは、1990年代以降、有価証券投資による損失の隠匿のため、企業買収が利用されたことを発表、森久取締役を解任。その後、菊川、森久両取締役、山田監査役が損失隠しに関与していたことを認めた。


 報道により、現在までに明らかになっているのは、このような事実関係である。


 この騒動は、もともとはFACTAという雑誌が、オリンパスの買収に絡む不正の存在を記事にしたことに端を発するようだが、私は恥ずかしながらそのことは知らなかった。しかし、マイケル前社長の解任の理由が「独断的な経営を行い、他の取締役と乖離が生じた」「日本の文化を日本の経営の中では生かさなければならないということを理解しなかった」などという、全く具体性のない理由だったので、何かあるのではないかと思っていた(あと出しじゃんけんみたいで恐縮ですが、本当です。)。それが、これである。一時は、買収に絡む不透明な巨額の資金が、暴力団に流れたのではないかと取り沙汰され、仮にそのようなことがあれば、オリンパスはなくなるだろうと思ったが、今のところ、そのような事実はないようだ。


 損失隠しに関与した歴代役員は、巨額の資金を自身の財布に入れたわけではなく、その意味では、私腹を肥やす意図があったわけではなかろう。おそらくは、損失の計上により株価が下落し、資金調達に不都合が生ずるのを恐れてのことで、その意味では、会社を防衛する意図だったと思われる。しかし、だからといって、市場を20年にわたって欺いてきた罪が許されるわけはない。また、歴代役員に私腹を肥やす意図がなかったとしても、計上すべき損失を計上しないで、その責任を免れ、損失がない前提で役員報酬を決定し、これを受領していたのだから、結果的に、私腹を肥やしたことに違いはない。人として恥ずべきことである。


 ところで、海外では、今回のオリンパスの不祥事を、日本企業がガバナンス改革に後ろ向きであるとして、堀江貴文や村上世彰が証券市場から排除されたことと関連づけて論ずる向きもあるようだ(ウォールストリートジャーナル10.28)。


 しかし、オリンパスの問題を日本の風土の問題に帰するのは、誤っている。むしろ、このような論じ方は、責任の所在を曖昧にし、菊川ら経営陣を擁護することにもなりかねない。アメちゃんあたりにご託をいただかなくても、日本には立派な経営者がいくらでもいる(いた?)。日本式経営は、経営者と社員が一丸となって、会社のみならず、国家、社会の発展のために働き、国家・社会と会社と個人を発展させるというものだ。日本式経営の観念の下では、会社は、国家・社会の公器であり、従業員にとっては自己実現の場であって、単なる株主の金儲けのための所有物ではない。だからこそ、「会社は金儲けのための物で、従業員はその構成部分にすぎない」としか考えない堀江や村上は排除されたのだ。


 今回のオリンパスの事件は、国法に反し、社会を欺き、従業員の士気を著しく低下させ、日本企業に対する信頼までも損なうことになったもので、当然、日本式経営の下でも許されるものではない。


 「コンプライアンス」という言葉が人口に膾炙して久しい。上場企業は、どこの会社も、コンプライアンスをやかましく唱え、その体制作りをしてきたはずだ。しかし、いかに立派な体制をつくったとしても、それを動かすのは人だ。コンプライアンスを実行する企業トップが自らコンプライアンス違反をしていたのでは、体制が機能するはずはない。


 オリンパスの問題を日本の風土の問題としてとらえるとすれば、それは「説明責任」とか「コンプライアンス」などというレベルではなく、そのようなシステムを動かす「人」がいなくなりつつあることだ。もちろん、多くの企業が、様々な研修制度や能力開発プランを取り入れ人材育成に力を入れているだろう。しかし、そこでの「研修」や「能力」は、知識や技術に偏り、「志」を育てることを忘れてはいないか。この問題は、実に、企業だけの問題ではなく、家庭教育、学校教育などもかかわる問題であり、ひいては将来の国家運営にかかわる大問題である。



