日本のベニス「柳川掘割物語2」~柳川再生編 | ポメシバ★ラムちんはドライブ好き

日本のベニス「柳川掘割物語2」~柳川再生編

『ラムちんの冬こそ九州3300キロの旅【10】』

seisei ここは内堀から外堀への中間点(分岐点)なのですが
前回『柳川掘割上り』で半分の45分で柳川の昔の歴史を
『九州三国志』に『軍師官兵衛』を加え呟きましたが
残りの45分の現代史がまだ残っておりますべー
ここで左折して外堀には行かず北上しますがラムちんが
じっと見つめるその先には有名な『並倉』が見えてます目
この煉瓦づくりの倉庫(味噌蔵)は柳川の象徴的な風景で
明治後期から大正初期にかけて建てられ今だ現役なんです
平成12年に国の登録文化財にも指定されました
「橋ぎわの醤油竝倉西日さし水路は埋む台湾藻の花」と
故郷柳川を心から愛した北原白秋も詩を残してます
でもこの台湾藻の花(ウォ-ターヒヤシンス)が問題となるのですが
白秋の時代は澄んで飲料水にもなっていたこの水路も
実は40年前の1974年には他の都市と同様汚れ放題
日本列島改造論で湧く高度成長期の都市化は全国で進み
食生活の変化で人々の動物性タンパクの摂取量が増え
水道の普及で台所から直接ビニールパイプで生活用水が
側溝や水路に注ぎ込まれ農薬や工場排水も加わり
燃えないゴミのビニールや不法投棄物などが捨てられ
ダム建設で水も流れずヘドロで埋没した『掘割』だけが
過去の遺物として柳川には無数に取り残されて
ハエや蚊が大量に発生し悪臭が町を覆い窓も開けれない
「ブーン蚊都市」と揶揄されるまで荒廃してしまいました&
名物の『柳川下り』もヘドロと台湾藻の花が流れを止め
悪臭の中全く進めなくなるほどの状態だったそうです
柳川出身の作家檀一雄(壇ふみの父)は当時の市長に
「我が故郷はシブタも住まず蚊蚊ばかり」という句を送り
往時の姿を失った掘割を嘆きました(シブタとは小魚の一種)
もう辛抱堪らん!これは限界と柳川市民が選択した方法は
他の町と同様の時代に取り残された無用な長物の排除
つまり建設省の都市下水路事業費という助成金をもらい
城掘り以外の水路を全てコンクリートで覆い埋立隠す事h
でも今から37年前の1977年にその埋立ての責任者として
子供の頃から『掘割』で暮らし誰よりもこの『掘割』を愛し
「水はいのち」と柳川市で水道畑一筋に働いてきた方が
環境課都市下水路係長に抜擢され今までの経験と知識で
柳川の歴史文化である『掘割』をコンクリートの下水路にして
本当にいい事なのだろうか?と疑問を投げかけ
たった一人反対を唱えた事から奇跡の大逆転が始まります
その一公務員は市長に直訴して半年間の猶予期間をもらい
凄まじい努力と熱意で柳川の住民を巻き込み成し得た結果
現在の景観維持に繋がっている事をご存知でしょうか?
その凄い人物の名は広松伝(ツタエ)[2002年没]といいます
市議会で可決された20億円(国庫補助6割)の
税金を投入する大公共事業がいよいよ始まり
これから皆町一丸で変身という雰囲気の中
当然当初賛同する者は誰もおらず役所の中では四面楚歌
挨拶すら返してくれず議会も全く無視だったそうです
町の人からも冷たくされ彼は1人で住民を説得して歩き
その結果どうなったか?
それでも・・・
最終的には事業計画は撤回柳川の『掘割』は残ったのです
でははてなマーク
何故?そんな短期間に不可能が可能になったのでしょうか?
この“スーパー公務員”の広松氏の言語録に
「プランニングに机はいらない。必要なのは足と目と,土地の人と対話する耳と口、そして何よりも、土地の人の気持ちになりきる心である」
