5月くらいからかな?
身の回りにいる人達が
どんどんいい感じになっていて
見ていて嬉しいばかりです。
そんな中で
入院中の母や身近な人を通して
命について考えさせてもらう機会も
多々ありました。
↑友達が撮った庭の葉っぱ
算命学を勉強し始めてから
全ては循環して推移しているのだから
物事の一部分を切り取って
幸か不幸かを決めなくていいんだなって
思えるようになったのもあって
状態を見守るのが上手くなりました。
そうやって
幸に見えたり不幸見えたりする断片を
何も決めつけずに見守っていると
全ての断片である点が線になって
まるでドラマの伏線回収のように
美しいシナリオが見えてきたりして…
自我である私が
あーだこーだと小難しく考えて
迷って転びながら進んでいる道も
根元的で純粋な存在が
自我を温かく見守りつつ
「大丈夫、どうせいい感じになるから」
って感じなのかなーなんて
思ったりするわけです。
肉体を持った人生は
永遠に続くわけじゃないから
密度を上げて生きないと
もったいないなーと改めて思いました。
その時々で
わちゃわちゃするのもいいし、
俯瞰で人生を見るのもいいし、
結局どちらも味わいたいなと思う
火曜日の朝でした。