 私の尊敬する二人の経営者、松下幸之助氏と出光佐三氏(いずれも故人)が、同じことを言っているのを知って、驚いたことがある。


松下幸之助氏「松下電器は人を作る会社です。あわせて電気製品を作っています。」


出光佐三氏「人間をつくることが事業であって、石油業はその手段である。」


 このお二人は、また、日本式経営をこのように表現している。


松下幸之助氏「世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、必ず成就します。」


出光佐三氏「出光は、人間尊重の主義により、まず自己を尊重して人生に安定の基礎を得、社会、国家のために努力することを楽しむことになっている。」


 人を育て、社会、国家に奉仕することを事業としたこのお二人の経営姿勢を今の経営者はもっと学んで欲しい。

 

 最後に、オリンパスの経営陣に、出光佐三氏の次の言葉を贈りたい。昭和45年に福島県を訪れた際、地元の小学生に話した内容の一節である。
 
「政治家とか、大きな事業をしている人が偉いのではなく、真心の鏡が曇っていない人が偉いんだ。」



とまあ、こんなブログで私がいくら偉そうに書いても、ごまめの歯ぎしりでしかないのだが・・・。

ソフトバンクの孫正義社長のツイッター上でのリツイートである。
(引用開始)
8/17RussiaToday福島第一・地面から水蒸気が噴きだしている (日本語字幕付) http://www.youtube.com/watch?v=4bD7SuXVpc4 これを放送しない日本終わってる関東東北7000万人を見捨てた
(引用終わり)

何のコメントもなくリツイートしているってことは、孫さんの意見も同様という趣旨であろう。
「福島第一・地面から水蒸気が噴きだしている」の動画は、ロシア・トゥデイというメディアのニュース映像のようだが、まず見てみよう。



 このニュース映像には、地面のひび割れから蒸気が噴出している映像は含まれていない。「地面がひび割れ、放射能を含んだ蒸気が噴出している。」というのは、「原発作業員」の発言とされている。しかし、ロシア・トゥデイが「原発作業員」に直接取材をしたのか、間接的な情報なのかもこの映像からは不明だ。映像の中でコメントしている広島市立大学のロバート・ジェイコブズ教授は、この現象は、7月1日と8月12日の余震の後に始まったと述べているが、その根拠は不明だし、両日を境に、観測される放射線量が増えたというデータもない(今日に至っても増えていない)。ついでに、広島市立大学のホームページによると、このロバート・ジェイコブス教授の専門分野は歴史学(核兵器の文化と戦争史、米国の冷戦史と文化、科学技術の文化史)だそうで、原子力発電の技術や発電所の構造について、どれほどの知識があるか疑わしい。
 このようなことを考えると、常識的には、この報道は「信用できない」と判断されるのではないか。孫さんは、一体、何を根拠にこの報道を真実と思ったのだろう。それを説明できなければ、反原発に利用できるものは、流言蜚語でも何でも利用すると非難されても仕方がない。実際、そうなのかも知れぬが。

 原発の問題は、産業政策、科学技術開発、環境問題、国際協力、安全保障などさまざまな問題と絡み合っており「危ないからやめましょう」と簡単に片付けられる問題ではない。
 代替エネルギーが開発できなければ、原発を廃止した場合、どのようなことが起きるか。
 電気料金の値上がりによって製造業のコストを押し上げ、国内産業の競争力を低下させる。電力供給の逼迫により電気自動車などの普及が見込まれなくなる。原子力の平和利用に関するノウハウが失われる。化石燃料の大量消費により、二酸化炭素排出量が増大し、国際公約である二酸化炭素排出量25%削減は達成不可能になる。原発建設に日本の技術を導入しようとしていた諸外国への国際協力の途を閉ざす。原子力に関する技術の低下により、近隣諸国は、日本は核兵器製造の能力を失ったと考える。
もちろん、原子力と同等の代替エネルギーが開発されれば解決する問題も多いが、直ちに原子力に匹敵する代替エネルギー開発を期待するのは困難だ。