・・・とありますが
まさにその実践!!
徹底的に水路の歴史的な役割を調べ上げsao☆
むしろ浄化して生活に役立てることを提案ビックリマーク
「川とよりを戻したい」と冊子
『郷土の川に清流を取り戻そう』を500部刷り
100回を超す住民懇談会を実施すげ~
「地球に水があり循環していたから今の私達がある」と
『自然治癒力』と『水の循環』という
昔から伝わるこの壮大な仕組みを
柳川の町と堀の関係を自分や地元の方の過去の経験や
思い出話をしながら共有の体験談で
「掘割をなくせば地下水が細って地盤が沈み増水した時に
水を逃がすことも出来ず柳川は海に戻る」と訴え
「今は荒廃して住民の生活を阻害しているが
皆で取り組めば必ず再生する!」と
地元住民に丁寧に分かるように説明し自らは率先して
堀に入って水草を取り浚渫の先頭となり
汚かった一本の水路を水が流れるようにすると
「うちの水路も♪」と次々に波及して皆昔を思い出し
先端をいく柳川を守り生きてきた先人の知恵の凄さに
人々は徐々に「埋立の愚策」に気が付きはじめ
一人また一人とその輪は広がっていくのでしたアップ
“公務員の鏡”たるべき広松氏は後にこう振り返ります
「元はといえば住民の方が堀が綺麗だった頃の
素晴らしい体験があってあんなになったらいいな・・・
という願いがどこかに潜在していてその願いに
私達が懇談会という手段で灯をともしてまわったことが
そのきっかけになったと思います」と・・・
でも結果的には役所の一係長が国と県が旗振りをして
市議会が議決した後の施策を地元の世論の力を押し上げて
振り出しに戻したという快挙は素晴らしすぎます
実際国や県が考えていた掘割を埋立下水道を整備する
費用の1/5のコストしかかからなかったそうで
しかも掘割埋立の事業費はかからない上に
素敵な2つのオマケまでもがついちゃいました
一つは前半45分ラムちんの常に右側に見えていた
「川下り内堀コース」掘割沿いの約2.7kmの柳の美しい
「日本の道百選」 の『水辺の散歩道』なんです
これは同時期の1978年国土省の伝文事業費の割当♪
伝統的文化都市保存地区整備事業としての第一弾!
津和野町(島根)と竹田市(大分)と柳川の三都市に
一億円の枠での整備費が下りて整備を始めた産物なんです
もう一つは地域住民の『絆』の復活
こうして昔と同じように「関わる全ての人の協力♪」と
住民たちの協力で計画的に堀の浄化運動は遂行され
『掘割』を整備♪現在も祭りやイベントも『絆』の元継続され
この美しい水路は保たれているのでした
柳川・川下りの船頭さんで現在唯一の女性船頭さん
堤さんのライバル会社『水郷柳川観光株式会社』の
23歳の独身田野井希美さんとすれ違いますが
商売敵であるはずなのにお互い仲良く紹介しあいます
うちの舟は皆陽気で「独身通しお似合いのカップル♡」と
堤さんを囃し立てますが知らぬ者通しも和気あいあい♪
これが『絆』柳川どんこ舟の醍醐味でもあるのです
広松伝さんの話を初めて知った方は結構ビックリでしょうが
この話を知らないで柳川にロケハンに行った監督がいました
超有名なスタジオジブリの高畑勲と宮崎駿両監督です
(ここで7番目の大きな橋『柳城橋』を潜ります)
本当に知らなかったのかなぁ~と訝るラムちんですが(笑)in♡
最初は青春アニメ制作のために柳川を訪れたのに
広松氏本人に会い
この話を聞いて感銘を受け単なる物語の背景ではなく
柳川そのものを主題にしたドキュメンタリーに変更します
(またまたここで右折して細い水路を東進ですが・・・)
こうして生まれたのが運転手イチオシの賛否両論が分かれる
