宇宙人樂團 10年の歩み (後編) | チャン・スー日記

チャン・スー日記

中国語学習から、台湾ドラマにはまり、その後台湾ポップス、台湾インディーズバンドまでに行き着きました。今後の興味は、どこにいくのやら、、、

退役後以降から現在の情報源は、すべてFBで発信される情報に個人的推測を付け加えています。前編に引き続き、参考程度に読んでいただけたらと思います。


「宇宙人樂團 10年の歩み(後編) byチャン・スー」

【2010年11月~2011年9月 活動休止期間中】
小玉と阿奎の兵役の為、活動休止になった宇宙人樂團。

この時ドラムの魏胖はというと、彼は体重が規定値オーバーだったので兵役免除でした。なので、一人残された彼は、他のアーティストのライブやレコーディングなどに参加したり、またデビュー当時からコロッとした体格や、親しみやすいキャラが注目されていたので(※台湾のバラエティタレントの納豆さんに似ていると言われていた)、俳優としてのオファーも少なくなく、短編映画や学園ドラマなどに出演していました。

そして、2011年の7月には、方Qが一年半のアメリカ留学を終えて、台北に戻ってきます。

【2011・9月 兵役終了~『軍歌』のMV公開】

二人の兵役が終わって、宇宙人の再スタートとして発表されたのが、「軍歌」というタイトルのMV→。(※兵役中の体験を元に、洋楽ロックに中国語の歌詞を付けて創作した曲。) この曲は版権の問題もあり、CD化はされていませんが、台湾男子の共感を得て当時の宇宙人にしては異例の再生回数を記録しました。

そして、この時期に阿奎は、映画「逆光飛翔 (日本語タイトル「光にふれる」)」の撮影に入っていた模様です。
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【2011年10月~ 新メンバー正式発表~4人で新たなスタート】

宇宙人・活動復帰ステージとなったのが、10月15日高雄で開催された「第二回・超犀利趴 (Super Slipper)」でした。(ちなみにこの時の超犀利趴には、日本からflumpoolが初参戦)
そして、この時に新メンバーとして、ベース:方Q、ドラム:唐小胖(愛称:シャオパン)が加入、それと同時に魏胖が脱退したという事をファン達は初めて知ります。
(※ ドラムの小胖は、台北芸術大学・音楽学科卒。知人の紹介でプロデューサーが彼に連絡を取って加入に至ったとの事です。)
(※魏胖の脱退理由については、「ドラマーとして、プロのミュージシャンを目指すため」とラジオ出演の際、小玉がコメントしていましたが、真相は不明)

兵役前とメンバーが変わっただけでなく、パフォーマンス面でも、小玉がハンドマイクで歌う(今までは、キーボードを演奏しながら歌う、または踊りながら弾くというスタイル)という変化も見られ、以前からの宇宙人ファンにとっては、ちょっと予想外の復活ステージとなりました。

その後、アルバム「地球漫歩」が発売されるまでの一年弱の間は、アルバム制作と平行して、イベント、音楽フェスに出演していますが、あまり数は多くなかったと思います。
この間のワンマンライブは、
2011年12月 退役記念ライブ(the wall)と
2012年2月 改天再説我愛你(西門河岸留言)の二本だけ。

そして、演奏される曲も若干カバー曲が増え、過去のオリジナル作品でも演奏されない曲が増えてきました。(これもまた成長の過程とは思いますが)

【2012年 8月~ 宇宙人002・「地球漫歩」の発売にむけて】

8月に入って、新アルバム「地球漫歩」の発売日(10月4日)発表、予約販売の受付開始。

8月25、26日には、 第三回目の「超犀利趴(Super Slipper)」が台北ドームで開催。
この年の出演者は五月天よりも長きに渡って台湾で活躍するベテランバンド四組が五月天と共演するという企画でしたが、そんな大御所が揃うステージに、宇宙人は余興?というか、ゲストで出演します。(25日が宇宙人で、26日は旺福がゲスト)

そして、月末にアルバム発売に先行して、「一起去跑步」のMV(ジョギング編)→が公開となります。この「ジョギング編」は、単純に「一緒に走ろう」というタイトルに基づいて、自主企画・制作されたのではないかと思います。

