常山郡真定に生まれた趙雲子龍。Zhao-Yun
身長は184~194センチ、優れた風貌に恵まれていたそうだ^^

192年、劉備は公孫瓚の元に身を寄せていて、公孫瓚から命じられ袁紹にあたった時の
騎兵隊長が趙雲だった。その後、趙雲は公孫瓚のもとを離れる。
劉備と趙雲の再開は200年。空白の8年間は、今もって謎のままである。

208年、劉備が曹操に大敗したとき、乱軍の中から後の劉禅と劉備の夫人を救出している。
演義では、曹操軍の大将など五十余人を斬り捨て、乱軍の中から脱出するシーンは
趙雲の活躍をものの見事に脚色していて素晴らしい。

217年以降の漢中の戦いの一戦では、偵察隊として出た趙雲たちが
曹操軍本隊に囲まれてしまい、戦いながら見事に退いた。
その際、仲間の張著が負傷し曹操軍の重囲に陥ったが、趙雲はとって返して彼を救出し帰陣した。

帰陣した趙雲は、張翼が陣営の門を閉めようとするのをやめさせ、
門を大きく開かせ、旗を全て伏せ、物音を断った。
曹操軍は、そのまま大軍で押し寄せたが、陣の奇妙な状態に伏兵を警戒し、兵を引こうとした。
まさにそのとき、趙雲は陣太鼓を轟かせ、弩を一斉に射込み、曹操軍を打ち破った。
翌日、劉備は「子龍は一身これ胆なり」と絶賛。軍中では虎威将軍と呼ばれた。
演義では孔明の空城計として出てくるが、事実ではないらしい。
空城計は趙雲が本家本元だった。