今回は、完全に私の偏見で、「もし作曲家が現代に生きていたら?」を妄想してみました。

ゆるく楽しんでいただけたら嬉しいです。



※曲を知らなくても楽しんでいただけるように、完全にイメージで書いています。


バッハの場合

子だくさんすぎて、教育費が常に心配。

とにかく働き者なので、作曲だけでなく、オルガン(もしくはピアノ)のレッスンもフル稼働で引き受けていそうです。



気づいたら「音楽教室のバッハ先生」として地域で一番忙しい人になっているタイプ。



モーツァルトの場合

次々に浮かぶメロディーをスマホに録音していくタイプ。



でも、録音を聴き返している間にも次の音楽が浮かんできてしまい、

「もう直接楽譜に書いたほうが早い!」

と、結局すごいスピードで曲を書き上げていそうです。



ベートーヴェンの場合

電子ピアノの進化にかなり興味を持ちそうです。



「もっと響きを豊かにできないか?」 

「もっと表現力を広げられないか?」 



とメーカーに次々アイデアを出して、 

気づけば開発側から相談される存在になっていそう。



ショパンとリストの場合

リストはきっと、ショパンの演奏動画をSNSにアップしてバズらせるタイプ。



一方、ショパンは「勝手に撮らないで」と静かに怒って、投稿制限をかけるタイプ。



この2人、絶対SNSの温度差がすごいです。



実際にもリストは、ショパンの音楽をパリで広めた存在だったと言われています。



シューマンの場合

才能のある若手を見つけると放っておけないタイプ。



SNSやブログで 

「この人は絶対すごい!!」と

熱量高めに紹介して、 

気づけば音楽界の名プロデューサー的存在になっていそうです。



でもクララのことになると熱量がすごくなる。



ブラームスの場合

SNSでもあまり感情を語らないタイプ。



でも、たまに投稿される音楽や文章が、 静かなのに妙に感情が深くて、 「この人、きっといろいろ抱えてる…」 と周囲に察されていそうです。



本人は多くを語らないのに、 作品のほうが全部気持ちを語ってしまうタイプ。



チャイコフスキーの場合

猫やリスの動画を見始めたら最後、止まらなくなってしまうタイプ。

気づいたら1日が終わっていて、「作曲どころじゃなかった…」と少し落ち込む日がありそうです。



ドビュッシーの場合

「こうあるべき」という決まりごとにあまり従わず、

音楽の「正しさ」よりも「感じ方の自然さ」を大切にするタイプ。



たとえば音楽制作や配信の場面でも、最新技術を使うこと自体よりも、

「どう聴こえたら一番心が動くか」という感覚を優先していきそうです。



結果として、

従来のクラシックの枠にとどまらない、でも自然にすっと入ってくるような音楽を生み出していそうです。



ラヴェルの場合

AIが作った音楽や演奏にも触れる機会はありそうですが、

「面白い発想だね」と一度は興味を示しつつも、

すぐに 「音色のバランス」や「ニュアンスの精度」 に意識が向いてしまうタイプ。



最終的には、

「技術はすごいけれど、まだ人間のニュアンスには追いつききれていないね」

と静かに分析しそうです。



最後に

完全な妄想ですが、

作曲家って性格そのものが音楽に出ている感じがあって、こういう想像ってちょっと楽しいですよね。

きっと音楽って、その人そのものなんですよね。



もしよかったら、

「この作曲家はこうなりそう!」みたいな妄想も、ぜひコメントで教えてくださいね。