記録映画の傑作『柳川掘割物語(1987年)』なんです
(ここで8番目の『北長柄橋』を潜ります)
実は『風の谷のナウシカ(1984年)』が大ヒットした時
徳間書店はすぐに『ナウシカ2』の制作を依頼しました
しかしスタッフに激務を強いた宮崎監督はこれを拒否し
代わりに『水の流れる街』という劇場用アニメの企画を提案
監督は高畑勲が担当し宮崎駿は設定・レイアウト作成として
参加する予定だったそうです
内容はこんな感じ・・・
水路際をスクーターで走る女子高生。漁師町にすむ美少女だ。自転車の少年が水路に落ちる。こうして、2人が出会う。この町には隠された水路があった。少年はその謎の水路を調べ始める。そこに少女の出生の秘密が絡み、物語は意外な方向へ――。
「うーん見てみたい🎶」と堤さんはポーズを決めますが(笑)
しかし高畑監督が広松さんの柳川の浄化話に大感激
宮崎監督を説得してドキュメンタリー映画に変更します
(続いて9番目の『石橋』を潜ります)
しかし「そんな映画に金が出せるか!」と
徳間書店が出資を拒否
やむを得ず宮崎監督が『ナウシカ』で得た収入を丸ごと提供
「自主製作映画」として撮影がスタートします
宮崎監督としては『ナウシカ』でプロデューサーを
高畑監督が引き受けてくれ大ヒットした恩返しとしての
今回の話だったのですが
凝り性の高畑監督が全力投入で一年のはずが二年になり
あっという間に資金が底を尽き撮影がストップ
困り果てた宮崎監督はつい最近の3/8自身の引退に続き
プロデューサー業から勇退することを発表した
現スタジオジブリの鈴木敏夫GMに「どうしよう?」と相談
それに対して鈴木氏があっさり一言
「もう一本アニメ映画を作りましょう」
それを聞いて宮崎監督は「よし、分かった!」と
完成したのがスタジオジブリ制作映画の1作品目となる
『天空の城ラピュタ天空の城(1986年)』だったのです
まあ今から考えると凄いやり取りなのですが・・・
「ついかがむ乙の女童影揺れて
まだ寝起きらし朝の汲水場に」
と北原白秋が当時の情景を歌った歌碑が見えてきました
昭和初期までこの汲水場では水を汲んだり
米とぎをしたり生活の場となっていたそうです
ジブリの大好きな大正~昭和の長閑な原風景は
間違いなくこの地にあったのです
こうして漸く撮影開始から3年後の1987年無事上映された
『柳川掘割物語』の美しい水郷の映像から始まる冒頭は
「日本が貧しかった頃、どの村にも小川が流れていた
春の小川はさらさらとゆき
岸にはすみれやレンゲの花
子どもは子鮒を釣り夏のホタルを追ってあそんだ
日本が貧しかった頃、どのまちにも掘割があった
水は必ずしも清くはなかったけど、橋や水辺に佇めば
水の流れは暮らしの重荷を軽くし疲れを癒してくれた…
日本が貧しかった頃、手の届くところに水辺があった」
この見てもいないのにその遥か昔の情景が目に浮かぶ
名セリフで始まる167分もの大作は必見!
前々回紹介した通潤橋(熊本県矢部町) も出てますが
水とともに暮らす人々を描いた
実写がアニメのような不思議な感覚の作品で
主役は故広松伝氏と柳川市民です
是非大きな「TSUTAYA」 等の店舗ならあるかもの?
レンタルを探してゆっくりとご覧下さい
ラムちんはじっと静かに流れる『掘割』を見つめておりますが
運転手の伝えきれなかった部分が明快に理解出来ますよ
さあ狭い水路から大きな矢部川水系の二ツ川へと
10番目の橋『水門橋』を通過ですが
ここは『柳川城掘り水門』と言って
城内に入れる唯一の水門で50cmの角石を積み上げ
両側の溝に板をはめ込んで水門を閉め
上流の矢部川の堤防を決壊させると
