「蓮の花組の皆様」。4度目まして(笑)

 

最近の私の流行語は「慈悲の心」と「人間の尊厳」です(笑)

 

だいたい、その日の「キーワード」みたいなのが頭にあって、今までの経験を通して学んできた事を自分なりに考察していくのが趣味です(笑)

 

皆様は、森鴎外の「高瀬舟」ご存じですか。

 

私と同学年の方でしたら、国語の授業で勉強したことがあるかもしれません。国語の教科書も学校によって違うそうなので、ご存じない方は、こちらの記事をご覧ください下差し

高瀬舟(森鴎外)の1分でわかるあらすじ&結末までのネタバレと感想 | 小説あらすじ&ネタバレ情報局 (ara-suji.com)

 

森鴎外という方は、「軍医」さんだったっていうのは習いました。明治・大正期の小説家だそうです。

 

私は、この「高瀬舟」を初めて読んだのが、中学校2年生の時の国語の時間でした。

 

結構なカルチャーショックでした。当時、「安楽死」に関する事件が多かったようです。

 

でも、普通に思っていました。「中学生に、この問題を考えさせるのか!」って。

 

それだけ、とてつもなく深い問題だと思っていました。

 

当時、クラスで感想文を書いたんですが、私ともう一人の国語得意女子の感想文が先生から評価されたんですが、何を書いたかすら覚えていません(笑)

 

森鴎外の描く世界は、子供心に、非常になまなましく、「血の匂い」すら漂ってくる感じでした。吐き気を催すくらいでした。

 

男性は「血が苦手」と言われることがありますが、そんな気持ちが分かる本です。

 

主人公である喜助は、弟を殺した罪で島流しにあいます。島流しの道中、「高瀬舟」という船に乗り、船を漕(こ)ぐ役人・庄兵衛に喜助の罪を犯したいきさつを話すという設定から始まります。

 

あらすじは、記事を読んで頂ければお分かり頂けると思うのですが。

 

どうですか。皆様だったらどうしていましたか。

 

現在だと、どうなんですかね。「殺人ほう助」ですかね。今、ネット記事を確認したところ、「殺人罪」だそうです。←現代に置き換えたらね。

第22回: 「高瀬舟」考 (tklo.jp)

 

まぁ、刑法は一旦横に置いて。

 

森鴎外は、「軍医」さんとして従事していたということもあり、「人の死」について普通の人よりも考えさせられることが多かったんだと思います。

 

いつも、「世の中(簡単に言うと法律・道徳・風習)」と「自分の思い」との矛盾で苦しんでいたんじゃないかと思います。

 

「痛い・辛い・苦しい。こんなんだったら、死なせてくれ」って哀訴嘆願(あいそたんがん)してくる患者さんもいらしたんだと思います。

 

哀訴嘆願:なりふりかまわず、心の底から願い出ること。

 

私は、今朝、「慈悲の心」を考えていた時、思い出していました。私が「脊椎分離すべり症」で入院していた時のこと。

 

当時、まだ30歳にいかないくらいだったでしょうか。自分の体を労(いた)わらないせいで、腰の骨をずらすことになりました。

 

背骨がずれると、背骨の後ろに通っている神経にぶつかるので、相当、痛いです。

 

「激痛」と呼ばれる、呼吸すらできないくらいの痛みです。私の場合、とりあえず呼吸は出来ましたし、喋ることもできましたから、まだいい方だと思いますが、下手したら下半身マヒだってあり得たと思います。

 

当時、東京にいたので、青森から母親がすっ飛んできて、帰省の為の荷づくりをしてくれました。

 

その時は、立ち上がるのも限界で、寝ても痛い、立っても痛い、座っても痛いということで、寝る事すら難しかったです。

 

でも、辛うじて何とか帰省し、すぐ母親が昔勤めていた総合病院に入院することになりました。

 

話すことも、トイレに行くとかも出来ましたが、とりあえず「痛み」は消えませんでした。痛みで寝られない日は看護婦さんにお願いして浣腸をしてもらったりしました。

 

たまたま、総合病院の外科の先生に、脊椎系に明るい先生がいらっしゃるということで、手術ではなく「ブロック注射」で処置をしようと言ってくださいました。

 

1週間程の検査入院を経て、無事、ブロック注射のお陰で「痛み」からは解放されましたが、本当に、あの時は「痛かった」です。

 

でね。その当時、母親がよく面会に来てくれたんですけど。私の顔を見る度に言うんです。

 

私がどんなに自分に対してヒドイ重労働を課してきたかなんてことは一切不問で。

 

「私が変わってあげられるんだったら、変わってあげたいくらいだ」って。

 

私のこと、ひとつも責めないんです。

 

普通だったら、「あんたが、そんなバカなことしたからでしょ」とか「お前の自業自得だ」って言われてもおかしくないのに。

 

いつも、手を握ってくれました。

 

そんな母の思いを聴くとさ。「痛い」なんて、「くそくらえ」って思いました。「痛みなんて、感じないんだ!」って。

 

私がさ、「痛い」とか言うと、お母さんが辛くなるじゃん。そんなの見たくなかった。

 

で、私は4人部屋だったんだけど、まわりの患者さんを見たら、脳梗塞だったり、私よりもっと辛そうな患者さん達がいてさ。

 

面会とかも、そんなに頻繁じゃなかったりするのよ。

 

なんかさー。自分の境遇なんてさ。いかほどのものかと思うわけ。

 

ただ、本当に痛い時は、「あー。死んだら、楽になれるのかな」とは思いました。

 

中学生の時に、自分が何を思っていたのかは、もう思い出せませんが。

 

今はね、主人公の喜助さんの気持ちも、弟さんの気持ちも、役人の庄兵衛さんの気持ちも、作者の森鴎外の気持ちも、何となく分かります。

 

私だけじゃないと思います。

 

人はね、人が苦しんでるのを見るのが、一番苦痛なんです。

 

私はね。そう思います。

 

助けたいのに、助けられない。

 

それが、一番、辛くて、悲しいんです。

 

私の憶測かもしれない、ただの想像かもしれない、だけど、人類が誕生してから、私達がもし、「輪廻転生」を繰り返してきたとするなら、何度も何度も、こんな苦しい思いをしてきたなら。

 

もう、2度としたくないし、させたくないと思います。

 

だから、私は、自己犠牲をしない範囲で、これからも、自分の思いを伝えていきたいと思います。

 

でも、私は、明るいから、できるだけ「楽しく」伝えていきたいと思います。

 

皆さんにも、できるだけ「明るく、楽しく」生きて頂ければと思います。

 

まだ。続きます。ご挨拶はのちほど。