2024年、新しい年の幕開け。


1月1日に能登地震。


我が家、帰省した富山から上越移動中、地震にあった。判断迷ったり、恐怖がくる瞬間もあった。

今、被災地域で、ものすごい不安や恐怖、寒さに耐えている方々がいると思うと、心が痛む。


地震が早くおさまりますように。

孤立する方々が、より安全な場所に避難できますように。

一人でも多くの方の命が助かりますように。


自分たちに今できること。

もうしばらく落ち着いたら、できること。


能登半島思い出し、祈るばかり。

仕事がんばって、また旅したい。

どうか、がんばってください。


(自分は、食べることが好きなので、募金先迷って、炊き出し部隊につながる先に、少しだけ寄付しました。)


【能登半島の思い出】

輪島を家族旅行。夫友達家族に会い、千枚田を歩いた。

志賀町に当時住んでいた友達夫婦宅に、一人遊びに行く。ジャングルみたいに茂る自然。海が、青というより、スカイブルーだった。

穴水町の牡蠣小屋で牡蠣食べた。海の上に小屋があり、小屋下に船がつき、採れたての食材も振るまってくれた。会社仲間で行った際は、違う牡蠣小屋。魚介NGの人がいて、その人、ひたすら焼き野菜食べてた。

和倉温泉、加賀屋に父還暦祝いで宿泊した。私でなんとかやっと手が届く、一番リーズナブルな部屋にしてもらったが、窓から眺める海が綺麗だった。

和倉温泉、旅行会社の後輩仲間と、3組赤ちゃん連れで宿泊。輪島の太鼓、赤ちゃん達もびっくりしつつ聞いていた。

内灘の海岸、日帰りドライブコース、よく出かけた。

能登半島、楽しい思い出がいっぱいです。


【名立谷浜、地震から避難】

ここからは、自分の備忘録。

災害避難情報、苦手な方は、読まないでください。

我が家、帰省していた富山から、北陸自動車道(高速)移動中に、能生(のう)IC手前で地震にあう。車が、強風以上の横揺れ。高速通行止め表示で、国道8号におり上越方面へ走る。「すぐ逃げて。高い場所に逃げて。」ラジオや防災無線の連呼。携帯の警戒音鳴り響く。

国道が海に近いため、海と反対側の山側へ逃げた。屋根瓦が道路にバラバラに落ち、片付けようとしている方。古い家屋が並び、外に立ち避難している人達が、道沿いにずっといる。

「だから、逃げてます。がんばってますから」ラジオに向けて話す娘。「私達、命守る行動してるよね。でも、今どこに逃げるのが一番いい?まず今、どこにいる?」慌てて山道上がったから現在地わからず、車🚗路肩停止して、ナビ確認。

「もし何かあったら、またこの3人で会おうねー。絶対3人探そうねー」一番パニックな私💦「ママ、早いよー。大丈夫だから。パパ、いま、頑張ってるから。」冷静な娘に、すごく関心。

「ママ、犬はいいの?」「あっ、ひなの、なのはも探す。」「プリンセスは?」(←金魚)と娘に聞かれた気もする。

長野方面へ抜けるには、上越抜けるか、糸魚川まで戻り白馬抜けるか。いづれにしても海岸線走る国道8号線しかない。もし、津波第一波すでに到達していたら、次まで少し時間あるのか。それまで上越行けないか。糸魚川、戻る方が遠い。

夫婦で話し合い、国道8号に出て、上越方面向かう。国道の左側は、すぐ日本海。岸壁にぶつかる泡状の白い部分がいつもより広く見えて、今、波引いてて、また津波くるってこと?それとも、いつもの日本海なのか?観察しながら、恐怖とたたかっていた。

途中、明らかに、これ道路濡れてるよね?波きたよね、って場所があった。「ママ、海、そんなに見たら、トラウマなるよー」と娘。

最終的に、国道8号が突然渋滞となり、四面楚歌。前方から引き返す車に「もう前行けないから、すぐ引き返せ」と言われ、私達も、後続車も方向転換、すぐ引き返し、海岸線戻った。