 一方、日本が脱原発の方向に進んだとき、ロシアはどのような影響を受けるか。
 日本の産業競争力の低下は、相対的にロシアの競争力の向上につながる。化石燃料の消費の増加は、ロシアからの原油、天然ガス等の輸入につながる。日本が原発技術の輸出を停止することにより、ロシアの原発輸出の機会が増大する。環境問題における日本の国際的な発言力、信用性が低下することで、ロシアの発言力が高まる可能性がある。日本の潜在的防衛力(核兵器の製造能力)の低下により、ロシアは軍事的優位性を保つことが出来る。

 日本の反原発・脱原発は、ロシア(だけではなく中・韓も)にとって、よいことづくめで、日本が原子力発電をやめることでロシアが損をすることはなさそうだ。

 ロシア・トゥデイの映像に使用されている言語が英語であることから分かるように、この映像は、ロシア国内向けのニュースとして制作されたものではない。ロシア・トゥデイは、ロシア国営のメディアで、ロシア大使館のホームページにリンクが張られていることからすると、おそらくロシアの宣伝機関としての性質を持っている。
 ロシア・トゥデイが原発危機を煽るわけである。

 そう考えてみると、反原発・脱原発のムード作りには、外国の謀略も一役買っているようにも思える・・・というのは、うがちすぎた見方だろうか。

 反原発でも、脱原発でも、それはそれで、個人の信条だからかまわないが、反原発・脱原発を唱える人は、それによって日本がどのような影響を受けるか、どのような状況に陥りかねないか、よく考えてほしい。
 「国民の安全が第一だ。経済やその他の問題は二の次ではないか。」というのは、分かりやすい反論だ。
 しかし、反原発・脱原発政策による経済の悪化は、国力の低下を招き、いずれ国債のデフォルトにつながりかねない。そうなると、日本経済は破滅である。社会保障費は削減され、満足に医療を受けられない人が増え、それまでであれば救えた命も失われることになる。失業者の増加により犯罪も増加するだろう。防衛費が削減され、尖閣諸島など島嶼部への侵略に対処できず、日本周辺の海底資源は盗られ放題になる。将来、日本もチベットやウイグルのような憂き目を見ないとも限らない。これらは、どれも国家・国民の安全に反することだ。

 世の指導的地位にある人には、反原発・脱原発をムードで論ずるのではなく、電力供給能力の低下がわが国と国民にどのような影響をもたらすのかを多面的かつ説得的に論じてもらいたいと思う。

 ところで、このロシア・トゥデイというメディア、どういうメディアかと思って、他の動画がないか調べてみた。

 あった、あった、こんなのが・・・

New 9/11 photos 'prove WTC exploded from inside'(9/11新写真がワールドトレードセンターは内部から爆発したことを証明した)
http://www.youtube.com/watch?v=NX_UKdqoa_o&feature=player_embedded
(英語)

新型インフル発生の真相・バイオテロ
http://www.youtube.com/watch?v=PVZokaPLX-g
(日本語字幕付)

・・・なるほどね。東スポとかが好みそうなニュースですね。
孫さんは、こういうメディアの報道が、日本で取り上げられないことをもって「日本は終わってる」と言ってるわけね・・・。

このような人からは、とても説得的な議論を聞くことはできなさそうだ。
 九州新幹線のCMが話題になっている。鹿児島中央から博多まで、沿線の人々の喜びを映したものだ。
 九州出身の私としても、新幹線で九州を縦断できるというだけでなく、青森から鹿児島まで列島を縦断して新幹線が通じたというのは、理屈ではなく、うれしい。



 私が小学校4年生の時、山陽新幹線が博多まで延びた。小学校の窓から見える新幹線を、みんな窓から乗り出すようにして眺めていた。テレビでしか見たことのなかった「夢の超特急」が学校の近くを走っているというのは、うれしく、また誇らしく感じた。
 この映像を見て、そんなことを思い出した。

