偉人たちの命を奪わないという選択

〜偉人が遺した言葉と、動物への慈悲の思想〜

Essay on Ethics & Compassion


菜食の偉人

「自分が命を奪われたくないなら、他の命も奪わない」

これはとてもシンプルな考え方です。黄金律とも呼ばれる、自分がされたくないことを他者にもしないという倫理の根本は、世界中の多くの哲学・宗教の中心に存在してきました。


そしてこの考えを、遥か昔に動物にまで広げて唱えてきた偉人たちがいます。数学者、芸術家、文学者——肩書きはさまざまですが、彼らに共通していたのは、動物の命を自分の命と同じように尊重したいという、静かだけどとても強い信念でした。


今回は、出典を確認しながら、その言葉と生き方を紹介します。


  01 ピタゴラス 

紀元前 582〜496年頃 / 古代ギリシャの哲学者・数学者、菜食主義者キラキラ


三平方の定理で知られるピタゴラスは、数学の父として知られていますが、西洋での菜食主義の象徴的な存在でもありました。かつて菜食主義者は「ピタゴラス主義者(Pythagoreans)」と呼ばれていたそうです。


ピタゴラス自身の著作ではないのですが、彼の思想を伝える記録として、同時代の学者エウドクソスの言葉が残っています。


「ピタゴラスは流血と殺生を極度に嫌い、動物性食品を摂らなかっただけでなく、屠殺者や猟師に近づくこともなかった」
出典:ポルフュリオス『ピタゴラスの生涯』
(エウドクソスの証言を引用)


ピタゴラスが、屠殺者や猟師に近づかなかったのは、殺生に関わるすべてのものから距離を置くことが、魂の清浄化につながるという深い信念からだったそうです。

そして彼の信念は言葉にとどまらず、生活全体に及んでいました。ピタゴラス派の弟子たちは、羊毛の代わりに亜麻の衣服を身につけ、靴は樹皮で作っていたと記録されています。動物製品を日常から排除すること(アニマルフリー爆笑)が、魂の清浄化と平和な生き方の実践だったのです。


また、イアンブリコスの記録には、ピタゴラスの考え方の核心が伝わっています。


出典:イアンブリコス『ピタゴラス的生活について』


「(動物に対する)暴力への感覚が人間同士の戦争につながる」という考えです。 ピタゴラスは、動物への暴力が人間の魂を腐敗させ、やがて人間同士の争いに発展すると考えていました。「動物を殺す限り、人間も殺し合う。死と苦しみの種を蒔く者は、幸福と愛を刈り取ることはできない」という思想からです。 これはまさに後述するトルストイの「屠殺場がある限り、戦場もある」と2000年以上の時を越えて共鳴しています。

注記:ピタゴラス自身の著作は現存していないと言われています。彼の言葉として伝わるものは、すべて後世の著者による記録です。ただ、前述した通り、ピタゴラスが菜食主義者であったことは確認が取れています。


  02 レオナルド・ダ・ヴィンチ 

1452〜1519年 / ルネサンス期の芸術家・科学者・発明家、菜食主義者キラキラ


ダ・ヴィンチが菜食主義者であったことは、複数の同時代の記録によって裏付けられています。1898年出版の伝記の中には「ダ・ヴィンチは肉を食べず、完全に野菜だけで生活していた」と記されています。また探検家アンドレア・コルサーリが手紙の中で、動物を傷つけることを許さない人々について語る際に「我らがレオナルド・ダ・ヴィンチのように」と記したとも伝わっています。


ダ・ヴィンチ自身も膨大なノートを残しており、そこにも動物への慈愛が溢れています。


「もしあなたが動物の王と自称するなら、なぜ他の動物を助けず、その子を食い物にするのか」

出典:ダ・ヴィンチの手稿(ノート)より


人間が、今の地球のヒエラルキーの頂点にいるなら…自然や他の動物を犠牲・食い物にしてはいけない。トップに立つものが…力を持つものが自利を求めて、力を持たないものから搾取するのは、それは暴政や悪政と非難されるような行為になると思うのです。

「自然はあなたを満たすのに十分な植物性の食べ物を与えていないのか?」

出典:ダ・ヴィンチの手稿(ノート)より


注目すべきは、ダ・ヴィンチが『植物と動物の違い』について500年前にすでに考察していたということです。「運動する力を持たない植物は、動物のように痛みを感じる必要がない」 ダ・ヴィンチのノートより(フリチョフ・カプラ『レオナルドの科学』2007年に引用)と記されています。

植物は動物のように痛みを感じる神経系を持たない。だから、植物を刈り取ることと、動物から命を奪うことを同列に考えることはできないと思います。


注記:インターネット上でよく見かける「やがて私のような人間が、動物の殺害を人間の殺害と同様に見る日が来るだろう」という引用は、1902年のロシア人作家メレジコフスキーによる小説に由来するものであり、ダ・ヴィンチ本人の言葉ではないことが判明しています。ただし、彼が菜食主義者であったこと自体は他の資料で確認されています。



  03 レフ・トルストイ

1828〜1910年 / ロシアの文豪・思想家、菜食主義者キラキラ


『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』で知られるトルストイは、1885年に菜食主義者となり、その理由と思想を1892年の著作『第一歩(The First Step)』に詳しく記しました。


「汝、殺すなかれ」という戒めは、同じ人間の殺害にだけ適用されるのではなく、すべての生き物に対して適用される。この戒めはシナイ山で宣言されるずっと前から、人間の胸の中に刻まれていた。人間は動物を殺さなくても健康に生きられる。それゆえ、肉を食べる者は単に食欲のために動物の命を奪うことに加担している。そのような行為は不道徳である。屠殺場がある限り、戦場もある。