9月に入り、 アルバムタイトルとジャケット写真、そして予約特典が発表。

ここで、ちょっと衝撃な出来事が...。なんと、ジャケット写真にドラムの唐小胖(シャオパン)が写っていない!! どうやら新作アルバムの発売を機に、宇宙人は三人編成でのメジャー復活という選択をしたようで、またもやメンバー脱退か?!と思いましたが、この件に関しては、小玉がライブやラジオ出演の際に、
「(彼が宇宙人に入らなかったのは)自身で録音スタジオを開業し、宇宙人の活動だけに専念出来なくなるから。だけど、彼は芸大の音楽学科を卒業しているスペシャリストだから、これからもライブや楽曲制作は一緒にやっていくよ。」とコメントしています。


さて、発売日の約二ヶ月前から予約受付が開始されていましたが、9月になってからアルバムの予約特典の詳細を発表。

そして、この予約特典こそ、後に宇宙人が「山登りバンド」になるきっかけになった「和平的空氣」です。

宇宙人は、バンド名の由来からわかるように、彼らの創作の原点として「ユーモア」さを加える事が「宇宙人らしさ」の一因となっています。
その「ユーモア」さは、歌のタイトル、歌詞、CDジャケット、MVなど随所に見られ、それらは、言葉としてのダジャレやギャグであったり、他人からすれば「くだらない」「無意味」「役に立たない」ことを真剣に取り組んで、逆に笑いをとる、、、といった企画であったりしました。

そんな宇宙人たちが、予約特典に考えたのが、「空気」でした。
(形のないもの、目に見えないものをプレゼントにするというのが、宇宙人的ユーモアさ)
そこから企画が発展していき、
「和平(英:peace 日:平和)の空気をみんなに届けよう」
→「じゃぁ、和平の空気って何?どこの空気?」
→「(台湾の地名に『和平村』という場所があるので、その地名と引っ掛けて)「和平」に空気を集めに行こう!」
と最後は地名と引っ掛けたダジャレになっているんですね。

そういう宇宙人のユーモラスなコンセプトから、出来上がったのが、皆様おなじみの「一起去跑步」のMV・『台湾一周編』です→。(和平村は、台北の東部に位置します)
このMVがアルバム発売開始前に公開となり、10月4日・華山Legacyにて「地球漫歩】発売記念ライブが行われました。

【2012年10月~ 相信音楽所属・若手アーティスト5組一丸となって宣伝活動】

そして「地球漫歩」を発表後の翌月(11月)に、「一起去跑步」が、台湾ドラマ「真会趁現在(日本語タイトル:(ホントの愛は、いまのうちに)」の主題歌に採用されます。

さらに、相信音楽の若手アーティスト、嚴爵(Yen-J)・魔幻力量(MagicPower)・白安・家家との合同ライブ「我相信演唱會@台北ドーム」の開催が決定し、これらのアーティストと共に、テレビ番組やサイン会などライブの宣伝活動に励みます。

またこの時期に、宇宙人の登山チャレンジ第一弾・台湾一・高い山「玉山」登頂を目指します。
ここで玉山登頂に挑戦する事になった理由を説明しますと、
それは、「地球漫歩」の予約特典「和平的空気」が限定2000本だったことに対し、『もしこの予約特典付きCDが売り切れたら、台湾一標高が高い玉山に登って、空気を集めにいくよ!』と公言したのがきっかけです。

(※この頃の宇宙人は、メジャーデビューを果たしたといえども、まだまだ世間の関心からは程遠く、facebokの「いいね」数も2万に満たず、ライブでの集客率も良いとはいえない微妙な感じ(400~500人入れば上々)でしたから、『2000枚』という数値設定は彼らにとっては「これだけ売れたらいいな」という希望的数値目標だったと思います。)

本格的な登山経験のない宇宙人がこのように公言すると、普通だったら「また冗談を言っちゃって。」と笑って終わるところを、宇宙人は「みんなが冗談だと思っていたことを、本気で実行する。有言実行。そういうスタイルってすごくカッコいい=(イコール)これこそまさに『宇宙的!』」と台湾一周に引き続き、玉山登山にチャレンジします。

そして、無事に玉山登頂を果たし、玉山頂上の空気を詰めた「玉山的空気」は、チャリティオークションに出品され、この登頂を目指す過程が「大志若魚」のMV→として公開されました。

【2013年1月~ 2014年8月 日本デビューに至るまで】

「地球漫歩」を引っさげて、宇宙人として初の中国・香港・シンガポールへ進出を果たします。
そして台湾のみならず、各地で今までに見られなかった「熱狂的女子ファン」が急増。勝因はおそらく、方Qの加入によって宇宙人のルックス面も少し良くなったからではないかと思います。

