皆様。おはようございます
私、今年の4月に入ってから、初めて。
YouTube動画を観てたら、「コオロギ食」っていうワードに行き着いたの(笑)
色々調べていたら、2022年11月くらいに「学校給食」に出して大騒動になった話らしい。
私は、テレビも観ないし、ニュースも見ませんが、こうして誰かが教えてくれるので、有難いです
では、動画を3つアップしますが、ご興味があればどうぞ
ひろゆきさん
堀江貴文さん
じゃあ。私も「コオロギ食」について話していきたいと思います
最初、「コオロギ食」って聞いた時。
「なんで?コオロギ?」って思った。
上記に挙げた動画以外にも、いくつか観たり調べたりしたところ。
「食糧難になる今後を考えて、次世代の食糧」として「コオロギ」が抜擢されたみたいね。
もともとの発生原因は。
「食料危機を何とかして避けたい」という「思い・気持ち」から発生していると思うんです。
「何とかしなきゃ、大変だ!」って。
人間の心理と一緒みたいで面白いけど。
で。私も色々考えてみたんです。
私は、田舎出身の人間なんですけど。
小さい時、友達の家に行くとき、田んぼと田んぼの間の「田んぼ道」を歩いていたんです。
あぜ道っていう言葉が難しくて、私は「田んぼ道」って言っていました。
で。10月くらいになると、緑一色だった田んぼが、黄色一色になるんだよね。
「稲刈り」の時期。
で。友達の家に行くとき、田んぼ道を歩くんだけど。
一歩、道を歩こうとした瞬間。
何百っていう「イナゴ」が、私の前を、「虹を描くように」行きかうの。
何百だよ。何百。
右から左に、左から右に。イナゴが宙を舞うのよ。放物線みたいに。
子供ながらに、それが異常に怖かった(笑)
別に、噛まれるわけでもないし、刺してくるわけでもないし、無害なんだけど、量が半端なくてこわかった(笑)
でさ。思ったのよ。
「イナゴ」でいいじゃんって
イナゴとコオロギの違いは?見た目も生態も全く違った!コオロギ食に疑問 - 年中ハッピー!くらしに役立つ便利手帳
記事のなかにもあるけどさ。
イナゴって、稲を食べてるの。人間と同じものを食べてるし。
コオロギみたいに、雑食じゃないし、共食いもしないわけ。
私の田舎では、「イナゴの佃煮」がデパートとかに行けば普通に売ってたの。
私は、こわくて食べられなかったし、今でもできれば食べたくはないの。
でね。こんなことも思った。
以前、ゴキブリについてブログを書いた時。
「ゴキブリを食べる文化も存在する」って話。
私ね。基本。
「食べたいものを食べられる」環境でいられるのが一番いいと思うのよ。
食用ガエルだって、ゴキブリだって、鶏の足だって、豚足だって。
「気持ち悪い」っていう人もいるし、「美味しそう」と思う人もいるのよ。
日本人だって、「生魚」食べるけど、海外の人からしたら「異常」に見えるわけ。
「納豆」だって、「匂いが嫌い」とか「味が嫌い」っていう人も存在するのと一緒。
80億人いれば、百人十色の「嗜好」がある。
だから、「コオロギ食」について、どうのこうのっていう気持ちはない。
でも。一番気になるのが。
「学校給食」に出したというところと、政府が絡んでいるってことなのよ。
学校給食に出した時の詳しい話を知らないけど。
きちんと、アンケートをして、「食べたい人」と「食べたくない人」を分けて、
「23人はコロッケ(コオロギパウダー載せ)」
「17人は、野菜コロッケ」
とかにしたのかな…って。
全員に出して、同調圧力的に「(無理やり)食べさせた」とか「本当は食べたくないけど、周りが食べてるから」とかになっていなかったのかなーって。
学校給食って、食べるのは「子供と先生」なわけじゃん。
先生だって、「コオロギ食」を本当に食べたいんですか?って思っちゃうもん。
「コオロギ食。食べたくないけど、子供達の手前、自分が食べないといけない」とかって思っちゃうんじゃない?って。
ほんと、学校の先生って、「中間管理職」的な存在に思えて仕方ない。
で。あと、政府よ。政府。
これに関しては、ちょっと話が広がっちゃうんだけど。
「どうして、他の国と同じことをしなきゃいけないのかなー」って思う。
「国連はコオロギ」だったら、例えば
「日本は、イナゴで行きます!」とかさ。
「日本は、米で行きます!」とか言えないのかなーって。
私、前のブログでも書いたけどさ。
本当に、「米粉」に希望があるんだよね。
日本には、「お米」があるじゃん。って。
小麦粉に頼らなくても、「お米」で代用できるところ、いっぱいあると思っているの。
多少でも、「小麦」の代わりに「お米」が代用できたら、農家だって儲かるし、日本の財源だって増えると思ってるの。
日本の借金だって、増える一方でしょ?
「他の国に頼る前に、自分の国でどうにかしようよ」って思っちゃうの。
で、こういうことを考え始めると。
「人間(私)の覚醒とか統合」と一緒じゃん?って思うのよ。
借金しているにも関わらず、他の国に援助してみたり。(自己犠牲・見栄・かわいそう的発想)
「米」文化があるにも関わらず、「自分のところにはない、小麦」を敢えて輸入したり。(「ある」にフォーカスしないで、「ない」にフォーカスする)
そんな事を思うの。
まるで、私と同じじゃない?(笑)って。
そうするとさ。
やっぱり、「私」がまともにならないといけないのね。って思うんです。
今回は、そんな事を思いました。
「何でもかんでも、他の国の話を鵜呑みにする」政府をつくったのも、国民の総意(集団意識)。
集団意識をつくるのは、「個人の意識」。
取り敢えず、私は「今、できることに」フォーカスして行きたいと思います