ばあちゃんの誕生日。 | HAPPINESS

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思ったことを思ったままに

去年、亡くなったばあちゃんのかお

そんな日に、ばあちゃんのお友達からお手紙がきたラブレター
タイムリーな手紙。
手紙の中で「ばあちゃんの友達で良かった」といってくれました。
ばあちゃんを愛してくれている、その内容に。
優しい心遣いに、泣きました。

ばあちゃんと同い年、遅生まれの90歳のばあちゃんの友達。
だけど、漢字も知っていて、達筆。
昔、ばあちゃんに聞いた。
「学校に行ってたから、彼女はいっぱい字を知ってる」
カタカナしか書けないばあちゃんが、少し寂しそうに話してたのが忘れられない。

ばあちゃんは、16歳で16歳年上のじいちゃんと結婚。
もちろん、親が選んだ相手。
9人の子供に恵まれ、満州に住んでいたこともあり、戦争も経験、子供の戦死、子供の事故死、旦那を看取り、子供の病死、そして自分の闘病、これは一部。
時代とはいえ、波瀾万丈と一言で済ませられない。

今日は、長崎の日でもあるから、思い出してしまう。
ばあちゃんに聞いた戦争の話。
小学生の時に夏休みの宿題で、初めて聞いた満州での話。
聞いている間中、ばあちゃんが泣いていて。
聞いた自分が、悪者のような気がした。
衝撃だった。
お母さんの姉達が亡くなる話、どうやって日本に帰ってきたか、周りの状況がどうだったのか。
それは、身近な人から聞くから余計に、衝撃だった。
あたしも泣いた。
泣くことしか、できなかった。

そして、友達のばあちゃんからも聞いた、長崎の話。
熊本からも、あの雲は見えたんだって。
何だろう?って思ったんだって。
それは、今でも衝撃を残す。

戦後66年。
誰が何をどうやったら、うまくみんなに伝わるんだろう?
唯一の被爆国日本。
でも、日本の中でも被爆者への差別はあった。
今も、あるんだよ。

悲しいかな、今回の地震、原発関係でもあってたんだって。
引っ越してきた人への、無知な人間の差別。
差別する前に、自分の無知を恥じれってのむかっ
(あ汗脱線あせる)

戦後の今。
戦争を経験した方々に、残して欲しい伝えて欲しい思いがたくさんあります。
が、受け取る側の準備が出来ていない現状。

今の日本は、過去の未来。
一人で立ってると思うなよ、若者よ。
親もだけど、じいちゃんばあちゃんあってこその自分よ?
亡くなった後じゃ、聞けない話。
いっぱい聞いとけば良かった…と、今頃になって後悔しているあたし。

これから先。
戦争で得れるものより、失うものの方が断然多いことに、地球が気付くのはいつなんだろう?

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