皆様ー。こんばんみ
1ヶ月ぶりに美容室に行ってきました。担当のMさんに、肌の乾燥について話したら、「今の時期は、湿度65%くらいが丁度いいそうですよ。」とのことでしたそうかー。もう少しだけ水分補給に留意していきたいと思います。
では早速、「人(他人様)は変えられない」について考察していきます。
私が、「人って変えられないんだー」って思ったきっかけをお話します。
母の知り合いの看護師さんとお話した時の事です。
彼女曰く、離婚経験があるとのことでした。そして、初婚の相手が精神科の患者さんとして来院していた新聞記者の方だったそうです。
彼女は、「献身的に接すれば、彼の病気も治せるだろう」と思ったそうです。ただ、どうしてもうまく行かずに、3年だけ辛抱して、だめだったら離婚しようと思っていたそうです。
その時、彼女は私にこう語りました。
「私はね。傲慢だったのよ。自分では治せないから、わざわざ病院に通っている彼を、私がサポートすれば病気は治せると思っていた。でも、結果として生活は破綻した。自分の力を過信したのね。」って。
多分、20歳前半くらいに聞いた話だと思うので、一字一句は正確ではないと思いますが、だいたいこんなお話でした。
その時は、あまり深く考えてはいませんでしたが、何となく「人って変えられないんだ」とは思いました。お相手が病気だったからとか言うのはあまり関係ありませんでした。
私は常々、「人(他人様)は変えられない」とお伝えする事が多いので、この機会に自分自身でも考察していきたいと思います。
私がパッと思うのは、まず「人を変える・変えようとする」ということはどういうことなのか、ということです。
簡単に言うと、「自分の思う通りにしたい」ってことかなって思います。なので、「人」だけではなく「社会全般」に当てはまるとも思います。
「世の中を変えたい」「相手を変えたい」そんな気持ちが乗じて、「どうしてうまくいかないの!」「なんであの人はこうじゃないの!」「どうして、世の中はこうじゃないんだろう!」っていう、「怒り」にも繋がる気持ちです。憤り、不平・不満ですね。
色々なパターンがあるので全てはご紹介できませんが、どんな例がいいかな。じゃあ、子供と母親の話にしてみましょう。
母:「ちょっと、今日、宿題やったの?お弁当箱も出した?体操着は?いつも朝になって言うんだから!お母さんだって急に言われたってできないわよ!」
みたいな会話ですかね。子供の立場で言わせると「もー。うるさいなー。分かってるよ。俺だってたまには忘れるけど、いつもじゃないよ」
みたいなね。巷では、こどものやる気を削ぐ言葉だと言う方もいらっしゃいますね。
ここからは、私の独断と偏見です。
宿題やったの?→わたしから言わせれば、「宿題をやるか」「やらないか」は子供の選択です。母親の「子供の為」という気持ちも分かります。「いい学校に行って欲しい」とか「いい会社に就職させたい」とかなんですかね。それが子供の為だと思っている。
もしかしたら、「学校の先生に怒られない・迷惑をかけない」とか、「(子供に)しっかりして欲しい」とか、「子供も教育できない親だと思われたくない」とかですか。
もしかしたら、「宿題はやって当たり前?」ですか。
宿題をやってもやらなくても、「子供の自由」だと思えますか。子供を教育しているつもりで、自分の「こうなって欲しい」気持ちを押し付けていませんか。
子供は確かに、大人より経験が浅く、知らない事も多いと思います。体も小さく、できないこともあるとは思います。
ただ、何回か、こんなやりとりが続いているようだったら、要注意です。
「分かる子」は、親から言われなくてもやりますし、大人でも一回言われたら「改める人は改めます」
なぜ、それを繰り返す必要があるんですか?ってことです。
「子供だから、まだ小さいし経験が少ないから、親が言い聞かせないといけない」というのが、「躾」という名の「拷問」なんですよ。だから、子供は反発するんです。「うるさいなー」って。
「ストーブは触ったら熱いんだよ」って一度は伝えて、もし子供が火傷したら、「ね。言ったでしょ。ストーブは熱いんだよ」て一度言えば済む話ですよね。子供は子供の経験を通して学ぶんです。
宿題もそうですよね。やらないで困ると思えば、自分でやるんです。親が言うからとか、先生が言うからではなく、自分から率先してやるんです。
お弁当箱だって、体操着だって、一度言って聞かせ、またやったら、お母さんが「体操着を洗わない・お弁当を作らなければいい」んです。
困るのは、子供でしょ?
