母とその姉は、この日になると「もう終戦から○年目ね」と
語り合っていたのを思い出す。
戦時中、母は台湾の総督府でタイピストとして働いていた。
母の妹は、トンツーで暗号を打っていたそうだ。
 
母はある時、父親(私の祖父)に、「今日は仕事に行くな」と
言われたが、仕事が溜まっているからと行こうとすると、
いつも穏やかな父が殴ってきた。
その日、総督府が爆撃されたと言っていた。
 
友達も同僚もみんな亡くなり、母は身元確認に呼ばれた。
あまりに残酷で、直接遺体を見せられることはなく、
服の切れ端を持ってきては、「これは誰の服か」と
聞かれたそうだ。

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祖父に会ったことはない。
 
博多のお寺の出身で、読書が好きだった。
僧侶になりたくなくて家を飛び出したと聞いている。
1番目の妻子はそこで暮らしていたらしい。
 
最初から「日本は負ける」と言っていた。
戦時中、何をしていたか分からない。
 
終戦後すぐ、子供たち皆に、ダンスを習えと
ダンスホールに通わせたとか。
 
職業不詳の祖父で、革で財布を作ったりしてたと母は言う。
競馬で勝つとみんなに振舞っていたとか、
子供が好きで公園でお菓子を配ってたとか。
(時系列不明)
 
母達が小さかった時、絶対見てはいけないと言われた
引き出しがあり、兄弟と興味本位で見たら、写真に
死体が写っていて数日間、何も食べられなかったそうだ。
 
祖父が、「死ぬ前に言っておきたいことがある」と言っていたが、
昏睡状態で亡くなったため、誰も何も聞けなかったとのこと。
 
伯母は、
「多分、先祖が侍で人を切った為、僧侶になった話でしょう」
と言っていたが、それだとそれほど秘密でもないとも思う(昔だし)。
そりゃあ、人を殺したってことは大変なことだけど・・・。
でもとりあえず、子供の頃はそれでよしとしていた。
 
祖父の名を検索したら、台湾の何かに寄付した記録を見つけた。
北京語でよく分からないけど、多分そういう人だったんだ。
 
 
のちに、そんな話を夫にしていたら、
「それは多分、スパイだったんだよ。」と言った。
それだと、全部筋が通る。
死の前に、言いたかったのはそれかな・・・
隠しておくのは辛かったかな・・・