そして、2月3日に「我相信演唱會」が台北ドームで開催。この模様はテレビ?(youtubeだったかな?)で生中継もされました。
これまでに何度か台北ドームのステージには立っていますが、若手5組合同とはいえ、宇宙人も主要メンバーに入っているので、宇宙人としては、初めてメインで立てた記念すべき台北ドーム公演となりました。

このライブで更に宇宙人の知名度が上昇、ファンも増えつづけます。

そして、翌月3月、「地球漫歩」を発表して半年、ようやく台北・NeoStudioでワンマンライブを開催します。会場はほぼ満員だったようで、(この会場は華山Legacyより若干キャパが多い)、宇宙人たちは確実にファンが増えていっていることを実感します。(見に行ったA達(元・ベース)が『今までで見た宇宙人のワンマンライブで一番観客が多かった』とFBでコメントしていました。

ちょっと蛇足ですが、このライブから熱狂的女子ファンで構成される後援会みたいなのが出現し、「ライブでは、この曲の時はサングラスをかけましょう、この曲の時にはこういう動きをしましょう…」的なビラが配られていたとそうです(←友人による話)

更なる説明を付け加えると、
売れていない頃は、「僕たちはアイドルバンドじゃないんだから、外見がカッコイイとかそうことは必要ない」とか「宇宙人のライブでは(既存のバンドのライブで見られるような)ペンライトや看板は使うな」とか言いまくってたのに、結局あれは売れないバンドの強がりだったんですかね・笑。しかし、こうやって観客の応援に応えるのもアーティストとしての務めですから、これを素直に受け止めれるようになったのも、成長したことの証だと思います(ま、私の本音は「調子に乗ってんなぁ~」(呆)でしたが・・・)

さて、話を本題に戻しまして、
このワンマンライブの後、宇宙人に更なる飛躍のチャンスが到来します。
毎年三月にアメリカのテキサス州オースティンで行なわれているSXSW(※クリエイティブな人や企業がキャリアの発展とアイディアの共有を目的とした世界交流イベント←はてなキーワードより)への参加が決まります。

この音楽祭に参加するには、台湾の文化局(日本で言えば文化庁にあたる)の審査・推薦を受けたバンドが参加への切符を手に入れることが出来ます。(台湾では国が、海外でも通用するアーティスト育成のために海外公演等に対して助成金を出しています。)
そして、この知らせを聞いた私は、以下の図式が頭をよぎりました。
『宇宙人がこのSXSWに参加できた=> 文化局の海外派遣の審査に通過=> 今後、海外音楽フェスへの推薦及び補助を受けられる可能性が出来た=> サマソニ参加も夢ではない。』
ということで、この時点で宇宙人の来日ライブへの可能性が出てきました。。

そしてSXSWの出演を果たし、帰国後すぐに、毎年台湾の高雄で行われる大型音楽フェス「大港開唱 MEGAPORT FESTIVAL」に出演します。今まで数々の音楽フェスに参加してきた宇宙人ですが、ようやく一番大きなステージに立つことが出来ました(※音楽フェスなので、大中小のステージが5つくらいあります)。今までにない多くの観客の前で演奏した小玉と阿奎はFBで「自分達の成長を実感できた」とコメントしています。
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そして三ヶ月後(時は6月)、日本のスペースシャワーTV・「モンスターロック」という番組内の「世界ロック不思議発見」というコーナーで宇宙人が「台湾のロックバンド」として紹介されます。これが宇宙人初・日本のメディアへの登場となりました(←たぶん。。。)
私は残念ながら放送は見ていませんが、台湾の音楽を紹介するにあたり、この年の「大港開唱」に取材が入ったようです。ちなみにこの年の出演者は、宇宙人・滅火器・旺福以外はみんなインディーズ(しかもかなりマイナー系)だったので、メジャーデビューしている宇宙人が取材者サイドには際立ってみえたのかな~と思ったりもしています。(まぁこれは私の推測ですが。。。)
テレビで紹介された時の写真(宇宙人FBより)
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2013年の大港開唱の出演者リスト
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しかし、この「日本のメディアでとりあげられる、しかもC-pop関連番組以外で。」という出来事は、「宇宙人日本進出」の可能性を更に後押しする要因になったのではないかと、私は思います。

そうして2013年前半が過ぎ、宇宙人は学園祭やイベントへの出演を勢力的にこなし、また「一起去跑步」と「大志若魚」の二曲が若い世代(中高生・大学生)に対する応援ソングとして人気を集め、新たなファンを増やし続けます。こうして2万以下だったFBの「いいね」数が一年足らずで14万を越えました。

