ごまめが歯ぎしりをやめる日

ごまめが歯ぎしりをやめる日

くだらない事をうだうだと書ける今日という日に、心から感謝。

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単に鍛え方が足りないだけなのだが、

私自身が感じる、90kmを超えた時の疲労感は、

 

鉛のような身体をひきずりながら、

狭まる視野、回らない頭の中、荒い呼吸の中で

「早くゴールして楽になりたい」以外の欲望が

何も湧かないままに、歩を進めているような感じ。

 

 

95kmの手前にして疲れきってしまい、

河口湖ステラシアターのエイドが、なかなか見えない。

状態が悪い時は、何度も走っている道であっても

距離感が狂い、まだか、まだ着かないのか、

なんでこんなに遠いの?という錯覚に陥ってしまう。

 

やっとの思いで95kmのエイドまで。

もう食欲どころか水分もいらない。

とにかく早くゴールしたいので、このエイドもスルーした。

 

 

しかし、最後の急坂である。

最初から歩く。周りもみんな歩いている。

ひたすら歩いて、距離を潰していく。

 

 

・・・去年までと何か違う。

 

傾斜に対する抵抗が少ない。いつもほど脚が重くない。

 

歩けている。前を行く人を1人、また1人と追い抜いた。

初めてのことだった。

 

 

心当たりはある。

昨年の6月、同じランニングクラブの人達を応援するために

訪れた「奥武蔵ウルトラマラソン(78km)」。

 

険しい峠道が続く、奥武蔵グリーンラインの一部を

初めて走ってみた。きつかった。ヒザもすぐに痛くなった。

でも、いい負荷になった。

 

それからというもの、嫁やクラブの人達と一緒に

奥武蔵練習を行うようになった。

 

峠の茶屋を離れれば、自販機もトイレもない。

ペットボトルの水を何本も入れたリュックを担いで

携帯の電波もろくに入らないような中を、上っては下る繰り返し。

 

平坦な道がほとんどない行程を、早朝から夕方まで約40km。

みんなに置いて行かれ、誰もいない鬱蒼とした山道を1人で走ることもあった。

 

とんでもなくキツい時間。

でも行く度に必ず、己を鍛えることができる場所となった。

 

 

 

「山が効いている」

 

そう実感した後、

 

「走れるんじゃないか?」

 

残り3.5kmあたりから、自然と走り出すことができた。

奥武蔵の上りとそう変わらない。確実に坂への抵抗が少なくなっている。

 

 

さすがに疲労の蓄積もあって、走りは1km足らずしかもたなかったが、

この間、何十人というランナーを追い抜いたことは

今年の、自分にとっての最も大きな成果だったと思っている。

 

 

残り2km。

 

富士北麓の喧騒が耳に届く。

まだまだ空は明るい。自己ベストも間違いない。

痛い脚をなんとか持ち上げて、最後まで走りぬくのみ。

 

後ろから、坂で追い抜いたランナー達にまた追い抜かれる。

入賞を狙うレベルのナンバーカードを背負った人や、明らかにもっと速くゴールしていても良さそうな脚力の人もいたが、別にいいのだ。

あの上り坂では間違いなく、自分のほうが脚で上回っていたんだから。

 

 

残り1km。

 

富士北麓公園が近づいてくる。

「お帰りなさい」の声を聞くたびに、自分の身体が少しずつ軽くなっていくように感じる。

 

陸上競技場の手前、人の波。多数の声援。

ウルトラを走るランナーにとっては、これ以上ない「至福の瞬間」。

毎年のように書いているかもしれないが、この瞬間のために、この瞬間があるから100kmという距離を走っているのかもしれない。

 

 

最後の直線。

いつも通りのゴールテープ。いつも通りの感慨。

だから、ウルトラマラソンはいい。

 

 

※今年はいい顔でゴールできた。

 

 

 

自己ベストを30分近く更新できたこと。

 

痛い、苦しいながらも順調に走りきれたこと。

 

そして、最後の急坂で少しでも動けたこと。

 

 

収穫の全てがこの次、

6月の「奥武蔵ウルトラマラソン」へとつながっていく。

今シーズンはまだ終わらない。

 

 

 

(おしまい)

 

 

 

【ごまめちゃんクイズ】

 

第5問:

毎年「チャレンジ富士五湖」を無事ゴールした後、

富士北麓公園の会場内において、我々夫婦が行うお決まりのルーティンがあります。それは何でしょう?