城内を残して周りが全て水びたしになり
敵の襲撃をかわせた秘密の扉なんです
毎年2月中旬の10日間ほど「城堀落水(堀干し)」が
『堀割』とその恵みを永く守ってきた人々に感謝をこめて
「水落し」という行事がおこなわれます
この期間はこの水門を閉じ『堀割』の水を抜き
堀底に陽の光を透して清掃・整備を行い
堀に対してのおもいを限りなく注いでいきます
「水落とし」は永く堀を守っていく水郷柳川にとって
江戸時代から続けられてきたとても大切な知恵なのです
水落し期間が終わると水門をいっせいに開きます
春の訪れの前の堀開きの儀式を済ませると
水郷柳川の新たなシーズンの幕開けです
清らかな水が流れ込んで
また一年『堀割』は柳川を力強く支えてくれます
この行事の復活も故広松伝氏の残した遺産の一つかもです
ここで左折して二ツ川をゴールを目指して北上です
そういえば『掘割』がきれいになってから観光客も回復
1970年代で20万→60万人が現在では120万人と
まさに「うなぎのぼり」だそうです
11番目の橋『柳川橋』と最後の『公園橋』を潜ると
約1時間30分の『掘割上り』もいよいよ終わりです
『三柱神社』脇にある一番奥の船着き場を持つ
初夏には住民の努力で念願のホタル も飛ぶらしいホタル
今回お世話になった堤さんの『城門観光』だけが通る
素敵な川辺の景色を川下りの最後にご紹介しましょう♪
『三柱』とは運転手が前回の柳川の歴史で紹介した
勇猛な三人だった柳川藩祖立花宗茂とその妻誾千代
さらに妻の父である立花道雪の事です
岸は護岸がないか浅い石垣程度で水際まで木々が張り出し
中には水面上まで倒れるようにして幹を伸ばす木もあったり
とっても素敵ですよ
そうそう♪『柳川掘割物語』を借りる時には何でもいいので
もう1本か2本是非ジブリのアニメを借りてくださいね
一緒に見ると今まで見えてなかった
宮崎監督がアニメを通して日本国民いや世界に
伝えたかった事がきっと見えてきますよ♪
『柳川掘割物語』で表現された内容は
実は後のアニメの中に沢山ちりばめられて生きています
例えば・・・
『千と千尋の神隠し(2001年)』の水神さんのシーンでは
掘りに捨てられたゴミを吐き出すシーンが出てきたり
『もののけ姫姫(1997年)』では
森を切り拓いて鉄を作って生きている人間と
森と森の主を守りたい山犬たち動物の一族との戦い
つまり自然の共存と侵すものの戦いであったり
「となりのトトロトトロ(1988年)」では
日本人なら誰でも懐かしいと思える田舎の風景
あげたらきりがないですが昔は貧乏で豊かでなくても
美しい自然があり清らかな心をもった人間がいた事
人はそのことを忘れてはいけないという事ではと思います
自然との共生・戦い・人間同士の温かい心の触れ合い等が
ジブリのアニメにはテーマとして必ず描かれていて
そしてその中には忙しい現代人には忘れられている
郷愁を誘うほっとした昔懐かしい情景が散りばめてあり
心理描写が見事なハーモニーで演出されているのです
宮崎駿監督が伝え続けたジブリのテーマは
人間が大切にしていかなければならない物だったのです
そんな監督の熱い思いの伝わる言葉は
丁度昨年の今頃ラムちんと訪れた広島県『鞆の浦』の記事
青春18きっぷ編の『日本で最も癒される港町の雛祭り♪』
で『崖の上のポニョポニョ(2008年)』の誕生秘話と共に
紹介しておりますので是非合わせてご覧ください日本ラブ
如何でした?柳川の約90分の『掘割上り』
只今丁度11時30分『三柱神社』船着場に到着です
前回の日本のベニス「柳川掘割物語1」~柳川歴史編
2部に渡りノーカットでご紹介してしまいましたが
