最近立て続けにマウントや承認欲求に関する記事や書籍を目にすることがあって、私も結構ほとんど無意識にやっちゃってることあるよなあという記事です。


例えば、私は自分が比較的高収入である自覚がありますので、実生活ではあまり自分の給与に関する話はしないのですが、ブログでは結構頻繁に書いています。これはどう考えても実生活ではあまりできない「30代前半女でこんなに高所得なんだぜ」というマウント兼承認欲求からくるものでしょう。


それから服飾にあまり興味がないことも、書き方によっては洋服やアクセサリーをそれなりに買う人たちへのマウント(?)に取れなくもないし、書籍をしょっちゅう読んでいることも「こんなに博学で頭のいい私」という承認欲求の現れだと思います。


本当に言ってて恥ずかしいのですが、英語が話せて、優しい外国人の旦那さんがいて、高収入で頭脳明晰な私を世の中に見て欲しい。まあ簡単にいうと、結局ブログを続けるモチベーションってそういう欲求がドライバーになっているように思います。もちろん他のブロガーさんとの交流も楽しいですし、読書感想文や投資や政治や転職について頭の中を整理する良きツールであるとも思っていて、そういうふうに使っている一面もあるわけですが、そもそも承認欲求がない人は公開ブログなんか書かないですよね( ´ ▽ ` )


とはいえ、私は承認欲求って別に100%悪いものではないと思っていて、こうやって「すごい!」と言ってもらえることが自信になったり自己肯定感が上がったりして毎日楽しくポジティブに暮らせるのだから、むしろ節度を守って使えば良いものと思ってます。


実生活でのマウントは、嫌な気持ちになる人がいる可能性があるので、それだけは気をつける必要があると思っていますが、小さなマウントでブログで呟いている分には特に大きな害にはならないと思うので、これも精神安定剤と思って節度を守ってマウント取ったらいいと思います。


結局人間は社会的動物ですから、自己を確立して自己肯定感を高く保つには、ある程度他者と比較して相対的に自分の立ち位置を確認していく作業が必要なんだと思います。何事もやり過ぎず、適当なところでいい塩梅でマウント取ったり承認欲求を満足させたりしながら、これからもブログ更新していこうと思います。


そんな感じ。


【追記】

頂いたコメントで得た気づきですが、発信者である私の意図もさることながら、受信者である読み手の感覚も重要ですね。仮にこちらがマウント取ったつもりなかったとしてもそう感じる人がいる一方で、言葉通りに受け取ってマウントとは思わない人もいますもんね。私はどっちかというと、後者なりたいです( ´ ▽ ` ) 性善説を信じてるわけじゃないですが、大抵の人は悪意を持って行動しているわけではないと思っています。



これ、最近買ってハマったピアス。フープ型のものは留め具だったり形だったりが好みと違ってなかなかいいものに出会えなかったのですが、こちら大変気に入りまして、違う大きさのものを複数買いました( ´ ▽ ` )