 

 

 

 

答え:

私が飲食ブースで無料サービスの豚汁を受け取った後、私が着替えたり荷物を受け取ったりしている間に嫁が平らげる。

(私が何も食べられない胃の状態なので)

 

長くてつらい西湖の復路(南側)を抜け、

暗いトンネルを抜けた先に見える河口湖に

これまで毎年のようにホッとさせられてきた。

 

静かゆえに孤独を感じる精進湖から踵を返して戻ってくる。

少しずつ、気持ちが前向きになってくる。

沿道の人も増えて、にぎやかな雰囲気が漂ってくる。

ここまで帰ってきたんだな、という安堵感も湧いてくる。

 

その一方で今年、自分が襲われた最も大きな痛みは

足の裏だった。

 

右足は小指の周辺とその付け根、左足は親指のすぐ下、いわゆる外反母趾のあたり。

 

それぞれ、もう9時間以上も衝撃を表立って受け止め続けてきた場所。

一歩一歩がとても痛いのだが、それでも踏み込んでいく。

庇ってしまうおかげで、フォームが崩れてヒザや腰に負担がくるよりよっぽどいいからだ。

下り坂がきつい。勾配が急な区間は無理せず歩きに変えた。

それでも、歩いていても痛みが伝わってくる。

「水ぶくれはしゃあない。血豆にだけはなってくれるな」と祈りながらの河口湖。

 

80km。9時間半を切って通過する。

「残り20kmで4時間の貯金(80kmを10時間)」が、一応の安全圏。

4時間あれば、最後の急坂を含めて半分以上歩いたとしても、立ち止まりさえしなければ14時間以内の完走はまず間違いない。

 

 

しかしそれよりも自分には、目指すべき目標がはっきりと見えていた。

5年前、初めて100kmを完走した時のタイム(12時間59分29秒)が自己ベストという情けない状況を打破することである。

 

当時とはコースが変わり、標高の累計が大きく増えたので

自分の地力では13時間を切れるかどうかも微妙だなと思っていたのだが、このまま例年どおりのペースでいけば、なんとかなりそうだ。

 

 

とはいっても、両足の裏は絶望的に痛く、

もはや胃は水分すら受けつけなくなりつつある。

 

90km手前の「おかゆエイド」

・・・おかゆすらも食べたいと思えないこのつらさ。

 

昨年と同じ身体の状況で、

昨年と同じ判断に至った。

 

胃に何も入れないのなら、立ち止まらないほうがいい。

せっかく入っているギア落としたら、また足の裏にきてしまう。

軽く走れている状態をキープすることを優先し、

今年もおかゆエイドをスルーした。

そして今年も、沿道で愛想を振りまくキューピーちゃんも視界から外した。

 

ごめん。ごめんよ。

でも我が家の冷蔵庫にはキユーピーのマヨネーズとドレッシングとあらびきマスタードが常に入ってるから、なんとかこれで勘弁してくれ。

 

 

残り8km。

 

私が最も心震える瞬間。

河口湖に背を向け、富士山と対峙する。その時がやってきた。

 

 

(つづく)

 

 

 

【ごまめちゃんクイズ】

 

第4問:

各ポイントで応援してくれた嫁はもちろん、

「がんばれ!」「ナイスラン!」「いいペース!」など、

今年も私は沿道からたくさんの方々に励ましの声を掛けて頂きました。本当にありがたかったのですが、

私は今回、特に終盤に応援して頂いた沿道の皆さんに

「申し訳ない」という思いでいっぱいになりました。

なぜでしょう?

 

 

 

答え:

沿道からの声援に対して、最初のうちは

「ありがとうございます!」としっかり声を返していたのだが、

だんだん疲れてくるにつれて「ありがとうございます」の発音がおざなりになってしまい、最後のほうは「ニャース」としか言えなくなってしまった。

 

 

 

富士桜が綺麗だった。

青い空も綺麗だった。

湖も輝いて綺麗だった。

 

その全てを収めようと、河口湖で、西湖で、精進湖で(見てはいませんがおそらく本栖湖でも)カメラを構える人の姿が数多く見られた。

 

雲が徐々に取り除かれ、その姿を露わにした霊峰富士。

快晴とはいかないまでも、ここ数年では最も天候が安定していたように思う。昼間は寒すぎず、暑すぎず。観光客や応援者も例年より多く、とても賑やかなコース上である。

 

56kmの足和田出張所関門も無事に過ぎ、よほどのトラブルがない限り時計の心配はなくなった。しかし、西湖を抜けて精進湖へとつながる道の往復は、精神的に結構つらい。

 

ランナー間の交差が最も多い区間もここになる。

すでに精進湖(あるいは本栖湖との二湖)をぐるっと回り、西湖へと戻っていくランナーたち。これからそこへと向かっていく我々に声を掛けてくれる人もいる。

 

歩道ゆえに多少窮屈になるのは仕方ないにせよ、みんな同じゴールに向かう同志。余裕にあふれた人など1人もいない。荒い息遣いで、必死に脚を動かす人ばかりである。

 