きっとどんこ舟に乗りたくなったのではないですかどお?
えっ!もう十分見てお腹一杯?(笑)
そんな事言わずに「百聞は一見に如かず」ですよ(^^♪
もう二つ最後に素敵な見所を紹介しておきますので
是非柳川に行って見てくださいれっつらごー
城門観光の送迎車で『御花』まで戻ってきました
1738年に柳川藩主立花邸として誕生し
国の名勝に指定されてます
洋と和のコラボが素敵ですが素晴らしい庭園を眺めながら
宿泊も出来ますがお食事は絶対お勧めです
併設の『立花家史料館』ではこんなものもわんわん
運転手は伯爵家の立派な犬に目が釘づけでした…(笑)
続いて忘れてはいけないのが『北原白秋生家』
少し小雨が降ってきてレインコートですが
「川下り」では結局雨は降らず「晴れ女」効力継続中
中を覗くと「どーぞ♪」とワンコは抱っこでOK♪
念願の白秋先生との2ショットを撮る事ができました
今まで過去のブログでかなりの頻度で登場しているので
(ブログの右側ブログ内検索で「白秋」クリックですクリック*m
感激も一入あげ02
奥にある『白秋記念館』等も含めてたっぷり見学いたしました
隣の店には「さげもん」が売っていましたが
城下町・柳川のひな祭りは雛壇ではなくてお雛様
部屋いっぱいに吊される「さげもん」が主役なんです
只今柳川は雛祭り『 さげもんめぐり』の真っ最中
(平成26年2月11日~4月3日)
これも故広松伝氏の復活させた『絆』の賜物ですね♪
20年目の春 親 から子へ 子から孫へ 地域の絆でございます
生家の裏平家の落人伝説のある「矢留大神宮」の横に
有名な『帰去来』の詩碑があります
細かい解説は上記をお読みいただければですが・・・
「山門」とは柳川が存在する地域
平成の大合併前の「山門郡」の事で
晩年の白秋はほとんど視力を失っており
他界する前年の作品という背景を思えば白秋の
純粋な故郷への思いが理解出来て胸にジンと来ます
ひっそりと佇む「矢留大神宮」の裏側の『掘割』水門ですが
ここは裏門ではなく昔は表玄関として全ての家々に繋がり
柳川の水路は家の裏側にあり見えませんが
『掘割』の水は上水道として早朝に汲み上げれ瓶の中へ
水路=道路として舟で行き出来物を運んで生活に密着
やはり柳川は「日本のベニス」だった事が
歩いて柳川の裏路地を散策するとその事がよく分かりますよ
やっぱ「百聞は一見に如かず」柳川にGo!ですね
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

九州旅行で走った距離は何と3,300km
九州の見どころは真ん中の記事が山ほど残っているので
間もなく4月となりますが(^▽^;)まだまだ冬が一杯続きます
順不同で気まぐれ紹介となりますが宜しくですヨロシク

いつの間にか
5年間で一緒に走った距離は七万キロを超え
ついに75,899km!
目標達成まであと24,101mと更新しました
(+昨年一緒に走った列車と船とバスの距離も2500km)

お陰様で「ポメシバ検索」で沢山のラムちんに会えますよラム
読者様の画像も何故かまだまだ急速増殖中アップ
沢山の画像と過去の記事も読んでみて下さい

ポメシバ画像(Google編)
ポメシバ画像(Yahoo編)4650件
ラムちん画像(Yahoo編)310000件
Googleの

「rum-chin画像」

も絶好調
これからも更なる飛躍を求めまだまだ走り続けます車ふぅ

by rum-chin

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