皆様ー。2度目まして(笑)
今朝、めまいがしたので大事をとって、2本目のクラスをキャンセルしたんですが、その帰り際、1本目のクラスの先生とお話する機会がありました。
その先生は、新人の先生なんですが、とても熱心な先生です。
人体模型を用意してきたり、お水休憩の合間などに次のアーサナ(ポーズ)の注意点などを教えてくれます。
で、その先生に「めまいがするので帰ります」と伝えて、先生も「ゆっくり休んでくださいね。自分に優しくしてください」って言いました。
私もおしゃべりなので、「先生。私ね。これでも自分に優しくできるようになったんですよ。昔の私だったら無理してもやっていたと思います。」って。
そしたら、先生も。「見てれば分かりますよ。さきこさんは、『頑張り屋』さんなんだろうなーっていうのは感じます」って(笑)
そうなのよ。「頑張り屋」=「無理しがち」なんです(笑)
ヨガをやる度にさ、「疑問」に思う事があったりすると聞きにいくじゃん。そうすると、先生達はみんな凄く熱心に教えてくれるわけよ。
「骨盤を意識して、偏りをなくすと、ここの筋肉がこう引っ張られて」とかさ。色々、教えてくれるの(笑)
教えてもらえるだけでありがたいんだけど、逆に「質問してくれてありがとうございます。私もお伝えすることで勉強になります」とか言われるの(笑)
ほんとさ。ヨガやる人って、もちろん全員だとは思いませんが、「出来た人」が多いのよ(笑)
ほとんどの先生が私より年下なんですけど、しっかりと自分の「意見」を持ってる。
「私はこう思います!」って言えるし、それを「押しつけ」たりもしないんです。聞かれたら「言う」くらいのスタンスです。
ほんと、見習うことばかりです。心も体もね。
で、新人の先生の話に戻りますが、彼女自身も「子宮の病気」(自己犠牲・自己否定)を持っていたり、「腰痛持ち」だからこそ、生徒さん達に、もっともっと「自分の体を知って欲しい」と言っていました。
そんな話をする中で、彼女がヨガに熱中するきっかけをつくってくれた先生の言葉を教えてもらいました。
それが、本日お話する「鏡は全てを映さない」です。
私は、ヨガ初心者ですから、先生から教えてもらったことを正確にやることに忠実です。
まずは、「守破離」です。
守破離とは…剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
なので、私は「守」の段階のまだ階段を上り始めたくらいです。
で、その先生は、ある程度、ヨガ歴が長いので、もう7~8年ほど経ったと言っていましたが、ある時期、その尊敬する先生からこう言われたと言っていました。
「あなた。これだけ世の中に色んな人がいるってことは、みんな人それぞれ体も違うってことなのよ。それを均一に『このポーズはこうだから、こう!』みたいに考えるのは無理があるのよ」
「だから、『鏡を見るのはやめなさい』」って言われたそうです。
当時、彼女は、アーサナ(ポーズ)の型に忠実でいる為に、「鏡」を気にしていたそうです。
でも、先生から「鏡を見るな」と言われるようになってから、「自分の中心」を常に意識してアーサナをとるようになったと言っていました。
「最初はね。基本ってとても大切だと思います。ただ、ある程度、アーサナの知識だったり、筋肉の構造・骨の構造なんかが理解できるようになると、その先は、その個人の体の特徴に合わせることが必要になってくるんですよね」って。
「なので、私は、いつも『自分の中心』を感じながら、ヨガをしています」って。
だから、「鏡は全てじゃない=型が全てではない=鏡は全てを映さない」の意識になったんです。って。
素晴らしいじゃないですか。
なんて、素晴らしい世の中だ(笑)ほんと、私の住む世界は「素晴らしい世界」です(笑)
でね。「守破離」の話をしますけど。
私の人生の「守」は斎藤一人さんです。私がつらい17年にわたる修業を「腐らずに」全うできたのは、一人さんの「花の教え」のおかげ以外のなにものでもないです(笑)
もちろんさ。両親とか学校の先生とか、賢人たちの本とかからの「教え」も大切でしたが、一人さんの
「腐っちゃいけないよ。どんなに辛くても『綺麗な花を咲かすんだよ』。格好よく、人に親切に生きな」っていう言葉が大好きだったんです。
これを書きながら泣いていますが、本当にそうよ。
私はね。そんな風に思いながら生きられたら幸せなんだと思います。だから、「努力しよう。磨き続けよう」って思えるんだと思います。
私だって、色々ありましたよ。優しくできない時だって、卑屈になる時だって、腐りそうになる時だってありましたよ。でも、その度に、一人さんの「花の教え」を思い出すんです。
そして「あんた。本当にそれでいいの?本当は、『優しくありたい』『格好よく生きたい』って思ってるんじゃないの?」って自問自答するんです。
そしたらさ、「逆風だろうが、台風だろうが、海の中で溺れていようが、前に進むんだ。前を向いて歩くんだ」って思えるんですよ。
だから、一人さんのことが大好きなんです。
で、「破」を教えてくれたのは、メンターのしゅんす犬です(笑)
「さきこ。そろそろ、さきこも一人さんを卒業する頃だよ」って言われたの。
その時はさ、「一人さんを卒業するってどういうこと?やーよ。手放したくないわ。私の核となる人の教えなんて手放せるわけないじゃん」って思っていました。
そしたら、しゅんす犬は「大丈夫。大切なものは無くならない。きちんと自分の核になってるから。ただ、『その通りに生きるではなくて、見習うくらいが丁度いい』」って言ったんです。
そうなのかー。確かに、一人さんのように「ずっと笑顔」は無理があるなとは思ったの(笑)
だから、「できそう」なところは見習って、出来ないところは「素直に生きる」でごまかそうと思ったの(笑)
私って、「いい加減で適当」なの(笑)
「いい加減」って言うのは、「いい湯加減」っていうように「ちょうどいい、心地よい加減」のことなのよ。
「適当」もそう、「適度な加減」なの。その場、その場に合わせた「適度な加減」で生きるの。
これが、私の「柔軟性とバランス感覚」なの。そして「私らしい柔軟性とバランス感覚で生きる」ことが「離」なんだと思います。
「離」はさ。人それぞれなんだと思います。だって、みんな一人一人の大切な個性でしょ。だれ一人、一緒な人はいない。
だから、それこそ「自由」だし、だから、この世は「面白い」んだと思います。
みんな、みんなが「私」だらけとか…気持ち悪いし、面白くもなんともないでしょ(笑)
なので、みなさんには、みなさんの「離」をもって生きていって頂ければ幸いです。
もう一本書きたいので、そこでご挨拶したいと思います。最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。