 「新幹線というのは、日本人にとって特別な乗り物かもしれませんね。」と言った友人がいる。
 きっとそうなのだろう。

東京駅の東海道新幹線の改札を入って突き当たりの壁に1枚のプレートが貼り付けてある。
  そのプレートには、次のように記載されている。

              東海道新幹線

    この鉄道は、日本国民の叡智と努力によって完成された

 初めてこのプレートを見たとき、心が震えた。新幹線を開発した国鉄の技術陣は、それを見守っていた当時の国民は、どれだけ新幹線に希望と勇気を見出したのだろうと。

 東海道新幹線が開通したのは、昭和39年10月1日。焼野原に玉音放送が流れて19年、独立を回復してから僅か12年しか経っていない。若い人はそうでもないかも知れぬが、40歳を過ぎると19年というのは、そう昔の話ではない。私なぞ、先帝崩御の日が、ついこの間のことのように思い出される。12年前となると、もう昨日のことのようである。

 昭和39年の日本人もそうだったろう。戦うこと4年、昭和20年、日本は遂に矢弾尽き果てて戦に敗れた。建国以来の、屈辱の占領期間を経て独立を回復したのが昭和27年。それから日本は、2度目の坂の上の雲を目指して再び歩き始める。シベリア抑留者の帰還、国連加盟、戦後初めての国賓として世界最古の王国であるエチオピアから国王陛下を国賓として迎えた。皇太子殿下ご成婚、そして昭和39年、世界最速の鉄道である新幹線が開通し、アジアで初めてのオリンピックを東京で開催した。メダル獲得数は、米ソに次ぐ3位だった。あの日、玉音放送に慟哭した一億同胞の国威回復の誓いは、ここに達せられたのだった。戦後の苦難を乗り越えて、新幹線の開通とオリンピック開催を迎えた国民の晴れがましく、誇らしい気持ちは、いかばかりであったろうか。

 九州新幹線のCMを見て「涙が出た」という書き込みをいくつか目にした。楽しく、喜ばしいCMに涙が出るのはなぜだろう。
 平成23年を迎えた今年、わが国は、敗戦以来といわれる国難を迎えた。いうまでもなく、震災と原発事故である。その国難の中で、九州新幹線は開通した。このCMに涙が出るのは、未曾有の大災害からの復興の希望を新幹線に見出しているからではないか。今次の大災害を先の大戦における戦禍と重ね、復興の希望を新幹線に見る。それは、父祖が体験した敗戦の慟哭と昭和39年の国を挙げての歓喜が、われわれの無意識の中に生きているということだとおもう。まさに、新幹線は希望と勇気を運んでくれる「日本人にとって特別な乗り物」なのだ。

 平成23年8月15日、66回目の終戦記念日である。66年前と同じく国難を迎えている今こそ、敗戦の苦難を乗り越えた父祖に倣って、国民挙って、復興の誓いを新たに、勇気と希望をもって歩き出す秋(とき)だ。


 何を怒っているかというと、この写真である。

ひねもす・よっぴて
 facebookで巡り巡って私のところへも来た写真で、元の投稿者によると、宮城県石巻市の中学校の給食だそうだ。

 撮影に際して、ご飯の量を少なくしたり、本来は別の器にいれてある総菜を、わざわざご飯の上にのせているなど、意図的に貧しい食事に見せる作為が施してあり、そこは、いかがなものかとは思うが、それを差し引いても、食べ盛りの子供たちに、一膳の飯とふりかけ、豚肉(?)一枚、牛乳1本の給食はないと思うのだ。

 食べ盛り、育ち盛りの子供たちが、量も栄養も、これで足りるわけがない。腹を空かせたままでは、勉強も部活も身が入らないだろう。

 かつてのように、国全体が貧しく、飢えているというのであれば仕方がない。しかし、すでに被災地にも食料は行き渡っているのだ。それでは、なぜ、このような給食になったかというと、給食センターが復旧していないからだとか。

 それなら、自宅から弁当を持たせたり、仕出し弁当をとってもよいものだと思うが、役人どもは、「弁当にすると、持ってくることが出来ない子もいるので公平でない」とか「仕出しは衛生基準の問題がある」とか言っているらしい。役人根性丸出しの馬鹿と言うほかない。


