「蓮の花組の皆様」。こんばんはチュー

 

私のブログをお読み頂いていらっしゃる皆様には、本当に感謝申し上げたいと思います。

 

少しでも何かのお役にたてることがあれば幸いですが、何も得られない時があっても怒らないで頂ければとも思います(笑)

 

浄土真宗講師の菊谷隆太さんの講義を拝聴させて頂くにあたり、宗祖親鸞聖人のお弟子さんと言われる唯円さんが書かれた「歎異抄」も並行して読ませて頂いております。

 

「歎異抄」自体、古文ということもあり、現代人の私には「外国語ですか?」くらいの内容ですので、解説書と入門書の2冊を購入しました。

 

まだ読んで一日目ですし、「仏教」に触れた日数も3日か4日くらいの間です。

 

なので、「仏教」や「なぜ人は生きるのか(生きなければならないのか)」について語る事すら、知識不足であり、経験不足でもあり、生意気な発言になることは、書いている自分でも分かることです。

 

ただ、ひとつだけ言わせてもらえることがあるとしたら。

 

「人は生きなくてもいい」という事をお伝えしたいと思います。

 

この意味や、私がどのような考察をもって、そういう結論になったのかというのは、後日、お話させて頂ければと思いますが、本日は、私(私達)が陥りやすい、「地球のトラップ(罠)」についてお話させて頂こうと思います。

 

私の疑問としては、「なぜ人は生きるのか(生きなければならないのか)」がありますが、「なぜ人は生きるのか」という事と、「なぜ人は生きなければならないのか」という事を分けて考える必要があります。

 

とても深い考察になるので、今回は本当にサラッと上澄みの部分だけお話していきます。

 

私はよく「地球のトラップ(罠)」という言葉を流用しますが、簡単に説明すると、私(私達・人間)が陥りやすい、はまりやすい「感情・思考の落とし穴」のことを指します。

 

私は私の感情しか分かりませんので、敢えて、一人称:私という観点でお話します。

 

私は、私が苦しむ・悩む時というのは、この「地球のトラップ」にはまっている時だと思っていて、その「地球のトラップ」というのは、ほとんど「自分勝手な思い込み・思想・囚われ」のことが多いです。

 

たまに言う「当たり前だったことが、実は、当たり前じゃないことに気づく」ことによって、「地球のトラップ」だったということが分かります。

 

「地球のトラップ」に気づいた瞬間。

 

「またかー。また、してやられた!ちくしょー(笑)」って思います。それを何度も繰り返します。たまに忘れると、同じ問題を繰り返すこともありますし、違う問題を解くこともあります。

 

では、「なぜ人は生きなければならないのか」という私自身の疑問がありましたが、私の、今現在の答えはこうです。

 

「生きなければいけないわけではない。」ということです。

 

私の読者の方には、「だったら、死んでもいいのか。何でもいいのか」と簡単に仰られる方はいないと思いますが、もう少し柔らかくお伝えするとしたら。

 

「生きる」を選択することも出来るし、「死ぬ」を選択することも出来るんですよ。とお伝えしたいわけです。

 

私は、「風の時代」を意識して、この世界(笑)に来ましたが、最近では「風の時代」も、「戦国時代」も、「令和時代」も何もあったもんじゃない!=いつの時代でも、私(私達・人間)の考える事なんて一緒じゃないか!という意識に変わりつつあります。

 

ただ、その時代、その時代の「文化・風習・環境(仏教的に言うと縁)」がありますから、仏教的に言うところの因(私・私達・人間)が、因縁と相まって果を生んだとしても、結果が異なるというのは何となくご理解いただけますでしょうか。

 

自分が分かりづらいので、先ほどまで考えていた例を出します。

 

【刀剣ワールド】切腹の起源と思想 (touken-world.jp)

 

延命治療とは│メリットや拒否する方法、費用、家族の対処法など簡単に紹介【介護のほんね】 (kaigonohonne.com)

 

[人間の尊厳]ってどんな意味ですか?わかりやすく高校生にわかるように説明し... - Yahoo!知恵袋

 

本日は、ほんとの触りなので、サラッとお話します。本日で答えがでるという話ではありません。

 

私は、今回、「なぜ人は生きなければいけないのか」という壁にぶつかり、今度は「自殺」という問題に出会います。その後、「延命治療」という問題にも出会いました。

 

本当に簡単に言うと、「自殺」というのは自分で寿命を決定するということです。延命治療の際も、お医者さんから、『自分で寿命を選択することができます』と言われることがあるそうです。

 

本当に、ざっくりと、感情とか常識とか倫理とか、経緯・環境そういったものを全て取り除くと、事象的には一緒の事なんじゃないかと思いました。

 

今も昔も、「いい悪い」「善悪」という考え方は私はしないつもりで、またその思いを自分にも他人様にも押し付けるつもりもありません。

 

ただ、「延命治療」の際に、「人間の尊厳」という意味合いで「自分の寿命を決定する権利があるとしたら」。「自殺」だって、その人の尊厳を大切にするっていうことにもなるんじゃないかなとは思いました。

 

感情論だけはほんと、別枠で捉えて頂ければと思います。感情論で言うと、もっと別の考察があり、それはそれで皆様にお伝えするのには、別の機会が必要だと思います。

 

私は、「自殺擁護者」でもなんでもないです。これだけは誤解されたくないですが、「いい」「悪い」ではなく、「だめ」とか「だめじゃなく」。

 

私達自身に「本当は、選択権があるんだ」という事をお伝えしたいと思いました。「社会や他人様に、あなたの寿命を決める選択権はないんだ」ということをお伝えさせて頂きたいです。

 

時代は室町時代から江戸時代にかけ、世界中でも珍しいと言われる「切腹」という概念(思想)がありました。今で言うと「自殺」でしょうか。先ほどと一緒で、事象だけで捉えて頂けると助かります。

 

それがいいとか悪いとか、そういうことをお伝えするのではなく、時代によっても、環境によっても、風習によっても、国によっても、思いというのは様々で、一律ではないですね。ということをお伝えしたいです。

 

立場、性別、年齢、育った環境、何もかも「常に一緒はない」。言葉で言うと「諸行無常」だと思っています。

 

そんな中で、「柔軟に考えること」というのが、私の言う「地球のトラップ」に気づくということなんです。

 

疑問というのは、「苦しみ・悩み・疑問」といった状態として現れることが多いです。私の場合。

 

で、その都度、「この話は自分にとって納得がいく(腑に落ちる)」か、「んなわけないだろ」と思うのか、一つ一つ丁寧に考え、一つ一つ丁寧に自分で選択していくこと。

 

そんな事を、普段やっています。私は、そういう事を丁寧にやろうと思えば思うほど、どうしても生活範囲が狭くなりやすいですが、少しずつ生活範囲を広げていけたらいいなって思います。

 

明日から、新しい職場でお世話になることが決まりました(笑)この職場をみつけたきっかけみたいなことにも理由があって、すぐ、お話することもできませんが、機会があったらお話させて頂ければと思います。

 

皆様の一日はいかがでしたでしょうか。一日、お疲れ様でございました。明日も楽しんで行きまっしょいチュー