山家三方衆 | プリンセッサ2世のブログ

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武田勝頼、徳川家康の戦いを語るにおいて、山家三方衆を説明しなければならない


元々三河の山間部(設楽郡)に土着した、国人領主であった。お互い強きに勢力に


付いたり付かれたりと、小領主の悲愴溢れる一族である。作手奥平氏、長篠菅沼氏


田峰菅沼氏の三家を山家三方衆と世間では言われていた。この、山家三方衆は


信玄公上洛作戦で降伏して、領土を安堵された。しかし信玄公亡き後、家康による


調略で作手奥平氏が裏切り、勝頼の攻撃の的となった。


勝頼は家康撃滅作戦を頭で描きつつ、信長と同時に殲滅する戦略を練っていた。


側近の真田昌幸に問う。「浜松を落とすことは易い。しかし信長の後ろ巻きが現れると


厄介じゃ。その前に打つ手はあるか?」昌幸は少し考えるが張子房の再来と言われた頭脳で


策を纏めた。「先ず、山家三方衆を全て武田に降す必要があります。作手奥平は家康の


調略に愚かにも引っかかり破滅の道に向かっています。この作手奥平は長篠の最前線に


置かれ、まさに武田家を防ぐ防波堤にされています。引くことも叶わず、必死の抵抗が予想


されます。ここに一手つけるのです。」勝頼は嬉しく聞く。「田峰菅沼一族の菅沼伊賀に


浜松のうちの領土を約束するのです。空手形ではありますが、武田家の威を知る菅沼伊賀は


強力な味方となるでしょう。」長坂釣閑斎は面白くない表情で口をスネ夫のようにしている。


勝頼の決断は早かった。「菅沼伊賀に浜松のうち千石を与えると書をだせ」


菅沼伊賀は破格の恩賞を約束され、力自慢を使者に演じた。「はっはっは。御使者殿


この菅沼伊賀が味方になったからには、奥平などひねり潰してくれます」


天正二年暮れから四月までは勝頼の軍事行動は動きを潜めた。