高速名立谷浜IC看板見つけて、高台にある高速入り口目指す。IC手前の駐車スペースは、満車だったが、誘導スタッフが中に入れてくれて、なんとか駐車できた。

名立谷浜SAの場所聞き、娘と私だけ、階段を2箇所上がりSAへ向かう。SAには、避難している方が沢山いて、安心する。テレビニュース見て、トイレしたり、飲料お菓子を三人分買う。

夫は、犬と車に残り、私と娘は、しばらくSA待機。娘はキッズケータイと飲料菓子持ち、椅子に座り、ニュース見る。私は、夫への差し入れ、スマホ充電など、途中往復する。娘SAに残して、一人急ぎ車へ戻る一発目。砂利道で豪快にこけて、膝から出血(後で、SAでバンソコウもらう)💦

SA滞在中、また揺れて、みんなで机の下避難。

娘のリュック、車から持ってきた。娘は、本やSwitchあるが、見る気にならず、紙に絵を一緒に描いて過ごす。

名立谷浜SAの方が、塩むすび握ってくれ、一人一個配ってくれた。温かくて美味しかった。

土産用のご当地ラーメン買い、お湯だけもらい、家族でシェアする家族もいた。

「上越向かう国道8号は土砂崩れ、その先の橋も危険で通行止め。高速は、多分、今夜解除されない。明日も厳しいかも。」とSAの方説明し、パラパラ皆さん、車避難に戻る。

娘私も、22時頃車に戻り、積んでいたスキーや犬ハードケージ車の外に出し、後部座席と運転席で、寝ることにした。犬二匹は、寝場所に落ちつかず、最終的に、夫と私の膝に一匹ずつ抱えて寝た。私達は、スキーウェアがあったので、ガソリン節約のため、スキーウェアきて、フードかぶり犬抱えて寝る。冷えてきたら、またエンジンかけるを繰り返した。

少し歩けば、明かり、トイレ、自販機あるだけで安心。私は、夜に何度かトイレまで歩いたが、また転ばないように、犬散歩ライトを首に下げた。

トイレから車に戻る時、星がめちゃくちゃ綺麗なことに、初めて気づく。星綺麗だけど、海から聞こえる地鳴りのような音が怖いシュールさ。「外すごい寒いけど、めっちゃ星綺麗だよ」と二人に伝える。二人窓あけて、頭だけ出して空みたら、「本当、キレイ‼️」

その後、みんな仮眠した。

娘は、狭い中、段々身体が横になり始め、私と赤柴スペースなく、圧迫💦赤柴は上手く、娘の横スペースに、はまり込み寝た。

朝日🌅がさしてきた。昨夜の地鳴り音も聞こえない。高速スタッフが、一台ずつ声かけにきた。「もうすぐ高速、上越方面、解除しますんで。どちらまで行かれます?」

起きて、出発準備開始した。

朝6時半、名立谷浜出発。名立谷浜〜上越の1区間通過終えた時、嬉しかった。深夜、津波警報解除になった後、まだ暗い中、糸魚川経由白馬へ動くかも考えたが(長野の宿予約してたから)、辞めて良かった。高速で、一気に諏訪湖まで行き、休憩。途中、朝日と北アルプスが綺麗だった。

諏訪湖SAで、静かな湖見て、ホッと安心。昨日の日本海と対照的すぎた。スタバでドリンク買い、スタバの方に「今からご旅行ですか?」と声かけられて、平和な場所にタイムトリップした気持ちになる。犬達も、お散歩。

山梨の夫の家についたら、犬達、相当疲れていたのか、近所散歩より、ずっと寝ていたい様子。人間より先に、布団で寝ているー(笑)

翌日、私の仕事開始もあり、娘と電車で東京へ戻る。犬達は(当初予定通り)パパと山梨滞在。

1月4日夜散歩の二匹😆

笑顔の写真届き、私が安心する。

赤柴は、排便なく、食欲落ちてたから。

黒柴はいかなる状況でも、しっかり排便、マーキングもするから、たくましい。

遠くに富士山。先に山梨を楽しんでいる二匹。

私と娘は、東京で、仕事始めと宿題、書き初め。

今回の事で、会社の同僚と話した。


いつ何が起きるかわからない。後悔しないよう、今日を生きようねー、、みたいな会話だったと思う。