中学生になる前の春休みに、コルセットを23時間つけることになりました。母親とよく言い合いになりました。自分の部屋でこっそりはずしたりしていました。椅子に座ると、骨にあたって痛い。大好きな漫画を寝っ転がって読んでいるのが至福の時間です。

 

よく言われました。「娘になったときにどんなことになるか。。。」中学1年生は既に娘です。母が心配でコルセットをつけなさいと怒っていたのは、しようがないと思います。つけないと手術になるんです。手術は、私も怖かった。だから、毎日つけていきました。首ぎりぎりまであるコルセットです。ブラウスだったので、明らかに露出してませんでした。でも学校に行って、いすに座って体を傾けると背中が飛び出ます。同級生の男の子が「この固いのなんていうの?」聞いてきますが、答えないでいたんです。でもしつこくて、絶対他の人に言わないという約束で「コルセットっていうんだ」と教えたら、「コルセット」と呼ばれるようになりました。ものすごく嫌でした。言い合いして喧嘩してました。でもこの男の子のことは、恨んだりしてません。この男の子自体、そんな大変なことだと思ってなかったのでしょう。このことで別に虐められた訳でもないです。他の子から「コルセット」と言われることもありませんでした。

でもよく悲しくて一人で部屋で泣いていました。どうして?なんで私だけ??いつみんなと同じになるの?なんて不細工なんだろう。私はどうしてこんなに醜いの?母親はいつも美人だね、って言われるのに。

 

私の母親は、当時から少し不安定で、時々「うわー」と叫ぶように泣き出すのです。おばあちゃんが近所に住んでいて「おばあちゃんのうちでご飯を食べなさい」と言われていました。小学生当時「私が病気だから、お母さんは泣いてるだろうか。」と思っていました。中学生になって、時々コルセットをはずして外出しようとすると、勿論怒られて「つらいのは誰だと思ってるの。お母さんがつらい」と言ってました。当時は、子供だったので、信じていました。母もつらかったと思います。でも自分が母親になってみて、親が子供にいう言葉だと思いません。いうべきじゃない。私は、一日体にくいこむ装具をつけてるのに。そんな自分をさらしているのに。本当は学校なんて行きたくない。恥ずかしい。みっともない。でも、学校行かないで、勉強しないでどうする?友達もいるのに。

 

じゃあなんて言ってほしかったか?「毎日こんな装具つけて学校行ってえらいね」一回でもいえばいいのに。

 

病気してる当人以上に辛い人っているの?

 

私の辛さを母にわかってもらおうなんて思わない。当日中学生で母が私の辛さをわからないんだ、ということがわかってきた。人間て、わからないものなのだ、と思った。だから、母が私の気持ちがわからないことに、腹はたたなかったけれど、「あなたの気持ちはわかってる」だのわかった風な発言が許せなかった。

小学生の時は、就寝時だけの装具着用だったので、それほど、負担ではなかった。でも、3ヶ月検針の前日は、ドキドキした。この頃、病気のことを全くわかってなかった。そのうち、治ると思っていたのだ。神様にお願いした。「悪いことはしないよう、毎日反省しました。明日治ってますように。お願いします」って。その日の朝からの行動を思い浮かべて毎日反省していた。治るわけないのに。毎回4時間ほど待たされ、2分ぐらいで診察終了。「大丈夫ですね。このまま続けてください」その後、側弯症にいい体操を習った。毎日した方がいいと言われたが、つまらないし、筋力もないし、やりたくない。母親に「体操しなさい!」と怒鳴られる。時々手伝ってくれたけど、つらい。やったからどうなる??私がなにか悪いことした??

3年生ぐらいの検針の時、医師が「水泳は側弯症にいい」と話したらしい。それを聞いて、冬休み、週に3.4日水泳に30分歩いて、母と弟かよった。水泳教室には入れなかった。バンバン泳いている子供たちの中に入っていくことが怖かった。

 

そして、このあと、私は、ひたすら、「プールに行け」と怒鳴られる。ほぼ一人で。小学生の女の子が一人で自転車でプールに行って一人で帰ってくる。たまに母がついてきてくれることもあったが、見てるだけ。プールには入らない。つまらなくてつまらなくて。大体30分プールにいればいいほう。「水泳したら治るのになんで行かないの!?」だって、一人で行くの恥ずかしい。つまらない。ほんとに治るの?? 1週間に1回ぐらい行かないと、ヒステリーを起こされるのでしょうがなくいった。お金もないから、ちょっとプールに入って、待合室でぼっとしたり、ずっとシャワーあびてたり。

 

それでも小学生の頃はまだよかった。日中は忘れられた。

 

勿論、側弯は全然よくならなかった。初潮を迎えいよいよ悪くなり、中学校からは、お風呂以外コルセット生活になった。

父が「腰をおとして歩く。おかしい」という発言をきっかけに大学病院受診。たしか上20度弱。別の大学病院を紹介された。平日に行かなくてはならなかった。昭和50年代、平日の電車に小学生が乗車しているなんて、まずなかった。人目が気になってしかたなかった。病院で3時間強待って診察。側弯症の確定診断を受けた。装具を作ることになった。広い部屋にグロテスクな装具がざっくばらんに床に置いてあった。そこでおじさん達に服をぬぐよう言われ、あごに紐をかけられ、包帯みたいなもので型をとった。嫌だった。でも言葉を発することができず、気持ちを心を固める事しかできなかった。

夜寝るときだけ装具をすることになった。装具はきつくて、寝るときだって、金属があたって痛い。柔らかい枕、布団で眠れなくなった。毎日反省していた。当時、自分がいいことをしていれば、神様が助けてくれるのでは、と思っていた。内向的で本好きの子供だったので、童話みたいに神がかり的に自分の背中が治るのでは?と思っていた。何度も一人で泣いた。特に母の前には泣けなかった。どうしてだろう?
泣くと怒られると思っていたのかもしれない。

私の母親は「治さなくては、なおさなくては」と言っていた。

装具をしたら、治るものだと思っていた。まさか、この後10年も続くとは夢にも思わなかった。