私もこのあたりから、疲労を実感し始めるようになった。

精進湖に入り、70kmを過ぎてからは歯を食いしばる時間も多くなる。

食欲はなく、エイドも水分補給が精いっぱいだ。

 

でもここを過ぎれば、少し気持ちが前向きになれる。

100kmコースの最西端から、あとは富士北麓へと戻るのみ。

 

視線は少し先のアスファルト。

広大な景色に飲み込まれてしまわないよう、遠くを見てはいけない。

意識を下半身に向けて、一歩一歩のリズムをしっかり意識する。

 

 

ここまでくると、ランナーの速度もそれぞれ異なる。

当然、歩いているランナーも少なくない。

 

でも面白いのは、私と同じような位置付近で走る中、抜きつ抜かれつを繰り返しているランナーが結構多いこと。

みんなレースの中で、無意識に脚のギアが上がったり下がったりしているものだ。

 

勢いよく私を追い抜いていったはずのランナーが、1時間もしないうちに歩幅を狭めてヨタヨタとした走りに落ち込むこともあれば、全くその逆の場合もある。

 

所属するクラブのTシャツ。大会のTシャツ。

富士五湖以外の大会のTシャツ。

野球やサッカーのユニフォーム。自転車のジャージ。

みんな、いろんなものを背中に彩っている。

そしてみんなが、いろんな背中を目にする。

 

何がきっかけで息を吹き返す、あるいは失速するかは分からない。

でもウルトラでは「同じ背中」を何度も見ることが意外と多いように感じるのは、私だけだろうか。

 

 

西湖を抜けて河口湖の南縁へと入り、80kmを過ぎた。

時間の貯金がある分、脚が重くなるのも早かった。

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

【ごまめちゃんクイズ】

第3問:

私が初めて富士五湖(72km)を走った2011年の大会で、

その道中、ちょっとしたパニックに陥ったことがありました。

なぜでしょう?

 

 

 

 

答え:

河口湖の入口から西湖の出口あたりまで、

私の頭の中に、望んでもいない「ふじっ子煮」のCMソングが

繰り返し流れ続けていた。

 

淡々と、富士北麓から坂を下り、

少し上り返して、また下る。

短いようで長い歩道をまっすぐ進み、

歩道がだんだんと細くなって、視界が開ければそこが朝靄の山中湖。

 

いつも通りの早朝ランだったが、ペースが6分/km。

はじめて100kmを走った頃から1分上がった。走力だけでなく気持ちのゆとりも大きくなったからだろうか。

決して無理をすることなく、山中湖に入ってから、いつもの公衆トイレで小休止も入れて、最初の関門は29分の貯金。去年より14分縮めるとても順調な序盤となった。

 

 

まず完走。できれば自己ベスト。

下り坂を、去年よりもっと上手く下る。後傾姿勢にならないように。

上半身が凝らないように、5kmごとに肩を回して、手首の力もしっかり抜く。

前半50kmはエイドで長居しない。補給したらすぐに出る。

 

・・・などなど、毎年いろんな課題を持ってレースに臨んでいる。

初めて72km(当時)を走ってから今年で7回目の富士五湖なので、どの地点で何に気をつけて走ろうか、具体的なプランも立てられるようになった。

 

 

私が一緒に練習をさせて頂いている、(きわめて緩い雰囲気で、もう厄年を超えている私が最年少という、恐ろしい平均年齢の)ランニングクラブにもウルトラを走る人は多いのだが、よく言葉として出てくるのが、「脚を残す走りをしなさい」ということ。

 

じわじわとくる疲労もあれば、突然「ガクッ」とくる疲労もある。

 

本当に苦しい終盤のために、そして自分自身を過信しないように、「脚を残す」という心掛けの大切さを、ベテランの皆様から日々の練習を通じて学んだのである。

 

 

山中湖に入ってから、景色の良さで気持ちがハイになるのか、ピッチをグンと上げる若いランナーが何人かいた。

私の周囲にいるということは、順位を狙うような走力を持ってはいないはず。脚を上げすぎて明らかに省エネのフォームではなく、動きのブレも大きい。

 

 

案の定、追い抜いていく背中を見ながら「もたないぞ」と感じたランナーは揃いも揃って、山中湖を抜けた後、富士北麓を上るその手前から走るのを止めてしまっていて、とても走って北麓上の関門まで行けそうな雰囲気ではない足取りに変わっていた。

 

 

100kmはこの先、河口湖も西湖も吉田うどんも青木ヶ原樹海も精進湖もある。

 

