みなさん、こんにちはニコニコ


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乳がんを「無治療」で闘った姉の闘病記を書いています。

2年半の闘病生活をそばでサポートしてきて気が付いた事、見えた事、感じた事を、ひとりでも多くの方の参考になればと思い、綴っております。




前回のお話は、「緩和ケアの考え」と「姉の考え方」の不一致から、緩和ケアをやめる事になった、その経緯を書かせてもらいました。



緩和ケアをやめたのは12月。


先生からは年内、持つかどうかと言われておりましたが、無事に年を越す事ができました。


通院から解放されたせいでしょうか、とてもスッキリしていました。


不思議と高カルシウム血しょうによる症状も以前よりは全然抑えられており、月1回の薬の投与は何だったのだろうという感じ…

でもガンも体で日々色んな変化をしていますので、急激に増える時期もあれば落ち着く時期などあるのでしょう。


それから、かなり前からですが、咳はちょこちょこありました。

肺に転移しているし、胸水も少し溜まっていたので、咳は慢性化していました。

術後の手術以来、半年以上も検査をしていないので、どこまで進行しているのかはホントにわかりませんでした。


そして、体力もなく、やはり普通の生活が困難になってきていたので、旦那さんと中学生の娘を家に残し、ひとり実家に身を寄せる事になりました。



母もその方が行ったり来たりがなくなるので楽になる反面、もし急な容態の変化などあったときにどうしたらいいのか、など、不安も抱えていました。




食事はその頃、受け付けるものと受け付けないものとがハッキリあり、日によっても変わるので、母も姉の食事の面倒をみるのもかなり大変でした。

でもガリガリに痩せているので、とにかく食べる事は必須で、姉にとって食事をする事は苦痛でもあり、生きるための命綱でもありました。


波動医学の先生に勧められ、アミノ酸の粉のサプリメントも飲んでいましたが、気持ち悪い時が多かったので、なかなかきちんと飲めない日も多くありました。



その時のお正月は割と体調も良く、大好きだったビールも少し飲むようになりました。

好きなものを口にできる喜びは幸せですね。



ところが、

2月に入った頃、理由が分からずかなり体調が悪くなりました。

ほぼ寝たきりで、食欲もなく、立つのも辛い、気持ち悪さもあり、1週間近くはそんな状態で、益々痩せました。

もういよいよダメなのかなぁ、と思いました。


ところがまたじわじわと良くなり、なんとか前の状態に戻れました。すると翌月も、また翌々月も1ヶ月毎に特に悪くなる日がやってきました。



そこで後々に分かったのですが、

何と、必ず生理の日直前から決まって1週間ほど悪くなっていたのです!

っていうか、こんなにガリガリに痩せてもまだ生理が来てたんだ‼︎ と、その事に私は驚きでしたが、起き上がるのもトイレに行くのもしんどくてやっとだったのに、その上、生理まで来ていただなんて、ダブルパンチどころではありません!


健常な人だって生理が来ると嫌なものだし不快だし大変です。それなのに、、、


そして、その生理が原因で姉の状態がヤバいほど悪化し、益々体力を奪いました。


2月、3月、4月、、、確か、4月が最後だったでしょうか…。姉の生理がやっと終わり、閉経したのです。


閉経したお陰で、それ以降は月1の不調も無くなりました。

とはいえ、常に色んな不快症状はありましたので、その頃、体調の良い日というのは本当に稀でした。


姉も2月のあの時はもう死ぬかと思うほど辛かったと、のちに話していました。



姉は温かくなる春を待ちわびました。

寒い冬をこの体で乗り越えるには、本当にしんどかったからです。


春になったら体の調子が上向くと期待していました。


そして、年末からの実家暮らしは、父親との喧嘩で幕を閉じ、温かくなった春先、自分の家に戻る事になったのです。

この辺の家族を取り巻くお話も別の回でお話させてもらいますね!




次回はいよいよ死を迎えるその時までのお話をさせて頂きます。



最後まで読んで頂き、ありがとうございましたお願い