算命学は

全ての因は自分にあると考えます。

 

算命学の占いは

その人の生年月日を見て行います。

もちろん関わっている人の

生年月日を見ることもありますが、

まずは本人を見ます。

全ての原因が自分にあるからです。

 

 

結婚運が悪いとか、

部下運がないとか、

目上運がないとか、

人はどこか欠けた部分があるものです。

 

算命学で言うなら

天中殺がその代表的なもので、

人は誰もが

天中殺を1つは持って生まれますから

誰でも欠けたところがあるのです。

 

たとえば、私は申酉天中殺です。

申酉天中殺は

私的な世界の補佐、配偶者、

パートナーなどの世界が欠けています。

 

こうして書くと

私的な世界の補佐、配偶者、

パートナーに恵まれないのね…と

思うかもしませんが、

一方的にその世界から

与えてもらえないというわけではなく、

私的な世界において

誰かを補佐したり立てたりすることに

力を出しにくいという面も

持っているのです。

 

これはあくまでも私自身のことですが…

 

私は若い頃、結婚願望が強くて

誰かが私を幸せにしてくれるものだと

真剣に思っていました。←笑っていいよw

 

そんな私は

高校の同級生と長くつき合ったのちに

結婚しました。

 

お付き合いしている頃は

可愛らしかったであろう私も

結婚したらいつの間に妻の席に

胡坐をかき始めました。

 

夫を立てたり補佐するような気持ちは

微塵もなくて

結婚後の暮らしが退屈に感じました。

子供は可愛かったですけどね。

 

紆余曲折を経て離婚するわけですが、

算命学を勉強するようになって

あぁ私は申酉天中殺だし日座中殺だし

結婚が上手くいかなくて当たり前だな

って思ったけど、

それだけではないことも

算命学によって気づかされました。

 

私は夫をサポートできなかったし、

助けが必要だった時にも

力を貸すことができませんでした。

 

私的な世界が欠けている私には

サポートしてもらう感覚も

サポートする感覚もないため

その世界の構築は

かなりハードなゲームになります。汗

 

今回の記事は

私が申酉天中殺だから

そこに特化して書いていますが、

どの天中殺も欠けた世界があります。

 

私は人生って大変だね…ってことが

言いたい訳ではなくて

1人1人はいびつで完璧じゃないけど

欠けたパーツを持つ人が他にいて

全体で完成されるこの世界が

すごく愛しくて素晴らしいなって

ことが言いたいわけです。

 

算命学に限らず天中殺に限らず

占いで「〇〇運がない」と言われて

ガッカリすることってあると思うけど、

持ってないことの意味を

もう一歩、更にもう一歩と

その先を見ようとすると

とんでもなく穏やかで幸せな世界を

見ることが出来たりします。

 

私が算命学が好きなのはこういうところ。

 

算命学に興味が湧いた人は

大人の趣味として

お勉強することも考えてみては

いかがでしょうか?

(*^^*)

 

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算命学師範 瑠子

 

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