デメルのザッハトルテ | Rumi's Diary

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ご存知のとおり、オーストリアの伝統菓子目

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このザッハトルテには甘い戦争があったらしいラブラブ

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ナポレオン戦争による混乱後のヨーロッパ再建を話合うため“会議は踊る、されど会議は進まず”といわれたことで有名な 「ウィーン会議」が1814~15年の間に開催されました。

この時、主催者のオーストリアの政治家・宰相のメッテルニヒ(1773~1859)が、料理人であるフランツ・ザッハ(Franz Sacher) に会議のための料理を作るよう命じました。

そこでフランツ・ザッハはデザートの1つとしてザッハトルテをサービスし、会議に参列した各国の代表者たちの間で 大好評になりました。そこで彼の名前から「ザッハ・トルテ」という名前がついたのです。 (フランツ・ザッハの息子である、エドワード・ザッハが作ったという説もあります。)

違う説では1832年、美食家としても知られるメッテルニヒが、特別な客をもてなすために美味しいお菓子を作るよう料理人に命じました。 料理長が病に伏せていたため、まだ見習いの16歳のフランツ・ザッハにその任務が命じられ、ザッハトルテが誕生したといわれています。
いずれにしろ、政治家で美食家なメッテルニヒが、料理人であるザッハ氏に命じ作られたザッハトルテが、 ウィーンを代表するケーキとして誕生したようです。

フランツ・ザッハは門外不出のオリジナルレシピで作り上げた ザッハトルテをレストランやカフェで売り出し財を成しました。 その後フランツ・ザッハの息子であるエドゥアルド・ザッハ(Eduard Sacher)が、オペラ座前に1876年「ホテル・ザッハ」を開業しました。

数年後ザッハホテルが財政難に陥り、ウィーンの王室御用達のケーキ店“デメル(Demel)”が援助を申し入れ、ザッハホテルの 息子とデメルの娘との間で婚姻関係が結ばれたことから、援助の代わりに秘伝だったザッハトルテのレシピ がデメルに流れたと言われています。

二人が他界した後、ザッハホテル側が、ザッハトルテの商標をめぐる訴訟をおこし7年間の裁判の末、 ホテル・ザッハのものを「オリジナルのザッハトルテ」と呼び、デメルのものは、「デメルのザッハトルテ」 と呼ぶことになりました。この論争を「甘い七年戦争」や「甘い七年伝説」といわれています。


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