チャレンジ富士五湖はウルトラ初心者の登竜門といいながらも、決してその難易度は低くない。

むしろコースを知らないランナーにとっては前半、厳しく容赦のないコースと関門設定が待っている。

 

 

遅くてもいけないが、早すぎてもいけない。

56kmの足和田までギリギリの関門通過を続けても、しっかり時間をコントロールして脚を残し、完走にこぎつけたランナーを私はたくさん知っている。

 

しかし逆に慎重さを失って、富士北麓の上りに脚を残せなかったランナーは「富士一湖」で終わってしまう。なかなか非情な大会である。

 

 

 

私はというと、先人(失礼)の教えの通り、脚を残しながら、少しずつ貯金を作っていく走りができた。40kmを4時間16分。

 

北麓からの長い下りでもフォームを崩すことなく、フルマラソンの距離も4時間30分少々で通過。調整で走った直前の板橋cityマラソンが4時間34分だったので、恐ろしいほど順調な前半戦となった。

 

(つづく)

 

 

 

【ごまめちゃんクイズ】

 

第2問:

毎年ではありませんが、山中湖、あるいは忍野村を淡々と走っている時、悪いことではないのですが、私はあることにいきなり「ビクッ」と驚かされることがあります。何でしょう?

 

 

 

 

 

答え:

みんな静かに走っている中、唐突に「ぁ、#@+*!富士山見えた!」と大声かつ高音で叫ぶ女性ランナー

 

※「#@+*」=いわゆる奇声

 

ああ、今年も帰ってきたな。

ああ、今年も帰ってこれたな。

 

もちろんこれから100kmを走るという緊張感がありながらも、今年で7回目となる富士山麓。今年も無事にスタートできそうだという安堵感もまた、湧き上がってくるものである。

 

 

ある人が言っていた。

 

ウルトラマラソンほど、体に悪いものはない。

でもウルトラマラソンほど、心を豊かにしてくれるものはない。

 

 

午前3時前。

本降りだった雨は止んだ。でも一帯は雲に覆われ、

「日中は晴れる。富士山も見えるだろう」という予報はまだ信じることができない。

 

ホテルの朝食で腹ごしらえをするのは、今回がはじめてだった。

普段は会場に入ってから買い込んだおにぎりなどを食べているので、バイキングの朝食を3時過ぎに摂るという経験がこれまでなく、まあ箸が進まない……それでも白ご飯と味噌汁、おかず少々を頂き、支度をしてバスへ。

 

今年のスタートも、5時の最終第3ウェーブを選択した。

過去にも書いたが、少しでも遅いスタートのほうが気象条件は良くなる。時間差で前を走っているランナーが多いから、追い抜く機会が増えて心理的にも楽であり、さらには初挑戦のランナーも多いので、全体のペースも最初から速くはならない。完走を目指すプランでいくなら最後のウェーブがいちばん走りやすい。

 

不思議なもので、まだ真っ暗だった4時半から5時へと向かうにつれて、空が一気に明るくなっていく。富士山の方角にはまだ厚い雲。山中湖までは気温もそれほど上がらなさそうだ。

 

あれこれ考える暇もなく、スタートが近づく。

人間生きていると、いろんなモヤモヤを抱えていかねばならないこともある。走ることでそれを忘れたり、振り払ったり。自分だけでなく、多くの市民ランナーが同じようにしていることだろう。

 

ちょうどこの時点の天気のように、雲の向こうが見えるその時を待ちながら、ひたすら走って前に進んでいくしかない。

 

100kmという距離、12時間以上という時間に対して、最初から手ごたえを感じるのは無理な話なのだから、今年も1kmずつ、1歩ずつ積み重ねていくのが、完走への最も確かな近道となる。

 

いつものように手を合わせ、今日の無事を祈る。

午前5時。号砲鳴って、長い旅が今年も始まった。

 

(つづく)

 

 

【ごまめちゃんクイズ】

 

(引用:「河村ちゃんクイズ」)

地方の某ラジオ局で出題されている、絶対に正解が出ないことで有名なクイズ。最近「河村ちゃんクイズ」で検索すると、結構詳しい情報が得られるようになってきた。

 

第1問:

チャレンジ富士五湖のレース当日、まだ夜も明けない時刻からホテルの部屋で着替えやテーピングといった準備をしていく中、その内のある1つの行動について、私はいつも「これでいいのかな?本当にこれで正しいのかな?」と思いながら毎年欠かさず実行していることがあります。いったい何でしょう?

 

 

 

答え:

ウエアやタイツが皮膚に擦れないよう普通はワセリンを塗るのだが、その代わりになるだろうと勝手に判断して毎年、家に常備してあるボトルタイプの「オロナイン軟膏」を持参して、わきの下や鼠径部にたっぷりと塗っている。