 大事なことは、子供たちの腹を満たす栄養のある食事を提供することだ。そして、それは、単に昼飯の話だけではなく、教育の根本に関わることではないか。


 弁当を持ってくることが出来ない子がいれば、別に手当をすればいい。被災地だから親を亡くした子もいるだろう。避難所暮らしで弁当の用意が出来ない家庭もあるだろう。そうでなくとも、さまざまな事情で弁当を持参できない子もいるだろう。でも、それが現実だし、そのような現実の中で、寂しさに耐えることを教えるのも教育のはずだ。そして、弁当という形で家庭の愛が得られない子には、別の形で社会が、教師が愛を与えてやればよい。たとえば、弁当売りのおばちゃんが、そういう子に「今日は大盛りにしといたよ。」と声をかけてやるだけでも、その子は社会に愛されているという実感を持つのではないか。

 また、仕出し業者に衛生上の不安があれば、衛生基準の指導をすればいい。実際に、東松島市の中学校では、民間の弁当業者に給食を発注していると報道されている。


 いくらでもやり方はあるはずなのだ。しかし、役人どもは、子供たちに満足な給食を与えるためにどうすればよいかを考えるのではなく、満足な給食を与えられないことの言い訳を考えながら仕事をしているのである。まったくもって、恥ずべきことだ。


 子供たちは、国の宝だ。大人になったら、世のため人のために尽くし、成長するまでに受けた愛と恩を次の世代に受け継いでいってほしい。しかし、大人たちは腹いっぱい仕出し屋の弁当や炊き出しの飯を食いながら、子供たちには「給食センターが復旧しないから、給食はこれだけだよ。」と言うとすれば、子供たちはなんと思うか。国や社会に対し、愛や恩を受けたと感じることが出来るか。


 この未曾有の災害は確かに国難だ。そして、この国難克服のためには、われわれ国民一人ひとりが、それぞれの職場で、家庭で、まごころを尽くしてその任に当たることこそが第一に必要だ。

 果たして、石巻市の教育関係者は、まごころを尽くして職務に精励しているといえるか。規則を盾に、本来なすべきことから逃れ、保身に走っているのではないか。

 国難は、災害だけではない。教育者が教育の本分を忘れていること、それもまた国難というべきである。


 給食だけではない。一事が万事これである。政治家も役人も枝葉末節の議論にこだわって、大事なことは何も前に進まない。どうしてこんなに情けない国になってしまったのか。

占部賢志「語り継ぎたい 美しい日本人の物語」(致知出版社)を読了。

古代から現代までの「美しい日本人の物語」10話を紹介したもの。

国を愛し、人を愛した先人の働きに涙す。


中高生向きの本だが、恥ずかしながら、10話中7話は知らない話だった。


4月に採用になった、わが職場の新人君に、毎月、課題図書を与えて読書感想文を書かせている。

彼は、ほとんど本など読んでこなかった若者だ。

夏目漱石も、森鴎外も読んだことがない。トルストイやドストエフスキー、ヘッセに至っては、名前すら知らない。

驚くほど歴史を知らない。

乃木大将も東郷提督も知らない。

その彼に、「読書をせよ。」「言葉を鍛えることは心を鍛えることであり、言葉を豊かにすることは心を豊かにすることだ。」「歴史の鏡に映らない未来はない。」と説いている。

職業人である前に、一人の人間として、日本人として、読書を通じて心を豊かにし、歴史を学んでほしいと思っている。


そんな偉そうなことを考えながらも、実は、私自身、まだまだ知らないことが多いのを恥じる。

部下に一冊本を読ませるのであれば、私はその十倍は読まないと駄目だ。


出来の悪い新人君だ。大学を出て2年間フリーター。

就職活動もしていないそうだ。

「やりたいことは何かを考えていた。」とか。どうやら「自分探し」をしていたらしい。

そんなもの、らっきょうの皮を剥くようなものだ。見つかるわけないのに。

大事なのは、「自分探し」ではなく、「自分磨き」のはず。

そんな彼を一人前の日本人に、職業人に育て上げることが出来れば、私も、一人前の上司かな。

そのためには、私自身が「自分磨き」を怠らないようにしなくては。

部下を育てることで、自分が試されているのだと気を引き締める。




まだ誰も見ていないと思いますが、本日からブログを始めてみました。

三日坊主で終わるか、細く長く続けていけるか、自分でも分かりません。