子供は「自分が困る」と思えば、きちんとやるんです。それを「いいお母さん」を演じようとするから疲れて、イライラするんですよ。
そもそも、「いいお母さんの定義」って何ですかね。
「子供や、旦那さんのわがままを聞いてあげる、心の広い母・奥さん」のことですか。
もしかすると、それって、「子供さんや旦那さんからすれば、ただの都合のいい家政婦さん」じゃないですか。
私は、「内観」して初めて、「都合のいい女、彼女」って言葉を思い知りましたよ。イヤっていうほどね。
でも、そう仕向けているのは、間違いなく「あなた」です。
「いい女、いい彼女」を演じているから、依存してくる「男性・旦那・子供」を引き寄せるんです。もしくは、そうなるように「育てる・仕組む」んですよ。
不思議ですが、現実です。
「いい女、いい彼女、いい奥さん、いい母親」を演じると、必ず相手は「甘えて」きます。
「いい女、いい彼女、いい奥さん、いい母親」を演じることで、「自分を必要としてくれる」相手を引き寄せるんです。
何故なら、「自分を必要として欲しい」からです。「自分を認めて欲しい」んです。「あなたがいなきゃ、僕生きていけない」って言わせたい・思わせたいんですよ。
自分の価値を相手を通して、知りたい・分かりたい・感じたいんです。あなたが自分自身を知らない・分からないから、相手を通して、自分を見よう・分かろう・感じようとするんです。
最初の頃はいいんです。お互い、頼り・頼られの「甘い関係」です。
しばらくすると、必ずお相手が「図に乗り始めます」
まるで、あなたを試すかのように。
「これして」「あれして」「これ出来ないの?」「そんなはずないでしょ?今まではやってくれたじゃん」ってね。
これが「共依存」です。「頼り・頼られ」のお互いがお互いに依存しあってこそ成り立つ関係です。
「重苦しい」「重苦しすぎる」んですよ。ヘドが出ます。
でも、現実です。
だから、気づかないといけないんです。だから、あなたは重いんですよ。だから、疲れるの。肩凝るの。頭が痛いの。病気になるの。
肝心の旦那さん・彼氏・子供はあなたの「不調」なんて見ぬ振りですよ。助けてくれるわけないでしょ。逆に、文句言ってきますよ。
「何で出来ないの?」って。「何、病気になってんの?こっちは困ってるんだから、助けてよ」ってね。
ヒドイ話ですよ。でも、それが現実です。
そんな世界を作ったのは、間違いなく「あなた」です。
だから、「演じるのをやめて欲しい」「素直に自分の気持ちを伝えて欲しい」「何故、自分がイライラするのか、自分の気持ちに向き合って欲しい」んです。
今回は、「母親と子供」の例でお話しましたけど、「人(他人様)を変えたい」気持ちは「自分の思った通りにしたい」という気持ちの表れです。その気持ちは、「コントロール・支配」欲として言葉や行動に表れます。
自分も嫌でしょ?「支配されている」「コントロールされている」って思ったら、嫌になりませんか。反発したくなりませんか。
それに「気づかないといけない」んです。心からね。
「自分が支配しようとしている」「コントロールしようとしている」と気づき、それをしなくなると、相手からの「支配・コントロール」にも気づけるようになります。
自分から、「自由な道を選べる」ようになります。「気軽で穏やかな気持ち」で過ごせることが、どんなに素晴らしいかってことが分かります。
そして、自分と同じ道を辿ろうとしている人がいたら、「自分なりに」伝えていこうと思えるんではないでしょうか。
「あなたの歩くべき道は、そっちじゃないよ」って。
私は、もともと依存体質でした。「いつも、何かにすがって生きようとしていた」
でもね。「すがろう」とすると、「すがられるの」(笑)
押しつけ・コントロール(支配)まみれよ(笑)
もう、「息苦しくて仕方ない」わけ。「重いんだよー」って。
だから、「もう、十分味わいました。ありがとうございました。勉強になりました」って、手放したんです。
私には、もう、そんな「重い」関係いらないんです。欲しくないんです。お金もらっても「いらない」です(笑)
何か、一つでも参考になればいいかなーとは思います。あんまり深く考えないことです。考えてもどうにもならないと思います。
「内観」と「心理学」の違うところは、「心で感じる」ところかな。人間、「論理」だけでは行き詰る(息詰まる)んですよ。
大事なのは、「あなたの心(本心)」です。とお伝えして終わります。
本日も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。明日も楽しんで行きまっしょい