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45歳でこの世を去った姉の「乳がん闘病記」を書かせてもらってます。
標準治療をせずにやってきて、挙げ句の果て、緩和ケアまでも拒絶した姉のお話の続きです。
前回は姉が緩和ケアをやめるまでのお話をさせて頂きました。
今日は、患者の姉ではなく、私や家族と緩和ケアの先生のやり取りをお話したいと思います。
緩和ケアの先生は患者の家族との連携もしっかり取ります。その先生は特に患者本人だけと話を進めるという事は絶対にせず、いかなる時も家族を交え、何かあっても大丈夫な体制を常に取って頂いてました。
が、患者の希望は余り聞き入れてもらえませんでした。やはり西洋医学の普通のお医者さんです。
自分のマニュアル通りじゃないと気が済まないといった感じで、姉の意見などはほとんど聞きません。初期の頃を思い出します。
姉がかなりの変わり者で、普通の人と考え方が違うから、余計に厄介だったとは思います。
イレギュラーはダメでしょうか?
でも人間なんて皆考え方もひとりひとり全く違うし、死に対する捉え方だって、生き方だってひとりひとり違って当然なんです。
その上、残された時間が少なく、毎日苦しみと闘っていて、そこ知れぬ恐怖と闘っている人間です。
それなのに、最期の時まで社会や家族、医師の意見を優先しないといけないのでしょうか?
散々そうやって家族のため、社会のため、周囲のために自分を抑えて生きてきたのに、最期までも周囲に合わせて生きなくてはならないのでしょうか?
変わり者は自分の考えを我慢して「一般」に合わせないといけないでしょうか?
残り少ない最期の時間も生き方を制限され、自由に選べず、選択の余地さえほとんどない。
薬漬けになるくらいなら、痛みを我慢した方がマシだ、と考える人がいても良いじゃないですか‼︎
と、ここまで散々姉の擁護、私の主張をしてきましたが、緩和ケアの先生の気持ちも痛いほど良くわかります。
患者の好き勝手させて、もし急な症状で何かあったら、遺族が医者に盾突き、裁判を起こすかも知れません。
例えば以前お話した、高カルシウム血しょうで症状を抑える対処をしないと、腎臓がやられて死に至る場合があります。
そんな時に患者が薬を嫌がるからといって、「はい、そうですか」といって薬を出さず、その後、患者が死に至ったらきっと問題になるでしょう。
遺族が、勤務先の病院が、色々言ってくるでしょう。
なので、やはりそういうわがままを言われてもきっと困るのでしょう。
なので事あるごとに必要以上に家族の同意を求めるのです。
先生から聞かされたのは、母親がガンで緩和ケアを受診していたのですが、結構元気で過ごしていたのに、あまり予兆もなく、いきなり悪化して亡くなったそうです。1週間くらい前まで元気だったので、亡くなった患者さんの二十代の息子さんは、その母親の死を受け入れる事が出来ず、緩和ケアの先生のやり方に問題があったのでは、など、裁判沙汰にまでなりそうになったとの事。
なので先生は家族ともきちんとコミュニケーションを取っておきたいと、言っていました。
なので、私は双方の気持ちが分かり、
先生には「ワガママな姉ですいません」と思い、
姉には「最期まで自分らしく生きたいよね」と思いました。
緩和ケアをやめると大きな問題がありました。
私が気にしていたのは、
主治医を失うという事です。
主治医を失うと何が困るか、、、
それは
死を迎える時、そこが自宅だった場合、ましてや、誰もいない時や、誰も気が付かないうちに死んでいた場合、救急車は来てもらえないので、警察を呼ぶ事になるのです。
すると、事情聴取や、東京など厳しい所では司法解剖になったりするそうです。
主治医がいれば主治医を呼び、すぐに死亡診断書を書いてもらえます。
ですので、私たち家族には万が一の時に連絡する場所がないのはとても不安でした。
警察沙汰になるのも嫌でした。
波動医学の先生の所には月1程度何かあれば行っていましたが、隣の県で遠かったし、予約一年待ちのお忙しい先生でしたし、現在は保険診療ではなく、自由診療のお医者さんだったので、いざという時はこちらに呼べないだろうと思っていました。
なので、私たち家族からすれば、どこかと繋がっていたかったのです。
私は姉のいない所で、緩和ケアの先生に素直にこの心配事を相談しました。
先生は姉には内緒で、私に
「いざという時は僕に電話ください」と、
とても有難いお言葉を最後に下さいました。
そのお陰で私は姉を緩和ケアから解放させてあげる事ができたのです。
それでそこの緩和ケアとはサヨナラする事になったのです。
【その後、高カルシウム血しょうの症状を抑える薬を打たなくても、高カルシウム血しょうは悪化せず、姉は
「だからあんな薬(ゾメタ)なんて打たなくても大丈夫だったんだ!アレを打ってから益々おかしくなったんだ」と、
3回打ったあの薬が、自分の状態をおかしくさせたんだと、後悔を何度も口にしていました。】
長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました![]()
次回は緩和ケアに通わなくなってからのお話をしたいと思います。