出典:トルストイ『第一歩(The First Step)』1892年


「屠殺場がある限り、戦場もある」——この一文は、暴力の連鎖について核心を突く言葉だと思います。『他の命を奪う』ことへの感覚が、動物に対してであれ人間に対してであれ、同じ土台の上にあることを指摘しています。

声をあげることも、逃げることも、助けを求めることもできない動物たちの恐怖や痛みに想像を巡らせることができる人が、同じ感覚で他の人間に銃を向けられるとは思えません。暴力への感覚は、毎日の小さな選択の積み重ねの中で、それに慣れていってしまうか(またはエスカレートするかガーン)、暴力はNO!という意思表示をしていくか、で変わっていくのだと思います。だからトルストイはこう言ったのかもしれません。


「菜食主義は、人類の道徳的完成への追求が本物で誠実なものであることを示す基準となる」

出典:トルストイ『第一歩(The First Step)』1892年


人類の道徳的完成への追求、素敵な言葉です。人としてよくあろうとする。それを皆が実践していったなら、社会はよりよいものになるのではないでしょうか。

食べるものを変えることは、自分を変え、世界を変えることと地続きなのだと。私もそう思います。



  04 マハトマ・ガンジー

1869〜1948年 / インドの独立運動指導者・思想家、菜食主義者キラキラ


ガンジーはアヒンサー(非暴力・不殺生)を人生の中心に置き、菜食主義を生涯貫きました。動物への慈悲は彼の思想の根幹だったようです。


自伝の中で、ガンジーはこう記しています。


「人間の動物に対する優位性は、強者が弱者を搾取することではなく、高いものが低いものを守ることを意味する」

出典:ガンジー自伝(M.K. Gandhi, An Autobiography


搾取ではなく、守る
上述のダ・ヴィンチの手稿(ノート)にも同じような考え方が記されていました。
弱いから奪い取るのではなく、弱いから守る。理性や道徳・倫理を持つ人間だからこその選択なのではないかと思います。

さらにガンジーは著作集の中で、アヒンサー(非暴力・不殺生)の実践について具体的にこう記しています。


「アヒンサーの実践者は、最小の生き物の命を傷つけることを最善を尽くして避けようとし、それを救おうと努め、絶えずあらゆる暴力の連鎖から自由になろうと努める」

出典:ガンジー『マハトマ・ガンジー著作集(The Collected Works of Mahatma Gandhi)』


ガンジーの非暴力の核心であるアヒンサーは、人間に対してだけではなく、動物への非暴力も含んでいました。20世紀最大の平和運動の象徴キラキラ


「毎日の祈りの中で慈悲深い神の恵みを求めながら、我々が仲間の生き物に対して基本的な慈悲を実践しないとすれば、それは恥ずべきことだ」

出典:ガンジー『マハトマ・ガンジー著作集(The Collected Works of Mahatma Gandhi)』1958年版


動物は、声をあげることができません。逃げることも、助けを求めることも、理不尽だと訴えることも。そして動物たちも、私たちと同じように、痛みや恐怖を感じ、我が子を愛し、生きようとしています。そんな動物たちに対して、人間にできることは二つあると思います。前者につけ込み奪うのか、後者に共感し守るのか。 自分たちがよければそれでいいのでしょうか??強いものが弱いものを支配し搾取するのではなく、力を持つものが持たないものを守る——それが本当の「人間らしさ」ではないかと、私は思っています。

注記:「その国の偉大さと道徳的進歩は、動物の扱われ方でわかる」という言葉はガンジーのものとして広く知られていますが、残念ながら…ガンジーの著作全98巻を精査した研究者がどこにも見当たらないと報告しているそうです。。出典が明確でないため、この言葉の使用は私は慎重にしています。

でも、こういう言葉がガンジーの言葉として広く知られるということは、著作としては残っていないけれど、きっとどこかでガンジーが使っていたのではないかな…と思っていますニコニコ


  おわりに

鳩とオリーブ 平和と共存の象徴

ピタゴラス、ダ・ヴィンチ、トルストイ、ガンジー——時代も国も異なる偉人たちが、それぞれの言葉で同じことを伝えていました。『自分が傷つけられたくないなら、他の命も傷つけない』それは特別な信念ではなく、倫理の根本に流れるものです。

テレビ番組では、”植物を切る映像“は流しますが、“動物が屠殺される映像”は流しません。その線引き自体が、人間が動物の命を奪うことは倫理的な行いではないということを暗に示していると思うのです。それでも、日本では依然として肉食を推奨・肯定することが大勢になっています…悲しい

生き物は、痛みを感じ、恐怖を感じ、生きようとする。それは人もペットもその他の動物も同じ。その事実から目を背けず、自分にできる選択をしていく——それが、私が考える平和への一歩です。


それぞれの時代の賢者たちが、同じことを考えていたという事実を知ってもらえたら、そして、もしほんの少しでも心が動いたなら…できることから1つずつ実践してもらえたらうれしいですおねがい


  にんじん小さな一歩からにんじん

すぐにできること

・友達を誘ってアニマルフリーランチをしてみる

・週1日から肉食をやめてみる
・3食のうち1食で肉食をやめてみる
・プラントベースの製品を選ぶ
・野菜と果物を中心にした食事にしてみる
・動物性食品を買う時に一瞬立ち止まってみる
・自分が選んだ理由を誰かに話してみる

食事からはじめる平和のための小さな革命!

動物と共に平和に生きることは

自分の中にある”愛“に気づくことだと思いますニコニコ