これだけ人気も出ましたが、2013年の金曲賞(台湾のグラミー賞にあたる)にはノミネートすら至りませんでした(※宇宙人と同事務所や同時期にデビューしたアーティストはみんなノミネート経験があるので、宇宙人にとっても金曲賞へのノミネートは目標の一つだと思います)

2013年8月 恒例になった五月天主催の音楽フェス『第四回・超犀利趴』が開催。この年から『犀利啥小趴』という新たなスタイルで、会場を台北ドームだけでなく松山文化創園区 第一倉庫に移し、開催期間も長くなり、より多くのアーティストが参加出来るようになりました。
そして、宇宙人も初のビッグバンド編成で、「宇宙大樂隊」と銘打ったワンマンライブを開催します。この「宇宙大樂隊」はその後、高雄(2013/12月)、台中(2014/2月)、そして再び台北(2014年/3月)と計4回行われます。

この最後の台北公演の会場は「ATT show Box」といって、一年前のワンマンライブの会場NeoStudioよりも更に広い会場。このライブを終えた阿奎はFBで「来年(2015年)は宇宙人10周年の記念すべき年だから、次はTICCで会えることを願っているよ」とコメントしています。TICCとは、台北101の隣りにある台北国際貿易センター内にあるコンサート会場です。回を増すごとにライブ会場が広くなっていることに対しての、更なる目標設定なのでしょう。

さて、2014年の春も過ぎ、6月に入った頃、
恒例の『第五回・超犀利趴』の開催決定。宇宙人も再びワンマンライブでの参加が決まります。

そしてその直後(6月中旬)に、『宇宙人・日本デビュー』の吉報が発表となります。これには、日本の宇宙人ファンも相当驚きましたが、当の宇宙人本人達も、日本の音楽市場と自分達は一切無縁だと思っていたようで、まさに彼らにとっての「想定外」の嬉しい出来事だったようです。

さらに引き続き、日本デビューのニュースから一週間後くらいに、2014年のサマソニ出演の知らせが舞い込んできます。
(※サマーソニックの台湾アーティストの参加については、2011年から台湾の文化局が助成金を出して、積極的にサポートしています。)
(※宇宙人のサマソニ参加決定に関して、実は彼らは補欠候補だったそうです。先に決定していたアーティストが急遽キャンセルしてしまった為に、繰り上げ当選となったとの事。だから仕事の予定も変更できず、日本と台湾を行ったり着たりというハードスケジュールrになったんですね。

さて、これらの吉報に、宇宙人本人達も日本の宇宙人ファンも大興奮の最中、7月初めに『犀利啥小趴』の一環として、『宇宙人003首部曲』というタイトルでワンマンライブを行い、新曲を披露すると共に、日本進出への意気込みを語りました。(より詳しくは過去のブログ記事をどうぞ→

そして2014年8月に宇宙人・日本デビュー&台ワンダフル・サマーソニック出演と
ここからの活躍は皆さんもご存知のとおりです。
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その後、去年の11月に「宇宙人結成10周年記念」として「ヒマラヤ登山へ挑戦」しましたが、一体、このバンド、どこへ向かうつもりでしょうか?(笑)
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まぁ、彼らのFBでのコメントを要約しますと、
「人は少しずつでも前に進み、またそれを長い時間やりつづければ、その道のプロになれる。そうやって、自分達も好きな音楽をやり続けてきて、それなりの成長を果たした。自分達がヒマラヤに挑戦することで、何かに挑戦すること、あるいは自分の選んだ道を進む為の勇気とパワーをファンのみんなに届けたい」
のだそう。。。

宇宙人も「人の役に立つことを考える」ようになるとは、大人になりました。
しかし、普通に考えてもちょっと旅行でヒマラヤへ、、、、なんて気軽に行けるわけではないので、貴重なヒマラヤ登山の経験が今後の彼らの作品に反映され、更なる宇宙人の成長ぶりを見せてくれるのを楽しみにしています。
(ま、個人的にはあまり真面目になりすぎて、メッセージ性の強い曲とか熱血バンドにはならないでほしいですけどね。)

ということで、後編も長くなりましたが、読んでくださった皆様ありがとうございました。

この記事が、今後新たに宇宙人ファンになった人が、「宇宙人の事をもっと知りたい」と思った時にお役に立てればいいなと思います。

ではでは、宇宙人・日本初ワンマンライブまで後二週間。
みなさま、体調を崩さぬようご自愛くださいね!